マンガの「ネーム」はいつから描くようになったのか?
- makoto_oda
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@JunyaTheSphere @009usaya 漫金超の「サンバーグズ・ヒルの想い出」では、ネームというわけではないけど、写植を打っておくための下描きのコピーはもらいました。まあ、そんなに慌てて写植打つ必要は全くなかったわけですが(笑)。 pic.twitter.com/gErzRcvKJy
2019-02-22 11:04:08おざわゆき先生の場合
公式サイト letre-comic.com 講談社BE・LOVEにて連載中「またのお越しを」2巻発売中/「傘寿まり子」(講談社漫画賞受賞)全16巻発売中/集英社クリエイティブ「LP〜ライフ・パートナー〜3番目の配偶者全3巻発売中/着物歴22年/フレデリック大好き
@009usaya 私の新人時代はネームばかりやらさせましたが、某大手で描いてた少し年上の友人作家はたしかにネームやらないです…
2019-02-21 14:49:08@009usaya ネームの歴史を辿るのも面白いかもですね。調べるの大変でしょうが。私の頃は原稿にしちゃうともう直せないから、みたいには言われてました。
2019-02-21 14:58:2170年代少女マンガ、坂田靖子先生の場合
@009usaya @yukiozawa 1969年頃、「若草」で知り合った年上の漫画家志望者たち(担当さん付いてる)は、いつも編集部にネームを持って行ってました。当時の少女雑誌編集部はどこもそうだったかと。私は70年(中学生です)に別マ編集長に「次はネームで持ってきて」と言われました。
2019-02-21 23:31:16*「若草」に関しては以下のリンク参照
@009usaya @yukiozawa その編集長、小長井さんは後に「花とゆめ」では坂田靖子先生には自由に描かせた、と坂田先生がどこかに書いてましたね。あなたの作品は僕にはわかんないから、と(笑)
2019-02-21 23:34:38@sasounami @yukiozawa 少女マンガの方がよりネームへのステップが明確かなと思ったりするのですが、少年誌のことがあまりわからないのですが…
2019-02-21 23:36:04@009usaya @yukiozawa まんがスクールを確立させたのも少女誌ですしね、少女漫画の方が新人教育に熱心だったと思います。少年誌がどうだったのか、知り合いがいなかったのでわからない~
2019-02-21 23:39:44@sasounami @009usaya 坂田先生、ネーム描いてないんですか!!今もそうなんですかね。編集さんが手を入れるのは難しい…でもたしかにあの世界観は人がどうこう言えるものじゃなかったですね。ネームの話だけでもいろんなパターンが見えて来ますね!
2019-02-21 23:40:15@yukiozawa @009usaya 編集さんにみせないけど自分用のネームは創る、というタイプの可能性もあります…が、とにかく編集チェックは不要と。
2019-02-21 23:43:37六田登先生の場合
@009usaya @masyuuki 1980年頃に六田登先生の臨時アシに入りましたが、ネームが出来てたその段階で編集さんと打ち合わせしてその週の『ダッシュ勝平』ほぼ全面ネーム直しみたいな事ありました。アシ来てるのに(^_^;)。まあその場で変更ネーム作ってるって感じでしたが。
2019-02-21 23:54:15@009usaya @masyuuki あとそういえば弓月光先生の『ああ!まんが!』という短編(1972)で、主人公の新人漫画家が小さな冊子みたいに描いたネームを持って編集部に打ち合わせに行くシーンがありました。「ネームできましたか?」なんてセリフでもちゃんと言ってる。
2019-02-22 00:06:05弓月光先生の場合
集英社一筋50ン年、毎月第1、第3水曜日発売のグランドジャンプに「甘い生活」とか「瞬きのソーニャ」とかを描いています。 本来筆無精なので煩雑にはつぶやかないと思います(^^;)