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真坂 まひる @cannotbenoon
日本語教育の世界ではグローバルな考え方を要するが、「正月」はどのように捉えるべきなのだろう。 この世界に入る前から疑問に思っていたことだ。 アジアでは「旧正月」を祝う国の方が圧倒的に多いからだ。 この点、古文講師としての立場からも一家言がある。 そして自ら混乱を助長する...
古典文学や東洋史を解釈する上での「暦」の位置付けは重要
真坂 まひる @cannotbenoon
古典文学や東洋史を解釈する上において、「暦」の問題は侮れない。 大学受験の古文においても実は頻出事項なのである。 例えば「有明の月」と「夕月夜」。 和歌につきもののこのワードも、「暦」を把握していないと解釈しづらく、スムーズに情景を想像することも難しい。 ますますややこしく...
坂本龍馬暗殺日のズレ
真坂 まひる @cannotbenoon
坂本龍馬が斬殺された11月15日を龍馬の命日として墓参りをされる方も多い。 しかし、龍馬暗殺日は旧暦の11月15日であって、現代の暦では12月10日にあたる。 12月なら、あの日龍馬が風邪をひいており、軍鶏鍋を食べたがっていたのも納得がいく。 暦の重要さ、 少しは分かりやすくなったかな?
真坂 まひる @cannotbenoon
幕末、欧米列強との国力の差に愕然とした維新の英傑たちだが、同時にまた、我が国の伸びしろにも勝算を見出だしていたに違いない。 高い識字率、勤勉性、器用さ、地政学的有利さ、低廉な労働力etc。 貿易立国としての可能性を見たのは何も龍馬だけではあるまい。 そのために不可欠のものとは、、
真坂 まひる @cannotbenoon
維新直後の黎明期の我が国が欧米列強に伍するためにまず優先すべきであったこととは、、 法体系と商慣習の国際標準化。 岩倉具視と大久保利通を外遊に送り出し、留守政府を預かった西郷隆盛の焦りはどれ程であったろう。 ドラスティックな内政改革を矢継ぎ早に強行した。 つづく、、
太陰暦から太陽暦へ
真坂 まひる @cannotbenoon
西郷隆盛を筆頭とする留守政府が行った数々の改革の中で、最も注目されていないもの。 これこそ私は我が国の近代化に一番大きな影響を与えたと考えている。 太陰暦から太陽暦への移行だ。 ここでやっと元日から呟き続けている「暦」の話に戻る。 つづく、、
「暦」の発行と管理は人心掌握に必須だった
真坂 まひる @cannotbenoon
その昔、「暦」の発行を管理することは、人心掌握のための必須アイテムだった。 農耕でも商業活動でも、正確な暦がなければ死活問題となるからだ。 カレンダーのない生活を想像すれば容易に理解できよう。 それ故、国(幕府等)の認可を受けた機関でしか暦の製作・販売はできなかった。 つづく、、
真坂 まひる @cannotbenoon
今の時代、カレンダーなどすぐ手に入る。 企業から挨拶代りにタダでもらえることもあるし、あどけないグラドルがビキニを着て四つん這いになった写真付きのものだって手に入る。 この状況を昔の人が知ったら、卒倒するかもしれない。 「暦」は本来、もっと神聖なものであった。 つづく、、
日本におけるカレンダー販売の自由化は終戦後
真坂 まひる @cannotbenoon
我が国でカレンダーの販売が自由化されたのは、実は終戦後(1946年)からなのである。 日本に限らず世界中の為政者は、古代から近年まで、暦の製作・流通を厳しい管理下に置いてきた。 それ故、洋の東西を問わず、暦の製作を許可された者たちは絶大な権力を手中に収めたのである。 つづく、、
中世以前、「暦」の制作を許可された者は絶大な権力を持った
真坂 まひる @cannotbenoon
中世以前、占い師や呪術師が国家の中枢にいたことも上記のことと関係がある。 彼らこそ暦の製作者だったのだ。 最も有名な陰陽師である安倍晴明も暦の製作者であり、安倍家の家業も暦の製作が主であった。 西洋でも同様に暦の製作を独占した占星術師たちが絶大な権力を手にしていた。 つづく、、
ガリレオ・ガリレイの登場がひっくり返す
真坂 まひる @cannotbenoon
しかし、暦を作成し、権力をほしいままにしていた陰陽師や占星術師たちに驚天動地の事態が起こる。 ガリレオ・ガリレイの登場だ。 天動説をもとに未来を占っていた彼らにガリレオは言い放った。 あなた方がどれだけ過去のやり方と自らの権威に固執しようと それでも地球は周っている つづく、、
真坂 まひる @cannotbenoon
