数学の哲学は何をなしうるか。

とある神経科学者の「定理とその証明を与えることができ、さらにまた、新たな公理体系とその内部での定理を生成することもできる機械ができた場合、その機械の仕組みを記述すること以上の哲学的な問題は何だろうか?」という問いをめぐって。もっぱら個人的な備忘録。
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はやし @t_hayashi

@kkjts また、ぼくには、神経回路網の振るまい(ミクロ)とその現れ(マクロ)をつなぐのに、哲学、あるいは哲学的考察は、ひじょうに重要な役割をなす、そのようにも思われます。

2011-05-08 08:07:31
はやし @t_hayashi

@kkjts つまり、ミクロ/マクロ間の行き来はある種の「解釈」であらざるを得ず、そうした解釈の一意性、あるいはもっと根源的にそうした解釈の成立可能性そのものが問われざるを得ない、そんな気がするのです。

2011-05-08 08:08:19
はやし @t_hayashi

@kkjts ともあれ、まとめますと、1) ぼく個人としてはある謎の解決をどの学問分野がなすかについての先取権については興味がない、2) しかしながら、現況を鑑みるに、神経科学側からの「数学という営み」にかんする謎の解明には、もしできたとしても時間がかかりそうである。

2011-05-08 08:12:23
はやし @t_hayashi

@kkjts 3) ゆえに、哲学としても、そうした謎の解明に向けて、自らがなせることを粛々となすべき; 何となれば、そこでなされたことがひるがえっては他の学問分野における謎の解明に役立つかもしれないから。

2011-05-08 08:18:07
はやし @t_hayashi

@kkjts 4) さらには、かりに神経科学が「数学という営み」にかんする謎に一定の解答を与えたにしても、それはあくまで「一定の解答」にとどまり、その謎について哲学が考えることがなくなると必ずしも考える必要は、いまのところない。

2011-05-08 08:19:46
はやし @t_hayashi

@kkjts 5) ゆえに、最終的にどう事態が推移するにせよ、とりあえず今現在は、哲学にしても神経科学にしても、それぞれの領分のなかで、しかしながら他領域の動向にじゅうぶん注意しつつ、そのなしうることをなすべきである。

2011-05-08 08:21:06