南斉に、江謐、字を令和、北魏の趙邕,字令和、齊の叛臣に乞伏慧、字令和、北魏の李令和は名か字かは不明。とりあえずあざなに使われやすい感じ。『論衡』の注に「導氣令和,引體令柔」とある。一番古いのは『黃帝内經』:靈樞·終始篇第九 guoxuemeng.com/guoxue/10724.h… か?
2019-04-01 18:11:17ちなみにここに名前が挙がっている人の伝は、趙邕が魏書列伝第八十一恩倖に、江謐が南斉書列伝第十二に、乞伏慧が隋書列伝第二十に、それぞれあります。twitter.com/JUMANJIKYO/sta…
2019-04-02 09:06:24ところで『大漢和辞典』に「令和」載ってるんだけど結構号として人気あるんだ。 pic.twitter.com/c8mwqBhC4y
2019-04-01 16:08:06ちょっとだけ、それぞれどういった人だったかを書いておきます。 趙邕は北魏の人で、官僚でした。 恩倖に伝が立てられましたが酷吏にあったもそこまで違和感はないかもしれません。幽州刺史として同地に赴いた際は民衆から財貨を貪ったような人物なので。(魏書には「在州貪縦」とある)
2019-04-02 09:13:54また、范陽の蘆氏の娘と婚姻を結ぼうとした際、その母からは認められませんでした。(魏書には「女父早亡」とあり、この時には既に父は死去していた) 母は北平の陽氏に娘を匿ってもらいましたが、趙邕は陽叔を拷問し、遂には死に至らしめました。陽氏は冤罪を訴え、中散大夫の孫景安が事情を調査。
2019-04-02 09:18:54@1059kanri そうですね。誰かに言われる前に、私は『「令和」という言葉そのものが正史「三国志」にあるから、これが出典だ!』という奇説を唱えておきましょう(笑)。極端に言うと、こういうことがなされていく可能性もあるわけです。 pic.twitter.com/ttbESkRaIT
2019-04-01 23:18:03『三国志』魏書董二袁劉伝裴注所引『献帝起居注』の「欲令和解」より張衡「帰田賦」のほうが古かったか。うーむ、残念(何が?)。
2019-04-01 23:20:21みんな大好き三国志にも一応「令和」という文言は有るのだった。全然万葉集と関係ないけどね。 「(張)承字仲嗣…生女,(孫)權為子和納之。權數令和脩敬於承,執子婿之禮。」(呉書張承伝) これは孫権がしばしば息子の孫「和」に命「令」して義父の張承を敬いなさいといった話。
2019-04-03 23:57:00中国のメディアが「令和は我が中国の古典にある言葉だ!」と言い出して『黄帝内経』から何から持ち出してワーワー言っているが、正直「和(人名)に令す」みたいな万葉集と関係のない出典ばかりで「いや、そこまでこじつけないといかんのかな…」と思う…
2019-04-03 23:50:44あ、そうそう、「いや、あれは典拠は『万葉集』ではなくて「帰田賦」でしょ!」というのはアリだと思う。というか、授業では積極的にそういう話をとりあげたい。
2019-04-01 15:17:42あとな、これは言い忘れていた真面目な話だけれども、出典論というのは「〇〇というのは実はさらにさかのぼって××が典拠でした!」という指摘だけにとどまっていたら意味がないんよ。「〇〇の典拠は××なので、つまり〇〇についてはこう理解できます」という豊かな読みを提示しないと意味がないのよ。
2019-04-01 17:36:25