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ヒップホップの誕生と西アフリカの吟遊詩人「グリオ」

主に西アフリカ地域の吟遊詩人グリオがカリブ海の音楽文化を経由して初期ヒップホップの形成に与えた影響、そして中世以後のマリ帝国のイスラーム受容とそれが現在のアフリカ系アメリカ人を代表する音楽文化に与えた影響に関する考察。
ラップ ブルース クラブミュージック ヒップホップ 音楽 アメリカ ファンク ソウル グリオ アフリカ
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※グリオとして取り上げた冒頭のツイートの動画に関して最後に訂正があります。

よんほ@1月27日平塚まよいがLGBTバー @yonlee
西アフリカの伝統的吟遊詩人「グリオ」。21弦のコラという弦楽器などを奏でながら民族の歴史や物語を歌い上げる。 1352年モロッコの探検家イブン・バットゥータによる記録がある。ラップのルーツとされる。HIPHOPの名付け親であるアフリカ・バンバータはラッパーを「ポストモダンのグリオ」と呼んだ。 pic.twitter.com/Avpe6VUfdG
よんほ@1月27日平塚まよいがLGBTバー @yonlee
グリオの伝統はアフリカだけでなく黒人奴隷が連れ去られた場所でも残り、1950年代以降隆盛を極めたジャマイカのトースティング(リズムに合わせて語るDJ技法)や、トリニダード・トバゴのカリプソなど、カリブ海地域の音楽文化にも色濃く影響を与えたとされる。
よんほ@1月27日平塚まよいがLGBTバー @yonlee
やがて1970年代に入ると、ジャマイカからニューヨークのブロンクス地区に移住したDJクールハークを始めとしたカリブ海地域からの移民によってこの音楽技法がブロックパーティ(街区毎の小規模な祭り)などで盛んに披露され、米国のアングラ層にも広まった。
よんほ@1月27日平塚まよいがLGBTバー @yonlee
1970年代当時のサウスブロンクス地区は日夜ギャングの抗争が絶えず、暴力が渦巻き、あらゆる場所で血で血を争う様相が日常茶飯事となっていた。さながらゲットーのような場所で多くの黒人たちが希望を失っていた。
よんほ@1月27日平塚まよいがLGBTバー @yonlee
そんな中ジャマイカとバルバドスの移民の子ケビン・ドノバンは高校生の時エッセイコンテストの賞でアフリカを旅した。そこで彼は自らのルーツの地アフリカの文化の豊かさを知り、自身の音楽性にも取り入れた。彼はアフリカの伝説的なズールー人の族長バンバタからアフリカ・バンバータと名乗り始める。
よんほ@1月27日平塚まよいがLGBTバー @yonlee
自身もギャングのリーダーであったバンバータは、アフリカ現地の文化に触れた経験からブロンクスにおける暴力の連鎖を終わらせるべく文化による平和を目指した。 pic.twitter.com/q8frPdoBUp
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よんほ@1月27日平塚まよいがLGBTバー @yonlee
バンバータが結成したグループであるブロンクス・ネイション・オーガナイゼーションは同胞たちを暴力から解放し、DJやラップ、ダンス、グラフィティの数多くの担い手を生み出した。やがてこのグループはユニバーサル・ズールー・ネイションというグループに発展していく。これがHIPHOPの始まりである。 pic.twitter.com/SXLY1kRuyX
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よんほ@1月27日平塚まよいがLGBTバー @yonlee
アフリカ・バンバータはブロンクスにおけるギャングの抗争を文字通り「文化によって」終わらせた。そして彼が蒔いた種はニューヨークにとどまらず、全米の黒人のムーブメントとなった。やがてこの文化は白人のトレンドにも浸透し、それだけでなく世界中を覆い尽くし、音楽史を塗り替える端緒となった。 pic.twitter.com/nFqFejBxUx
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よんほ@1月27日平塚まよいがLGBTバー @yonlee
「ヒップホップの父」と呼ばれるクール・ハークは1955年にジャマイカの首都キングストンで生まれた。彼は幼少時から近所で開かれるパーティでサウンドシステムやトースティングを用いたDJ技法などのジャマイカの音楽文化に触れながら育つ。1967年に家族と共にニューヨークのブロンクス地区に移住する。 pic.twitter.com/LmKdTE7SWS
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よんほ@1月27日平塚まよいがLGBTバー @yonlee
クール・ハークの最も有名な功績の1つとして、「ブレイクビーツを使ったDJ技法」が挙げられる。ブレイクビーツとは、ある曲の中の間奏(ブレイク)で流れるドラムループ音をサンプリング(取り入れる)したDJスタイルのことである。 ブレイクビーツに関しての解説動画→youtu.be/JcNfbQOK3KA pic.twitter.com/Db1OTdWz5q
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よんほ@1月27日平塚まよいがLGBTバー @yonlee
ジャマイカ仕込みのサウンドシステムやDJ技法を1970年代のブロンクス地区の音楽シーンに持ち込んだクール・ハークは瞬く間に人々の注目を集め魅了した。 彼が生み出したブレイクビーツに合わせて踊るダンサーたちはB-BoyやB-Girlと呼ばれるようになる。ブレイク・ボーイが略されてB-Boyとなった。 pic.twitter.com/8k4VWmP1J8
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よんほ@1月27日平塚まよいがLGBTバー @yonlee
1960〜1970年代当時ニューヨークのサウス・ブロンクス地区は経済危機の影響などで地価が大幅に下落し、アパートの所有権を手放す者が後を絶たなかった。街は失業者で溢れかえり、あらゆる犯罪の温床となり、麻薬の取引が行われ、ギャングの抗争地となった。 pic.twitter.com/5UFqH98u4d
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よんほ@1月27日平塚まよいがLGBTバー @yonlee
人々の唯一の娯楽と言えるものがディスコなどのダンスパーティだった。アフリカ・バンバータは、ブロンクスでカリブ海地域特有の音楽スタイルをブロックパーティに持ち込んだクール・ハーク等から影響を受け、ギャングの抗争を終わらせ人々に平和と希望を与えるためヒップホップという文化を創始した。 pic.twitter.com/FVEdWbHaNm
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よんほ@1月27日平塚まよいがLGBTバー @yonlee
1973年8月11日ブロンクス地区の1520 Sedgwick Avenueというアパートの一室でクール・ハークのDJイベントが始まった。妹シンディーの誕生日パーティだった。この日はヒップホップの誕生日とされ1520 Sedgwick Avenueは生誕地とされる。イベント主催者シンディーは「ヒップホップの母」として知られる。 pic.twitter.com/6FWFRyhb8T
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よんほ@1月27日平塚まよいがLGBTバー @yonlee
この時、ビートに合わせてラップをしていたのがクール・ハークの友人コーク・ラ・ロックである。彼は歴史上最初のMCとされている。 pic.twitter.com/xXVr40O5oA
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よんほ@1月27日平塚まよいがLGBTバー @yonlee
1958年にカリブ海の島バルバドスで生まれたグランドマスター・フラッシュは、小さい頃に家族と共にニューヨークのブロンクスに移住し、10代の頃からDJを始めた。クール・ハークのDJスタイルに影響を受け、様々なDJ技法を編み出した。今ではDJに欠かせないスクラッチの理論を完成させた。 pic.twitter.com/qdGQr65cMc
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よんほ@1月27日平塚まよいがLGBTバー @yonlee
ジャマイカ生まれのクール・ハークがサウンドシステム文化をニューヨークに持ち込み、それに着想を得たアフリカ・バンバータが平和のためにヒップホップを思想として昇華し、グランドマスター・フラッシュがDJに必要な技術をまとめ上げた。この3人はヒップホップ黎明期の3大DJと呼ばれている。 pic.twitter.com/O3FwTd7SBx
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よんほ@1月27日平塚まよいがLGBTバー @yonlee
以上、ラップのルーツが西アフリカ→カリブ海→ブロンクスの系譜に連なることを説明した。今でこそヒップホップはアメリカ発祥の文化として知られているが、根底にはアフリカ大陸の文化が流れていることを忘れてはならない。それはアフリカ・バンバータが定義したヒップホップの理念にも表れている。 pic.twitter.com/HutToY0zPY
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ここで、アメリカに連れ去られたアフリカ系アメリ カ人の祖先たちの多くが元々ムスリムであったという事実の想起。

