言い方はアレだけど、たかだか体を改造されて一個人としての幸せを永遠に喪失する程度で、世界を二度も三度も悪の手から救えるようになるって、破格の取引とも言えるよね……
2011-04-25 19:28:23あと、たかだか記憶を失って(でも仲間を得て)、何度も病院送りにされ(でも五体満足で復活)、果ては行方不明(アッサリ帰ってくる)になる程度で、あらゆる幻想をぶち壊したり説教したりハーレムったり世界の危機を救えるのなら、それも破格の取引なわけで。
2011-04-25 19:29:00これは戯言シリーズ読んでた時に思ったんだけど、たかだか病院送りにされるだけで(あと兎吊木さんにボッコにされる程度で)免罪されるんだから、いーちゃんも結構破格の取引だよね。上条さんも、たかだか何度か死にかける程度で免罪されてる。
2011-04-25 19:30:54主人公、もといヒーローの条件の1つなのかもね。一見すると大きいけれど実は”たかだか”レベル代償と引き換えに、大業を成し遂げる。
2011-04-25 19:32:11主人公、もといヒーローの条件の1つなのかもね。一見すると大きいけれど実は”たかだか”レベル代償と引き換えに、大業を成し遂げる。
2011-04-25 19:32:11@Six315 アンチQB的テーゼとしては個人の幸せは世界を二・三度救ったぐらいじゃ釣り合わない、とやっとくべきかとw
2011-04-25 19:32:56@pendulumknock 似たようなものかもしれないw どっちにせよそれが”人間の可能性”ってヤツなのかな、とか。「個人の幸せを失う」っていう小さな犠牲を大きな業績に増幅できるのも、逆に、「個人の幸せは世界を二・三度救ったぐらいじゃ釣り合わない」であることも。
2011-04-25 19:37:49ウルトラマンだよなあ。たかだか一回死ぬ程度で50回ちかく地球を防衛したハヤタ。ボロボロになって戦うだけで、後のノア復活の基盤を整えたり孤門を励ましたり見失っていた生きる意味を取り戻した姫矢さん。まあ、そもそもそれは取引なのか、というアセスメントは必要だろうけど。
2011-04-25 19:49:02というわけでトラックに轢かれる程度で、UBWとか使えるようになっちゃって異世界でハーレムを作っちゃうオリジナル主人公も正しくヒーローの末席なのである(ェ でも、あの手のジャンルが一定数ウケてるってことは、そういうことなんだろう。
2011-04-25 19:51:52@Six315 「個人としての幸せを永久に喪失する」ってことは「自分の世界が壊れる」ってことですから、その交換対象が「世界」であっても「主観的には」何もおかしくないと思います。
2011-04-25 19:49:01@Six315 つまり、視座を「世界」に置くから「破格の取引」なのであって「個人」におけば等価交換だと思います。むしろ交換で世界を手に入れたのはイレギュラーであるまどかだけなのですから、ほかの少女たちが魔女化するほどの絶望を感じるのも無理のない取引でしょう。
2011-04-25 19:52:28@hinoton2 ええ、「主観的」に見て、「個人的に」見るから絶望する。無理のない話だと思います。QBほどではないけれど、そこから少しでも視座をずらせたなら、もう少し楽に生きれたんじゃないか、と思うのです。(主観的で個人的な視座に囚われた結果、しばしばションボリする僕らも)
2011-04-25 21:23:26@Six315 当事者は「主観の視座」から逃れられない気がします。私たちは作品を通して「神の視点」から見る時ですら「神の視点から見える作品を主観で見」ます。すると今度はその神の視点に囚われて当事者(キャラクタ)の視点を感じられなくなります。
2011-04-25 21:33:05(承前)そんな我々が現実で当事者の時に「視座をずらす」なんてことができるでしょうか。まどかは神の立場に立つことでそれを可能にしました。ほむほむに対して「神になったからこそあなたの気持ちがわかった」と言ったのも頷ける気がします。
2011-04-25 21:36:11/@hinoton2 ありがとう。逃れられないのが現実だし、神の視点に囚われるのも仕方ないよね。その構造を踏まえた上で、どう突破するか、現実に還元するか、ってところで躓くんだよね。いや、突破しなくていいと言われたらそれまでだけど。
2011-04-25 21:38:44RT @penguin_86: 自分と他人を分けるいちばんのものって自分の目で世界を見ることができて、自分だけが傷つけられたら痛いってことで、それに比べたら他の差異なんて全く問題にならない。自分という存在は全宇宙の中の不可思議な特異点である。
2011-04-25 21:38:37@Six315 さっきRTしたのですがあの発言(全宇宙で自分だけが観測者。特異点。)くらい開き直ってもいいと思うのです。その上で、所詮主観に囚われる存在であると認めた上でそれでも「他者を想ってみる」ことに挑戦することが美しいと感じます。
2011-04-25 21:48:24@hinoton2 なるほど……というかたぶん、先のRTを見るに、僕もヒノトさんも「美しいと感じ」ることは同じなんじゃないかな、と。僕の単語選択ミスで立場が違うように見えていただけかな、とか。たぶん仰る「他者を思う」は、僕の言う「視座をずらす」にかなり近い。
2011-04-25 21:50:14@Six315 ああ、仰るとおりです。「視座をずらすことも他者を想うことも自分たちには原理的にできないことだけど、だからこそ、それをすることに美しさを感じる」のですね。
2011-04-25 21:55:11もう一個「他人の視点」加えて誰か論じてみて(丸投げかい) .@hinoton2 さんの「まどマギ論 : 「破格の取引」「主観の視座」」をお気に入りにしました。 http://togetter.com/li/128057
2011-04-27 00:44:55@hinoton2 あわわ…実は深く考えてなくって…よく読むと考えてたところはなんかまとめの中に入っていそうな気がしてきました…orz 「他人」=「キャラクター」=「当事者」でしょうか?そうすると主に論じられている「主観」に収束してしまう感じですかね(滝汗)
2011-04-27 01:00:47