「神武以来の天才」は「じんむいらいのてんさい」と読んでいいんです

将棋の加藤一二三九段の通称「神武以来の天才」にも使われている「神武以来」という言葉の読み方・読まれ方を調べました。 近年、「じんむこのかた」が正しく「じんむいらい」は間違いと言われることがありますが、それは誤解です。 後半では「神武景気」という言葉も扱っています。 まとめ中、よく出てくる年、昭和31年=1956年、昭和32年=1957年。
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やぱ2 @lolvv

しかし、これまでに調べた情報から、後藤説(「神武景気」官僚発祥説)は弱いと思う。

2019-03-21 01:11:40
やぱ2 @lolvv

「「戦後最長」景気 お名前は? まだ未定 議論も低調」『朝日新聞』2019年2月21日朝刊p.9。特に目新しい情報なし。『経済白書』の「神武以来」を引用(振り仮名なし)。 asahi.com/articles/DA3S1… asahi.com/articles/ASM2L…

2019-03-21 01:23:56
やぱ2 @lolvv

「神武以来」という四文字は『神皇正統記』にあります(第六十三代、冷泉院、「神武以来の御号も~」、最も古いとされる白山本には振り仮名なし)が、これは成語ではなく文字通りの神武天皇以来の意。

2020-07-05 21:14:43
やぱ2 @lolvv

『神皇正統記』第六十三代、冷泉院に「神武以来ノ御号モ皆後代ノ定也」とある。白山本翻刻は振り仮名なし。直後の文では「持統元明ヨリコノカタ」とカナ書き。 dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… 異本校訂版は「以来」を「いらい」とするものも「このかた」とするものもある。例えば岩波文庫は新旧で違う。

2019-02-09 15:05:03
やぱ2 @lolvv

「じんむいらい」と「じんむこのかた」、何が違うかと言えば、音(拍)の数が違いますね。 だから、別掲した巌谷一六の俳句や朝日川柳のように、五七五の七の箇所を「神武以来の」、「神武以来が」としてもいいし、「このかた」と読ませれば「神武以来」だけで七にもできます。

2019-02-13 02:08:16
やぱ2 @lolvv

将棋好きでもあった柳瀬尚紀さんの言葉を借りれば、このようなことができる「日本語は天才である」と言えましょう。 ひふみんは 神武以来の GENIUS

2019-02-13 02:10:04
やぱ2 @lolvv

今回、調べのきっかけになったのは、NHKFM『邦楽百番』にて近松門左衛門の『嫗山姥』、竹本駒之助師が「神武以来」を「じんむいらい」と語っておられたのを聞いたことでした。浄瑠璃のことは神津武男先生のツイートが参考になりました。

2019-02-09 17:25:53
神津武男 @Izumonojyo

八行本「神武以来のりんきいさかひ」、七行本「神武(しんむ)以来のりんきいさかひ」。『壇浦兜軍記』七行本・三ノ口「琴責」に、「神武以来(じんむこのかた)」。以来は「このかた」と読むのが、慣用。

2012-10-13 10:58:29
神津武男 @Izumonojyo

『染模様妹背門松』上巻「東堀油店」04。廿三オ1「神武以来」にはふりがな「じんむこのかた」とあり。以前にも呟きましたが、浄瑠璃本の「以来」は”このかた”と読むのが一般的だと思います。

2014-02-21 22:20:23
神津武男 @Izumonojyo

『嫗山姥』二段目切「廓往語」は、初演本文(通し本・八行本)と、現行本文の間に相違があるもののひとつ。後半、時行が八重桐に恨みを述べ、「無念。涙にくれければ。」以下に、省略・書替がある。珍しく大坂板五行本は、改訂後の本文を記す。問題は、改訂本文の成立時期(現行曲の出発点)は何時か。

2013-04-30 03:53:37
神津武男 @Izumonojyo

〔無根拠な慣用読みが改まりませんので改訂再説〕 『嫗山姥』の作品名よみは、吉川宗兵衛板(初板八行本の山本九右衛門の次世代の板元)の七行本包紙に振り仮名「こもちやまうば」とある。初演時刊の海賊板十行本の内題に「子もち山うば」とあり、初演から「やまうば」だっとと判断。ヤマンバに非ず。

2015-06-19 07:34:32

2020年の追記

やぱ2 @lolvv

神戸大学経済経営研究所「新聞記事文庫」で「神武以来」を検索すると、現在16件ヒットします。 そのうち5件が読み仮名なしで1件は準備中。 残り10件は全部「じんむいらい」と、振り仮名。 「じんむこのかた」は一つもありません。 lib.kobe-u.ac.jp/sinbun/index.h…

