暴力・いじめ・差別:言語ゲームとしての社会認識とその暴力構造について。
おそらく、日本人の言語感覚からして、超越論的語法を使用する西欧人のアカデミックなテクストの翻訳を目の前にすると、自動的に自らを従属の位置に置くことになる。同様に、超越論的語法での対話を身につけた人間のアカデミックな話法を聴くときも、同じ心理的メカニズムが働く。
2011-05-31 01:48:34今日、anan読んで思ったこと。「謙虚にしていないとみんなに叩かれるよ」と言う人がいるが、なぜその人は、叩かれる人に注意して、叩く人には文句を言わないのだろうか? そうやって、他人の名のもとで、無自覚に構造的暴力に荷担しているということに気づいていないのだろうか?
2011-05-31 15:00:20ただし、本当に、相手が叩かれて傷ついているときに、緊急回避として、どのように振る舞えば叩かれないようになるのか、を伝えていくことは、相手にとって重要なこともある。だけど、それを、その構造的暴力に荷担していると感じさせることなく伝えるのは、とてもとても難しい。
2011-05-31 15:03:11もし自分の中に、「相手にこういう悪いところがあるから、それは相手が変えなければいけない、あるいは私が変えてやらないといけない」という思いが少しでもあるのなら、何も言わない方がましだ。自分が善意のつもりであれ、相手を変えようとすること自体が、すでに暴力であることを知る必要がある。
2011-05-31 15:07:26僕が、「他人のことは、まずはそっとしておくのがデフォルトだ」と言うのは、自分の善意あるいは悪意による暴力を最小化することが、まずはもっとも大切なことだと思うから。
2011-05-31 15:12:03ただ、このあたりは非常に難しいところで、たとえば性犯罪被害者が「なんで自分の落ち度ばかり責められるのか」というのは非常に正当なことだと思う。ただし、被害者になりうる人が、どのように被害を回避していくのかその実践的なノウハウを語ることまで禁止されてしまう現状は、性被害の拡大を生む。
2011-05-31 15:15:01性犯罪被害者と加害者との関係で、性犯罪被害者の方が回避するというのがより短期的に実践的に有効なのは、残念ながら、両者の関係が非対称だから。被害者(になり得る人)は被害を回避したいと思っているのに対し、加害者は加害することに快楽を感じているのだ。加害者の欲望を変えるのは難しい。
2011-05-31 15:24:32他人が、加害者の欲望を変えることが難しいのだとすれば、法的な条件を変えていくしかない。今の強姦罪の規定は、事実上、ほとんど強姦を擁護する機能を果たしていると言っても過言ではないからだ。
2011-05-31 15:25:58全く同意。「お前ってデリカシーないよなぁ」などと平気で他人を批判するヤツっているけど、「そんなひどい批判ができるデリカシーのなさ」の方は不問なのと同じ構造。 RT @ishtarist …「謙虚にしていないとみんなに叩かれるよ」と言う人がいるが、なぜその人は…
2011-05-31 18:34:05@ishtarist う~ん、まぁ他人は変えられないけど自分は変えやすいってとこでしょうか?あと叩く側は多数だし、叩かれる側は少数。多数に文句を言っても数的不利だから、文句言った人も叩かれる(^^;それはイヤだよね、ってことなんでは?忠告する人はまだ良い方で、最悪は無関心かなと。
2011-05-31 18:39:51子どものいじめも一緒“@ishtarist: 今日anan読んで…「謙虚にしていないとみんなに叩かれるよ」と言う人がいるが、なぜその人は叩かれる人に注意して叩く人には文句を言わないのだろうか?そうやって、他人の名のもとで、無自覚に構造的暴力に荷担しているということに気づいていな
2011-05-31 19:40:11そもそも発言の意図が遠まわしな「鼻持ちならないよお前」という指摘なのでは。 RT @ishtarist: 「謙虚にしていないと叩かれる」と言う人は、なぜ叩く人には文句を言わないのか? 他人の名のもとで、無自覚に構造的暴力に荷担しているということに気づいていないのだろうか?(要約)
2011-05-31 19:47:19目からウロコ!あ気づいてなかったの私だけ? RT @ishtarist: 「謙虚にしていないと皆に叩かれるよ」と言う人がいる。なぜその人は叩かれる人に注意して叩く人には文句を言わないのだろうか?他人の名のもとで無自覚に構造的暴力に荷担しているということに気づいていないのだろうか?
