@dokuninjin_blue 少し違います。政府の強制がない事が望ましいです。強制が無い事で無数の試行錯誤できる機会を得ているからです。その結果の一つが裸で走るという状態です。 名誉毀損ですが、名誉が個人の所有資産だとすると損害を請求できるとなると思います。ただ民事ですかね。
2018-12-11 19:46:07@kkay 政府の強制がないということは、「取り締まられない社会」ですよね。それどう違うんですか? 名誉が所有資産ならば、私達の心は私達の所有に属するものなのであって、「不快を感じること」はその在り方を毀損しているのだ、とも言えてしまいますよね。どう違うんですか?
2018-12-11 21:52:34@dokuninjin_blue 政府は必要悪ではありますが、不要とは思いません。例えば、防衛のための実力組織は政府が執り行うのが相応しいと考えています。
2018-12-11 22:07:18@dokuninjin_blue どう違う?どういう意味ですか?不快にならないことが個人の権利とするならば、直ちに自由は制限されます。他人の自由を侵害する自由はないです。 名誉が本人に備わったその人の財産と考えるのなら、それを毀損された際に損害分を請求できると言いました。
2018-12-11 23:14:24@kkay ? 不快感を金額に直して請求することはできるでしょうし、名誉を権利として承認すれば、直ちに名誉毀損する自由が失われますよね。
2018-12-11 23:23:27@dokuninjin_blue 他人の財産を奪う権利はありません。名誉がその人に備わった財産なのかといった議論はあるとは思いますが。 不快にされないといった権利も認めがたいと考えます。
2018-12-11 23:29:11@kkay 財産かどうかってどう判定するんでしょう? 名誉というものが財産であるというのは、誰がどうやって決めたんですか?
2018-12-11 23:34:30@dokuninjin_blue 功利主義の最大幸福で幸福は誰の主観なのですか? 貴方らがしばしばフェミニストと言い争っているようですが、彼らの主観はどう扱われるのですか? 財産の範囲は自由主義でも意見が分かれるかも知れませんが、その人が作り出した財で排他的で共存して利用がしにくい物かと思います。
2018-12-11 23:47:04@kkay 彼らの主観は主観で尊重されるべきものでしょう。ただ、私の主観とは違うから、異議申立をしているだけです。その主観の集合体が民主的な意志決定であって、権利にせよ功利的判断にせよ、「究極的には」その結果であるところには違いがないと思いますが。
2018-12-11 23:53:00@kkay で? 名誉が財産であること、また、財産を犯す自由は存在しないというあなたの規範の正しさは、何が証明するんですか?
2018-12-11 23:54:44@dokuninjin_blue 答えになってないように聞こえるのですが、どのように幸福を測るかは、多数決だと言っているのですか? 正当性ですが、自分の身体および作り出した財産は自分の物と自明であると考え、それを奪うことはできないということになるかと思います。
2018-12-12 00:02:24@kkay 名誉が身体の延長と考えるのであれば、不快感情も同じなのでは? 名誉の侵害と不快感情をどう区別されているのですか?
2018-12-12 00:04:44@kkay 多数決か、という問いについては、民主社会で何かを判定する究極の方法は多数決であり、権利を観念するときにすら、多くの人がそれを権利と捉えているからでしかないと思いますが。
2018-12-12 00:06:21@dokuninjin_blue 分かりません。不快にされないことは財産ではないということと、不快が自分の身体への侵害なのではないかという問いだとしたら、基本的に自由主義は自由を尊重します。不快にされない権利というのは認めがたいと考えます。 多数決で決まれば、自由の権利は奪えるのですね。私とは思想が違う点です。
2018-12-12 00:12:26@kkay 「不快にされない権利というのは認めがたい」理由はなんでしょうか? なぜ「名誉侵害されない権利」は認められて、「不快にされない権利」は認められないのでしょうか?
2018-12-12 00:13:51@dokuninjin_blue もう答えたと思いますが、権利が拡大されれば自由は失われます。自由主義なので自由を尊重するわけです。 繰り返しますが、名誉がその人に備わった財産だとすると、奪う権利はないと考えます。どこまで財産とするかは自由主義でも意見が分かれると思います。
2018-12-12 00:19:19@dokuninjin_blue あと、正当性ですが、自由主義でもたらされる試行錯誤の機会が、やがて我々に幸福をもたらすだろうという信念があると思います。ただ、それが最大幸福ではないことは言えると思います。
2018-12-12 00:23:58@kkay であるならば、名誉を権利として認めれば自由が失われるし、財産権を権利として認めれば、財産を剽窃する自由は失われますよね。どこまでを権利として認め、どこからを自由の領域とするのかを、どのようにして決定するのですか?
2018-12-12 00:26:28@dokuninjin_blue 答えたと思うのですが、他人の財産を奪う権利はありません。 その点で自由が失われることは避けられないです。そもそも、「他人の財産を奪う自由」といった権利がないわけです。
2018-12-12 00:32:38@dokuninjin_blue 私の理解では「自由」それ自体が目的だからです。 あと、恐らく、自由主義な人は最大幸福などといった大それたことは実現が不可能だと考えると思います。私には、殆ど社会主義の臭いさえします。 多くの人にとって幸福だとしても、誰かの権利を侵害する権利はないのです。
2018-12-12 00:37:30