「再就職不可能」の謎を追え! ~江若鉄道キハ51・52気動車に纏わる話~

かつて滋賀県に存在した大規模非電化地方鉄道「江若鉄道(こうじゃくてつどう)」。JR湖西線の開通によって廃止された後、活躍していたディーゼルカーやディーゼル機関車は日本各地の私鉄に譲渡されました。ところが、第二次世界大戦前のディーゼルカーが第二の職場を見つけたのに対し、戦後に製造された2両のディーゼルカー「キハ51」と「キハ52」はそのまま解体されてしまったのです。 製造から16年、人間でいえばまだまだ働き盛りの車両は、何故「再就職先」を見つけられないままスクラップにされてしまったのでしょうか? 日本鉄道史に残る謎の1つにまつわる一連のツイートをまとめてみました。
19
靖間 誠 @SEI_YASUMA

@profenigma @darbyz80 @iloha_train 江若ではキハ51・52は単行あるいは貨車牽引などに利用された由ですが、このギア比を見るとそれ以外に使いようがなかった、というのが正直なところではなかったかという気がします。

2019-02-26 00:56:24
靖間 誠 @SEI_YASUMA

@profenigma @darbyz80 @iloha_train あるいは戦後製で比較的車齢の若いこの2両が譲渡されないまま解体されてしまったのは、台車に装架された最終減速機周りの交換・改造を実施しないと足が遅すぎて使い物にならないと見られたことが原因だったのかもしれません。

2019-02-26 02:56:41
靖間 誠 @SEI_YASUMA

@profenigma @darbyz80 @iloha_train 線形が平坦な江若鉄道の場合は戦後に気動車1両がトレーラーを牽引する運転形態が常態化していましたから熊延ヂハ201の歯数比でも使途がありましたが、江若以外で戦後そんな運用を行っていたのは島原鉄道位で、そこでも気動車は総括制御前提で牽引は2機関車のみでしたから江若廃止で即解体も当然かと。

2019-02-26 13:06:19

【補足:トレーラー牽引】
昔の日本の国鉄や私鉄では「気動車(ディーゼルカー)」が機関車のように客車や貨車を連結する列車が多数見られました。現在もヨーロッパでは各地でそのような運転が見られますが、日本では1969年の時点で既にかなり少なくなっていたようで…。

彩葉 @iloha_train

@SEI_YASUMA @profenigma @darbyz80 熊延は勾配区間があったり、朝ラッシュ時には客車2両を引っ張る運用をこなしていたようです。しかも、一時期行ってた豊肥線水前寺への直通運用には使われなかったそうで。 なるほど、牽引力重視の性能でしたか…。確かに譲渡してもトルコン変えない限り使えなかったのでしょうね。

2019-02-26 13:14:42
靖間 誠 @SEI_YASUMA

@iloha_train @profenigma @darbyz80 いや、トルコンは他社もそうでしたが国鉄工場に全検委託する状況では他に選択肢がある訳でもなく、標準のTC2でしょうから問題はないのです。問題は最終減速機内蔵の逆転機の歯数比でして。

2019-02-26 13:18:29
彩葉 @iloha_train

@SEI_YASUMA @profenigma @darbyz80 あ、こりゃ失礼。そうか、最終減速の問題でしたね。そりゃ厳しいか。

2019-02-26 13:23:01
靖間 誠 @SEI_YASUMA

@iloha_train @profenigma @darbyz80 あの部品はつまり巨大なベベルギアなので結構高価で、おいそれと交換出来なかったものと思います。

2019-02-26 13:21:47
靖間 誠 @SEI_YASUMA

@iloha_train @profenigma @darbyz80 ここの歯数比は機関直結段でも影響するので、ここで主力の42000の3/4しか速度出ない設定ではさぞ扱いにくかったと思います。

2019-02-26 13:25:11
金髪碧眼メイドのダービー爺さん @darbyz80

靖間 誠 @SEI_YASUMA さんのギア分析でキハ51・52がかなりの鈍足だったのではと解ってきました。購入してもギヤ周りの改造や総括制御改造も考慮すると安い買い物にはならないから買い手が現れなかったというのは、かなり真相に迫る推理と言えそうです。twitter.com/SEI_YASUMA/sta…

2019-02-26 09:35:33

【結論:居場所は日本のどこにもなかった】

金髪碧眼メイドのダービー爺さん @darbyz80

@SEI_YASUMA @profenigma @iloha_train だいたい結論がまとまった感じですね。 当該車輌は熊延のかなり特殊なカスタマイズが施されてた。でも江若は使いこなせるあてが有ったから中古購入して使った。廃止で売る段になって買い手付かなくて当然物件だったけど、パッと見には解らなかった、と云う訳か。 twitter.com/profenigma/sta…