Ⅱ. 世界中にいた神祗官(日本では陰陽師)と呼ばれる官僚は、数学や物理学を駆使して天体の動きから占いを行い、政策決定に関与していた。 しかし、その占いは全て天動説に基づいて行われていた。 つまり、前提が間違っていたのだ。 ガリレオの登場で彼らにインチキ臭が漂い始めた。 つづく、、
真坂 まひる @cannotbenoon
Ⅱ. ガリレオはさらにこう言い遺した 我々はいつか天に召されるが、天が我々に近づく訳ではない 疑いは発明の父である なぜ君は自分の目で見ないんだ 私は教えない、君が気づく手助けをするだけだ 書物より経験、地位より経験、経験こそ私の師だ 全ての答えはこの宇宙に書かれている つづく、、
真坂 まひる @cannotbenoon
Ⅱ. このように数々の金言を連発したガリレオだが、もし現代の知能テストを受けていれば、優に180以上のIQだったと言われている。 彼はもはや一介の科学者というより、ダ・ヴィンチ以上の万能人と評されるべき人物であった。 しかし、残念ながら生まれた時代が悪かった。 つづく、、
真坂 まひる @cannotbenoon
Ⅱ ローマ協会の最盛期に生まれ、教会に逆らい地動説を唱えたガリレオ。 異端審問にかけられ終身刑の有罪判決を受けた彼は、最愛の娘を失い、自らの両目も失明し、失意のうちにその生涯を閉じた。 しかし、一度発見された地動説という真理までを、世界はなかったことにはできなかった。 つづく、、
真坂 まひる @cannotbenoon
Ⅱ. ガリレオの地動説によって、天動説をもとに国家の未来を占っていた神祗官たちはその説得力を急速に失い、いつしか政権の中枢から外れていった。 さすがに鎖国中の日本にその影響が即座に及ぶことはなかったが、それでも維新開国と同時(明治2年)に、我が国の陰陽寮は廃止されている。 つづく、、
「時間」は実は存在しないと主張する科学者の存在
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コメント

しょうちゃん @show__chan 2019年2月9日
雑学とはいえ、色々雑すぎる。 だいたい、現行のグレゴリオ暦が採用されたのはガリレオの生まれる前だし、カトリック司祭であるコペルニクスの地動説の再発見を無視しているし、そもそも教会は地動説でも天動説でもなく教会に賛成派も反対派もいて、ガリレオ裁判も色々な事情でやられた結果なのに(地動説は異端というのは言いがかりのきっかけに近い)。
いくら @YamadaIkra 2019年2月9日
「立春」は単に冬の真ん中「冬至」と春の真ん中「春分」の中間だろう。「江戸時代以前の太陰暦」と「太陽暦である農耕歴」を分けているが、日本の江戸時代、公式に使われていた中国暦ベースの太陰太陽暦は、太陽の運行による二十四節気が決まらないと「閏月」が決まらない。「3年に一度閏月を入れる」なんて大雑把な入れ方は、日本に中国暦が伝わる以前のものではないのか。
しょうちゃん @show__chan 2019年2月9日
show__chan 「訂正とお詫び」:グレゴリオ暦の制定(1582年)はガリレオが生まれる(1564年)前じゃなく、ガリレオが地動説を知人に話す(1597年、公言自体は17世紀初頭)前です。
しょーた @shota243 2019年2月9日
「しかし、龍馬暗殺日は旧暦の11月15日であって、現代の暦では12月10日にあたる。 12月なら、あの日龍馬が風邪をひいており、軍鶏鍋を食べたがっていたのも納得がいく。 暦の重要さ、 少しは分かりやすくなったかな?」 太陽暦の重要さがむちゃくちゃ良く分かった! 天保暦の11 月15日がグレゴリオ暦の何日だったかは年によって変わるからねえ。
義明_雑談用 @yoshiaki_idol 2019年2月9日
大雑把過ぎて個々の時代の実情に沿ってない記述が多いな。暦が時の権力者の占有事項だった、ってのは大きくは間違ってないが、ガリレオの登場と日本への影響のあたりは認識がズレてる。そもそもガリレオは1564~1642年、江戸時代で言えば寛永、家光の時代までの人物なんだが。
義明_雑談用 @yoshiaki_idol 2019年2月9日
ケプラーの登場で地動説が優位に立ち、吉宗が洋書の輸入制限を緩めた結果天文学などの知識が日本にもたらされ、さらに幕府発行の暦が日食の予測を外した一方、民間の学者がその日食を的中、その結果民間学者を幕府が登用、その学者らが最新の知識を導入しつつ従来の太陰暦に当てはめようと計算に苦心したり・・・そういう色々な事情があったんだがな、江戸時代後期は。
しょうちゃん @show__chan 2019年2月9日
そうそう、暦や地動説に関しては、同時代で比較するなら、ガリレオよりケプラーの方が重要なんだけどね。
#53 @hsgwkyt 2019年2月10日