2011-05-31 19:48:50私的意見です→自覚は無いと思いますが、昔から“長いモノには巻かれろ“的なところが潜在的にあるのでは?「他人の名のもと」だから余計にタチが悪い…。RT @ishtarist他人の名のもとで無自覚に構造的暴力に荷担しているということに気づいていないのだろうか?
2011-05-31 20:14:14その人も叩く側だからでしょう。 RT @ishtarist (略)「謙虚にしていないとみんなに叩かれるよ」と言う人がいるが、なぜその人は、叩かれる人に注意して、叩く人には文句を言わないのだろうか? そうやって、他人の名のもとで、無自覚に構造的暴力に荷担しているということに(略)
2011-05-31 21:46:27そう、Xするとたたかれるというのは、たしかに、たたかれることが構造化されていることの暴力性を把握していない時点でナイーブと言わざるを得ない。討議により民主的に決定された決まりでない限り、何らかのシステム上で効用最大化の為にコンセンサスを得るためには強制力が必要(ルーマン)。
2011-05-31 21:46:31それは差別がいい例、反差別を叫ぶとたたかれるという状況があるとする。この場合、問題は、たたかれる反差別を叫ぶ側に見えるかもしれない、しかし、実際は差別をすることで既得権を保ちたい人のdiscourseにそって言語ゲームのルールが設定されているということ。そのルールを批判するべき。
2011-05-31 21:49:55仮に自分の気に食わない態度の人を見たら、謙虚じゃないと認定する、という言語ゲームの規則を設定していたとする、すると、私はあらゆる人間を謙虚じゃないと叩ける。私はこういう主観的なルール設定をさせないために、価値判断語があるときに普遍的定義を問う。”健全””普通””正常””本質”など
2011-05-31 21:54:50人は無意識的に主観的言語ゲームのルールを設定している場合がある(それが関主観的でない場合がある)、だから注意が必要だ、特に価値判断語を多用する人に対しては。事実判断語ならば、合理性あるいは科学という言語ゲームの可能性は高いので納得できるのだが。そうでない場合ももちろんあるが。
2011-05-31 21:58:06なので、私がそれは「あなたにとってのでしかない」といった場合はその言語ゲームのルールには普遍性も関主観性も一貫性もないですよ、と言っているということ。
2011-05-31 22:01:40@saisias そうですね・・・。ほんと、子供のいじめも一緒で、場合によっては、教師もその構造に荷担することがあるのが悲惨です。
2011-05-31 22:11:35上から目線とか、どや顔とかも結局そう。自分が感情的に気に食わない人をそう認定するという自分勝手な言語ゲームを設定してそれが客観性を持ってると勘違いしている人がほとんど。少なくとも、これらの用語の普遍的妥当なあるいは科学的に検証可能な手続きを示してくださった方を見たことがないので。
2011-05-31 22:27:08だから、こういうナンセンスな批判が来たら、それの普遍的妥当で一貫性を持った定義ができない限り無視して構わない。その言語ゲームの独善性に気が付かないほど鈍い感性の持ち主か、確信犯的にそれを理解してあえてそうふるまってる社会性がない人間かのどちらかなので。
2011-05-31 22:29:31「そんなことしてたら、みんなから○○って言われるよ」的な批判には、一切耳を貸す必要はない、と僕は個人的に思う。というか、僕は一切貸してない(笑)。相手が、その人の責任において言う言葉だけが、重みと意味がある。
2011-05-31 22:33:15今日、人と話していて思ったこと。日本の公教育システムは、子供たちを、成績や運動能力といった一つの平面上に置くだけでなく、みんな同じペースで行動することを求める。それゆえ、子供たちを互いに比較し争わせ、はみでる人間を必ず創り出す。公教育システム、それ自体が虐めの温床なのだ。
2011-05-31 22:58:06