2019-02-26 13:16:18
甘木@欅道居士 @profenigma

自社発注車と国鉄制式車払い下げが末期江若の基本な中での熊延中古購入は奇異の感はある。 すでに中古購入当時、国鉄湖西線建設が具体化してきており、その中での熊延中古増備は、あくまで補助的なものだったと見た方がいいかも。 これらは江若末期までの癖である主力車への重改造の対象になってない

2019-02-26 12:52:27
金髪碧眼メイドのダービー爺さん @darbyz80

@SEI_YASUMA @profenigma @iloha_train 車齢、機関、台車、制御の方式、車体の見ため、といった普通の趣味者の気動車分析では見えてこない要素=最終減速比、とそこから判る車両の用途、で即解体必至の特殊車輛かあ、面白いものだなあ。

2019-02-26 13:26:08
甘木@欅道居士 @profenigma

お二人の鋭い考察。 さらに江若キハ51・52は17m車で、もともと熊延鉄道の勾配に適化した軽量化策だったのだろうが、これも輸送力を重んじる関東鉄道などでは「これにDMH搭載は過大、収容能力が…」となったろうし、弱小私鉄にはより経済的な統制型DAやDMF13に積み替えるにも重くて得策でなさそうだ twitter.com/darbyz80/statu…

2019-02-26 12:45:49
甘木@欅道居士 @profenigma

自社発注車と国鉄制式車払い下げが末期江若の基本な中での熊延中古購入は奇異の感はある。 すでに中古購入当時、国鉄湖西線建設が具体化してきており、その中での熊延中古増備は、あくまで補助的なものだったと見た方がいいかも。 これらは江若末期までの癖である主力車への重改造の対象になってない

2019-02-26 12:52:27
甘木@欅道居士 @profenigma

さらに、江若は相当にしぶとい会社でもある(国鉄相手の補償交渉ではかなり好条件をとっている)。売れる車両はできるだけ高値で売ろうとするだろう。 となると、比較的車齢の若いキハ51・52に実用には割高な値付けをして、関東鉄道等から敬遠される結果になった、と考えても面白そうだ(想像ですよ)

2019-02-26 12:56:11

【補足】
分かりやすく言えば、キハ51・52が得意とする「客車を牽引して走る」気動車列車に適した鉄道路線は、江若鉄道が廃止された1969年の時点でほぼ日本から無くなっていたーーこの2両の気動車の居場所は、日本のどこにもなかったと言う事なのかもしれません。

そう考えますと、最後の数年間だけでも日本屈指の大規模非電化鉄道・江若鉄道で活躍できただけでも幸福だったのかもしれないですね……。

【余談:キハ51・52の外見について】

靖間 誠 @SEI_YASUMA

@profenigma @darbyz80 @iloha_train そういや熊延ヂハ201で思い出しましたけど、あの車、前面窓が変な開き方してたんですよねぇ。車掌台側がちょっとだけ上の幕板に入って下側が開くという湘南顔では前代未聞の変な構造で。

2019-02-26 00:26:22
靖間 誠 @SEI_YASUMA

@profenigma @darbyz80 @iloha_train 夏の暑い熊本故、通風を良好にすることをユーザーである熊延鉄道側が強く求めて実現した構造と思いますが。

2019-02-26 00:27:58

【おまけ:鉄道車両の体重詐称問題】

靖間 誠 @SEI_YASUMA

ちなみに昨日RTしてた「竣工図などでの公称自重と実測自重の乖離」だけど、大声では言えないが関西私鉄の戦前製超200PS級電動機搭載車では日常茶飯事状態だった。

2019-02-26 10:20:55
靖間 誠 @SEI_YASUMA

具体的に言えば、阪和電気鉄道の電動車は一律に自重47t~48.56tを公称したが、日車カタログ掲載のモタ300形のページを見ると「重量(自重)」として53t、公称自重から4.5~6tも重い値が示され、他社でも構造の全く違う車が一律に同じ自重を公称した例が山ほどあって、公称自重は認可を得る方便と判る。 pic.twitter.com/11lpN4hVok

2019-02-26 10:23:55
拡大
靖間 誠 @SEI_YASUMA

なお阪和の例は写真で判る様にたまたま開業前の納入故にメーカー側で機器艤装まで済ませた状態で出荷した為に完成状態での実測自重が記録されてしまった(当時は大概鉄道会社に車体や機器が別々に納品され、自社工場等で艤装するのが当然だったので今と違い艤装済みで納品する例は珍しい)物である。

2019-02-26 10:28:59
靖間 誠 @SEI_YASUMA

付言すると参急2227と大軌1400は基本設計の共通する姉妹車であったが、前者は2扉セミクロスシート、後者は3扉ロングシートで内装や扉数が異なっていたにもかかわらず、公称自重は前世代の参急2200と全く同じ47.5tとされていた…んな訳なかろうに。

2019-02-26 10:38:51