よんほ@1月27日平塚まよいがLGBTバー @yonlee
さて、これは見落とされがちなことだがアフリカからアメリカに連れ去られた黒人奴隷の多くは元々ムスリムだった。一例としてセネガル出身のイスラーム学者オマール・イブン・サイードやアユバ・スレイマン、ヤロウ・マムートが挙げられる。サイードはキリスト教に強制改宗させられ死ぬまで奴隷だった。 pic.twitter.com/LqiAZUqO9D
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ごまおファンド @g0mao2
@yonlee 間にはいって奴隷をアメリカに売ったのは、ムスリム商人なんでしょう?
よんほ@1月27日平塚まよいがLGBTバー @yonlee
@g0mao2 おっしゃる通り、多くの場合そうでした。上で挙げたアユバ・スレイマンも元はセネガルの高明なフラニ族ムスリム家系の奴隷商人でしたが、マンディンカ族に捕まってアメリカに売られました。アユバは後に上流階級出身だということが白人にわかり、解放されてアフリカに戻っています。
KT/ジャカルタ/(白いチョーク) @jindongKT
あれ以降もずっと続いてた、よんほ氏の「ヒップホップの起源」。 ここでハンドルが切られ、話はイスラムの影響へ。 すげえ。
よんほ@1月27日平塚まよいがLGBTバー @yonlee
アフリカからアメリカに連れ去られたムスリムたちは自分たちの信仰を守ることを許されなかった。多くがキリスト教に改宗させられた。しかし、彼らは自分たちの文化を忘れないためにひそかに音楽にそのエッセンスを取り入れた。 pic.twitter.com/Fdd7nh9zzi
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コメント

新海智子 @coccyx_T 12月29日
グリオとヒップホップとそれぞれ別個に浅く知っていましたが、関係づけて考えたことがありませんでした。こういうことだったのですね。
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