2020-06-18 06:06:00
やぱ2 @lolvv

「神武以来」に「じんむいらい」と読み仮名がある記事 二六新報(二六新聞 1912.7.4 (明治45) 大阪朝日新聞 1913.8.27-1913.8.31 (大正2) 大阪毎日新聞 1916.2.2-1916.4.13 (大正5) 中外商業新報 1916.4.16 (大正5) 国民新聞 1918.3.4 (大正7) lib.kobe-u.ac.jp/sinbun/

2020-06-18 06:11:48
やぱ2 @lolvv

「神武以来」に「じんむいらい」と読み仮名がある記事(続き) 横浜貿易新報 1919.5.15 (大正8) 台湾日日新報(新聞) 1920.11.23-1920.12.28 (大正9) 台湾日日新報(新聞) 1921.1.1 (大正10) 大阪毎日新聞 1923.7.28-1923.7.30 (大正12) 時事新報 1927.4.25 (昭和2) lib.kobe-u.ac.jp/sinbun/

2020-06-18 06:14:41
やぱ2 @lolvv

「神武以来」に読み仮名がない記事 大阪朝日新聞 1924.2.15 (大正13) 大阪毎日新聞 1924.5.25-1924.5.28 (大正13) 時事新報 1931.3.13-1931.4.18 (昭和6) 大阪朝日新聞 1933.10.14 (昭和8) 大阪毎日新聞 1940.6.26 (昭和15) 準備中 大阪時事新報 1919.5.16-1919.5.19 (大正8) lib.kobe-u.ac.jp/sinbun/

2020-06-18 06:17:25
やぱ2 @lolvv

「神武いらい」「神武この」「神武此」ではヒットせず。 「神武天皇以来」は12件ヒットします。 lib.kobe-u.ac.jp/sinbun/

2020-06-18 06:23:13
やぱ2 @lolvv

『近世上方語辞典』(1964年) じんむこのかた[神武以来] 「以来」を音読せぬ。「開闢このかた」「神代このかた」の類。 とあります。 編者は前田勇氏なのですが、同氏編の『江戸語大辞典』には「じんむいらい」が載っています。

2020-06-26 07:10:39
やぱ2 @lolvv

『江戸語大辞典』(1974年)は前田勇氏の没(1972年)後、氏の遺稿をもとに刊行されたもので、松村明氏の序によると原稿完成後急逝されたとのことです。講談社学術文庫『江戸語の辞典』は『江戸語大辞典』の縮刷版で同内容。

2020-06-29 21:02:48
やぱ2 @lolvv

『江戸語大辞典』の「神武以来」関連見出しは3つ じんむいらい 神武以来 じんむこのかた 神武此方 じんむてんのうこのかた 神武天皇此方 で、神武天皇此方の語釈に 「このかた」は「いらい」ともいったか。 と、あります。 神武此方の下*印「東西同義か東西異議か、または東西異同ある語」。

2020-06-29 21:19:16
やぱ2 @lolvv

前田勇氏の見解としては、近世上方語の「神武以来」は「じんむこのかた」だけで、江戸語は「神武以来(じんむいらい)」も「神武此方(じんむこのかた)」もある、ということか、それとも『近世上方語辞典』と『江戸語大辞典』の間に新発見があったのでしょうか。わかりません。

2020-06-29 21:27:11
やぱ2 @lolvv

神武以来 用例 出典 地域差 東西 江戸時代 上方語 江戸語 じんむいらい 削かけ(上方?) 銭湯新話(江戸) 両国の名取(江戸) 繋馬七勇婦伝(江戸) 娘太平記操早引(江戸) じんむこのかた 西鶴織留(上方) 冥途の飛脚(上方) 職介凧始(江戸?) 大通愛想尽(?)

2020-06-29 20:48:31
やぱ2 @lolvv

じんむこのかた 追記 世間娘容気(上方) 養漢裸百貫(上方)

2020-06-29 21:15:55
やぱ2 @lolvv

前にも書いたけど 西鶴織留は神武此かた 大通愛想尽は神武此方(らしい)

2020-06-29 21:29:34
やぱ2 @lolvv

「神武以来」読み方の法則(江戸時代限定) こうして見ると、『近世上方語辞典』にあるように、上方では「じんむいらい」とは読まず、「じんむこのかた」だったのかという気もしてくる(未確認の『削かけ』はとりあえず無視)けど、例外もあって、近松『嫗山姥』の「じんむいらいのりんきいさかい」 twitter.com/lolvv/status/1…

2020-06-29 22:21:38
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