生き様がそこに伴う時に文字は言霊となって人に届く

人が道徳を学ぶ機会は日常の人間関係を抜きにしてはありえないと思われますが、だからこそ学校教育における道徳の授業において大切であるのは「何を」教えるかではなく、「誰が」「いかに」教えるかであると思うのです。
3
大角 康 @koukaku0811

私の中学の先生方は、道徳の授業の時間をあまり重要視なさっていなかったように思うのですが、そんな先生方は私たちを本当にのびのびとさせてくださいました。今にして思えば先生方は、私たちへの接し方によって、人を尊重するとはどういうことかを身を以て教えてくださっていたように思われます。 twitter.com/hideKoba_bot/s…

2018-11-17 12:32:35
小林秀雄 botcast @hideKoba_bot

道徳はすべて社会的なものだ。大概の人は、そこで立ち止まって先へ進まない。だからせっかくの真理が不具で終わる。一歩踏み出せば、いやでも次の事がわかる。親友を掴めない人は道徳を掴めない、と。 (道徳について)

2018-11-17 08:05:02
大角 康 @koukaku0811

先生方が軽視なさっていた(ように見えた)のは、道徳の授業の時間であって、決して道徳そのものではなかったと断言できます。生き様でしか伝えられないものこそ道徳の神髄ではないでしょうか。

2018-11-17 12:32:35