丹生谷貴志について

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@ttt_vert

@hallucinyan にゃんが『死者の挨拶で夜がはじまる』冒頭の丹生谷インタブをどう読むかに関心がある

2011-06-07 21:30:40
@ttt_vert

@hallucinyan 図書館とかで適当に借りて、風に泳がせるように頁をたまに開いてちらっちらっと読めばいいんだよ丹生谷は。じっくり読まなくていい。

2011-06-07 21:36:20
@ttt_vert

@hallucinyan 対談最後は、ほとんどひきこもりのような話だし、ソレルスのTVをつけたまま暖炉のように放置するあたりはたんぶらをだらだら見てるのとちょっと似てるんだよ

2011-06-07 21:39:58
@ttt_vert

@hallucinyan インタブ自体は30頁程度だし、他の記事は気が向いたら貸出期間中にぱらぱらめくって興味あるところから読み出すぐらいでいいと思うよ。ネタバレしちゃうけど、インタブは、テレビを見てるのは電車の窓みたいなもので僕にとっては「外出の擬態です」と結ばれるの。

2011-06-07 21:45:16
@ttt_vert

@hallucinyan まあ、丹生谷にはセクシャルな主題はあんまりないんだけどね。彼は極度の明るい人間嫌いだ。私の人間嫌いは丹生谷からの影響なんだと思う(石岡さんにも前にそう言われた)

2011-06-07 21:47:45
@ttt_vert

@hallucinyan そうじゃなくて、人間嫌いの人にとって馴染みやすい言葉があるというか、ほっとするところがある。「このころは就業の不安定さの問題はあんまり無かったのかもしれないな」などともいまとなっては思ったりもするけど…。

2011-06-07 21:54:10
@ttt_vert

@hallucinyan 造成居住区云々の主題系や家事小説とかの話も、無為の反復としての生を、間接的に肯定するライフスタイルの側面があったんだと思う。とはいえ、ライフスタイルの提示という感じでもない。

2011-06-07 21:59:37
@ttt_vert

@hallucinyan ユクスキュルの言うようにダニは環世界で内在しているけど、ドゥルーズはそれでもいいと言っていたのでは?みたいなことを考えていたんじゃないかな。だらだらすること自体を推奨してるわけでもないけど、焦ることもないよ、みたいなw こう書くとまずい気もするが。

2011-06-07 22:00:35
@ttt_ceinture

95年は、阪神大震災、オウム、ドゥルーズの死が重なった年だったということを、90年代中後半の丹生谷の文章は随所に感じさせる。

2011-06-07 21:08:39
@ttt_ceinture

「ライフスタイルとしての批評文」「小説のように読者が受け入れた批評文」ということについて、是々非々で考えなおしてみたい

2011-06-07 21:10:10
@ttt_ceinture

ライフスタイルのことを考えると、趣味の良し悪しによる選別や棲み分けの問題がどうしても派生するから厄介だな

2011-06-07 21:28:09
@ttt_ceinture

"らもさんの言った教養ね、何もすることがないという恐ろしい脅迫状態をそこに留まりながら生き続けるということ(…)やることがない場所での営み……" ―丹生谷貴志『死者の挨拶で夜がはじまる』

2011-06-07 21:35:18
@ttt_ceinture

丹生谷なら、ひきこもりのようなライフスタイルを、「いいんじゃないそれで」とやんわり肯定しそうな気がする

2011-06-07 21:41:51
@ttt_ceinture

わりと無目的的に丹生谷の著作を再読しはじめたにもかかわらず、いま丹生谷を再検討することはアクチュアルなのかもしれないと思えてきた

2011-06-07 21:49:27
@ttt_ceinture

「黒歴史」というのは「黒回顧発話」をほぼ意味するのだが、ここで重要なのは、黒に近いが黒として位置づけしがたい灰色の、「灰の生」なのではないか、と思ったが、こう書いてしまうとなにやらdisっぽく...

2011-06-07 22:25:28
@ttt_ceinture

「数日前から神戸にいる」の記述がある「寒気と疲労」(1989.5、『ドゥルーズ・映画・フーコー』)以来、35歳で明治学院大から神戸外大に移り、連載「老いの言葉」(92-95)、「造成居住区の午後へ」(94)などを挟み、96年のインタヴューで

2011-06-10 02:04:01
@ttt_ceinture

「東京にいた頃は人並み以上に情報をかき集めなければという不安があったのですが、今は全然なくなってしまった。折角情報のない土地にいるんだからそれでいいだろう、と」(『死者の挨拶で夜がはじまる』)言うにいたる丹生谷の変化に地理による規定が全く無かったとは考えがたい

2011-06-10 02:04:41
@ttt_ceinture

石岡さんのbot話が、ドゥルーズ〜丹生谷の身体性に要請された老いについての議論を突破するために案出されたものだということに気づいた

2011-06-10 13:31:24
@ttt_ceinture

かつて丹生谷が「物としての肉体と精神を膠着させてしまう日本的アニミズムではなく、物の残酷さそのものを見るべき、身体そのものの生成としての思考というステータスを考えるべき」と言ったのをさらに推し進め、身体に対する情報の残酷さと情報の生成としての思考と考えることが問われている

2011-06-10 13:42:58
Yoshiharu ISHIOKA @yishioka

@ttt_ceinture 直にそのような射程を想定していたわけではないものの、オートマトンに即して言うなら、その「精神的」な次元の考察(精神的自動機械)が、「疲労」や「倦怠」論の多くでみえにくいように思われます。身体の問いではまず捨象されがちだから?ただの無知かもしれませんが。

2011-06-10 22:54:06
@ttt_ceinture

@yishioka 「具体的な身体・物の現れ」としての披露・倦怠に傾斜し、精神と思考についての議論がどうも出なかった感がありますね...

2011-06-10 23:00:22
@ttt_ceinture

@yishioka 丹生谷の場合、大筋において、身体性は乗り越えるものではなく、受け入れられるものになってしまう。この扱いからの離脱というのはあるだろうなと。

2011-06-10 23:05:58
Yoshiharu ISHIOKA @yishioka

@ttt_ceinture 80-90年代から現在に至るまでの間、そうした発想に変化が生じたのか否かについては少し興味があります。

2011-06-10 23:07:40
@ttt_ceinture

@yishioka 『砂漠の小舟』時点の三島論に「精神からの肉体の解放」という強調点がある。予告とみなせるものはこれでしょうね。丹生谷のバルト傾倒と、それに連なるものとしてのフーコーへの関心は、身体の自己管理で一貫している様子で、90年代以降この線が強まる。

2011-06-10 23:10:12
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