現行太陽暦も本来は冬至元日で「その年の最初の新月」が正月一日だったんだろうなあ。その後ある年に正月一日を年の始めと定めて月を固定長にしたおかげで今の「天体現象と関係ない元日と月の動きと関係ない月次」になってしまったのだと思うw
柳川弥生 @pibililaspa 2019年2月10日
とりあえず最初は「天地明察」読むぐらいで良いと思う
物書きモトタキ@固定よろしく @motoyaKITO 2019年2月10日
鎌倉時代の初夢文化では「立春の間に見る夢」で、江戸中期の改暦で立春と正月が分離。「大晦日の夜」「元旦の夜」「2日の夜」「その辺の夜」の説が発生…、みたいな話を軽く調べたことがありまして。「正月と立春」の関係は意外と近いのかなあ、なんて。しかしコメ欄がその筋の人たち的なコメントばかりで面白い。
もうだめぽ @moudamepo150701 2019年2月10日
うるう月の話は志の輔が何かの落語のマクラで話してたな
#53 @hsgwkyt 2019年2月10日
「としのうちに春はきにけりひととせをこそとやいはむことしとやいはむ(大晦日前に立春が来ちゃったけど、ここまでの1年は去年なのかな今年なのかなw)」という古い歌があるくらいなので、元々立春と正月は別物だと考えるべきだと思うよ。
ぽっかりレモン☆アオサギ @aosagin 2019年2月10日
前説長すぎるよ…。正月に初詣に行かないメリットに空いてることを上げてるけど、2月が広まって常識になったら2月が混むからメリットとするのは無理がある気がする。十二支が植物の状態だという話の内容きになる。
義明_雑談用 @yoshiaki_idol 2019年2月10日
aosagin 「十二支が植物の状態」ってのはNHK「チコちゃんに叱られる」で紹介された「諸説の中の一つ」なので話半分でOK。
さどはらめぐる @M__Sadohara 2019年2月10日
天候気候は年によってばらつきがあるんだから、少なくとも第一次産業に関しては暦に縛られる意味はない。どうしても今と異なる正月が欲しいのなら、立春ではなく牡羊座の初日(春分の日)が妥当だとは思うが。
中村俊介 @g_o_finch 2019年2月10日
合理性という意味ではエチオピア暦が面白い。一年を30x12+5(6)の13ヶ月に分割する。
Dally @Dally_Shiga 2019年2月10日
wiki情報だと植物の成長と結びついたのも漢代の後付けとありますね
物書きモトタキ@固定よろしく @motoyaKITO 2019年2月10日
Dally_Shiga wikiは学術だとあんまりアテにならないので、どうなんでしょうねw
nekosencho @Neko_Sencho 2019年2月10日
そもそも地動説で有名なのはガリレオ以前に「コペルニクス的転回」で知られるコペルニクスというのがいてだな……
nekosencho @Neko_Sencho 2019年2月10日
しかもガリレオの時代、科学的にはどう見ても天動説のほうが正しかった。 年周視差が観測できなかったのだな。 だから当時の大天文学者チコ・ブラーエは、天動説と地動説の折衷案のようなモデルを提唱したりもしていた。(「チコの星」で有名。 ガリレオといいチコといい、「名前」で残されてることのすごさをわかってほしい
#53 @hsgwkyt 2019年2月10日
地動説と占星術の対立という話もかなりアレで、そもそも地動説の導入を促したのは「正確な天体位置の計算を必要とする占星術師達」であって、ケプラーの地動説に基づく天体位置計算の成果を最初に享受したのも占星術師だぞw
義明_雑談用 @yoshiaki_idol 2019年2月10日
ツイート主が調子に乗ってまた十二支の解説ツイートを始めたけど>https://twitter.com/cannotbenoon/status/1094525002362187778、このコメ欄での反応とか見てないのか?「子」は鼠ではなく「受精卵」を表す、とかもどこから得たネタか解らんし、そもそもまとめ内のツイートにしても出典とか参考文献とか一切出してないし。そろそろ「トンデモ」のタグが必要かも。
いくら @YamadaIkra 2019年2月10日
「十二支 受精卵」でググると「十二大従星」「算命学」ってのが出てくる。中国発祥と称する日本産の占い体系らしい。良く知らない。まあ単に十二支を植物の生長にあてたという漢代以降の解釈とやらを動物の成長にあてただけじゃないかな。漢代の説文解字に見られる字義からして、十二支は「万物がナントカ」であって植物限定じゃないし。
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