「誰もが、誰かを妬んでいる」と「誰もが、誰かから妬まれている」の差異

「誰もが、誰かを妬んでいる」の受動態は存在するか? 「誰もが、誰かをねたんでいる。」 「誰もが、誰かからねたまれている。」 …この差異とは何か? 続きを読む
6
ytb @ytb_at_twt

18世紀の人、そりゃ分かっていたと思いますけど、何が違うのか、ちゃんと説明できなかったと思いますよ。 twitter.com/t_magyar/statu…

2019-09-12 08:11:47
織作 昌治 @T_Magyar

@Cristoforou 妬むからいけないんですよ。 「誰もが、誰か好きな人がいる」 →わかる。 「誰もが、誰かから好きだと思われている」 →いや、それはどうかな。特にお前はな。 中学生でもわかるし、18世紀の人でもわかったと思う。

2019-09-12 07:47:23
けーた @ke_ta3

飯田隆『言語哲学大全I』p.19の例で述べているのは 「誰もが誰かをねたんでいる」(∀x∃y型) と 「誰かが誰もからねたまれている」(∃x∀y型) の違いであって、 「誰もが誰かをねたんでいる」(∀x∃y型) と 「誰もが誰かからねたまれている」(∀x∃y型) との違いではないですね。 twitter.com/ytb_at_twt/sta… pic.twitter.com/ELnIZzyMTO

2019-09-12 21:03:57
ytb @ytb_at_twt

①新井先生はいつもの通り勇み足 ②「誰もが誰かを妬んでいる」と「誰もが誰かから妬まれている」はフレーゲの量化子の説明で、自然言語の数学的分析の結果だが、集合論の話とは間接的にのみ関係する ③でもこの区別もできない人はそもそも文学作品だってちゃんとは読み取れないのではないか twitter.com/RochejacMonmo/…

2019-09-12 07:53:12
拡大
けーた @ke_ta3

前者の違いの分析には確かに述語論理が必要だけれど、後者の違いは単に能動形か受動形かの差なので、「こんな簡単なことを説明するのになんで集合とか写像とか論理式が必要なの?」という@Cristoforou 氏の疑問は正当なのでは。

2019-09-12 21:21:03
RochejacMonmo @RochejacMonmo

国が推奨している大学生の1/4をAI人材にしようという目標と比較して、 この2文の差異がわからない人、つまり集合から集合への対応の定義がわからない人がAI人材になれそうにない と主張するのもまだわからなくはない。 次のような個人的な経験を語るのも新井氏にとってはそうだったのであろう。 pic.twitter.com/FBFDK5Pi5P

2019-09-12 03:11:17
拡大
RochejacMonmo @RochejacMonmo

19世紀末に集合や写像や論理式が導入されて初めて明確に説明できるようになった事柄で、大学数学で自分は学んだと述べていて、しかも数学の指導要領には写像や論理式は入っていない状況で、なぜこの2文の違いを教えていない国語教育が批判されなければならないのだろう?新井氏の論理が不明だ。 pic.twitter.com/wp3kyldQkq

2019-09-12 03:23:03
拡大
RochejacMonmo @RochejacMonmo

国語教育が文学偏重か、自身の受けた経験が一般化可能か、新しい「論理国語」が事実について書かれた文章を正確に読んだり書いた入りすることに重きを置いているか、そもそもそういうことに国語教育はどの程度関わるべきか、論点は様々だが、新井氏の批判はそういう建設的な議論以前のレベルで不明瞭。

2019-09-12 03:26:51
RochejacMonmo @RochejacMonmo

新井紀子氏の新著。まだちゃんと読んでいないが、リーディングスキルテストの体験版として掲載されている問題の中でも、具体例同定の問題群は少々微妙な問題が多いように思う。

2019-09-12 03:56:06
RochejacMonmo @RochejacMonmo

南風原朝和「高大接続改革の縺れ」ー公開講座「縺れ」2018 youtube.com/watch?v=ANKu3p… 良くまとまっている講演だと思うが、こういう方の意見が十分反映されず、指摘され続けてきた問題点が放置されてたままなのが最大の問題。

2019-09-12 04:05:53
拡大
RochejacMonmo @RochejacMonmo

例えばこのスライドで指摘されている観点は重要。 「知識→思考」という一方公的な関係を想定して、「知識」の先の、「知識」の上の、「知識」とは別の、抽象化された「思考力・判断力」の評価を求めると、あらぬ方向に特殊化したテストになる はまさに現状を的確に表現している。 pic.twitter.com/gM4IFl0CuU

2019-09-12 04:08:11
拡大
RochejacMonmo @RochejacMonmo

ただ、私は、新共通テストの国語記述式問題を、 基本的に「読解問題」 とまとめることには否定的だ。講演の中で複数テキスト型の問題に理解を示しているかのような発言があるのも懸念点。 新共通テスト記述式の国語は、「読解」ではなく、出題者の恣意的な主観に寄り添うことへの事実上の強制だ。 pic.twitter.com/sIJ7IXFmDM

2019-09-12 04:12:07
拡大
ytb @ytb_at_twt

①新井先生はいつもの通り勇み足 ②「誰もが誰かを妬んでいる」と「誰もが誰かから妬まれている」はフレーゲの量化子の説明で、自然言語の数学的分析の結果だが、集合論の話とは間接的にのみ関係する ③でもこの区別もできない人はそもそも文学作品だってちゃんとは読み取れないのではないか twitter.com/rochejacmonmo/…

2019-09-12 07:53:12
RochejacMonmo @RochejacMonmo

新井紀子氏の新著の中で 「誰もが、誰かをねたんでいる。」 と 「誰もが、誰かからねたまれている。」 の差異を手掛かりに述べられた一連の記述がある。 率直に言って、この差異が明確に説明できない人がたくさんいるということを、高校までの国語教育への批判につなげる文脈が全く理解できない。

2019-09-12 03:06:35
uncorrelated @uncorrelated

話題の女史が、文学作品の記述をしっかり読み取るタイプなのか問題。

2019-09-12 13:00:44
uncorrelated @uncorrelated

「高校までの国語教育で十分な論理トレーニングを積めなかったので、大学で論理が求められる数学教育を受けるまでは誤謬推理に陥りがちだった。しかし、論理的思考は本来、国語教育で研鑽すべき能力である。」とおっしゃりたいのだと思います。 twitter.com/RochejacMonmo/…

2019-09-12 13:15:27
uncorrelated @uncorrelated

「妬む」を「好き」に変えてしまうと、人間の本性に対する洞察が失われてしまうので味気なくなるし、自分を妬む人はいないと見なせる一方、自分が大好きな人はいっぱいいるから…いや誰かには自分は含まれないのか? — などと考えてしまいます(;´Д`)ハァハァ

2019-09-12 13:32:05