教育実践・教科教育・教育学・教育社会学に対する(/における)ビデオデータセッション&エスノメソドロジー的ビデオ分析の意義と現状
- contractio
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まあ、自分のとっちらかった文章を整理して敷延するだけのツイートというのは、それだけでウザイもんですが。@n_akiya @contractio
2011-06-17 22:05:18(きっと王子は140字の切れ目がついているエディタを 持っているに違いない。今度聞いてみよう)@contractio @n_akiya
2011-06-17 22:13:56140字で自動的に思考の切れ目が訪れます。 QT @igamoto: (きっと王子は140字の切れ目がついているエディタを 持っているに違いない。今度聞いてみよう)@contractio @n_akiya
2011-06-17 22:29:49@mnaoto ゼミだったので少々遅くなりました。さかいさんのご要望に応じてあらかじめ論点を明示しておきます。森さんが疑問点を提示してくさったので、それに関連して私が今敷延できることとしては以下の2点です。@n_akiya
2011-06-17 22:16:531)現場の実践とそれを統べる専門家言説の関係とそこでEMが果たせる役割について(←教科教育とEMの語り方の違い)2)教員養成におけるEMの意義(←「人」に帰属させずに「理念」に帰属させずに教育実践の構造が見えるようになることの利点)
2011-06-17 22:22:15@mnaoto 1)に関わって実践に対しての語り方に限定して 違いを述べれば、教科教育の実践の語り方は、教育の言語で実践を定式化する定式化実践であるのに対して、EMの語り方は、あくまで実践の成り立ち方を示す語り方であると思います。@n_akiya
2011-06-17 22:26:21@mnaoto ただ、教科教育の語り方は参照先として現場の実践を前提として語られますので、参照先としての「現場の実践」なしには成りたちません。@n_akiya
2011-06-17 22:30:23@mnaoto まず第一にEMが教育の専門家言説の側に貢献できるとすれば、こうした括弧付きの「現場の実践」の部分をより明確に することができるという点だと思っています。@n_akiya
2011-06-17 22:32:10@mnaoto さらに、括弧付きの「現場の実践」を明確にしたうえで、 どのようにそれを定式化するのか、という点まで踏み込んでいくと、それは教科教育の語り方に属しますので、EMの知見の範囲を超えると思っています。@n_akiya
2011-06-17 22:33:51@mnaoto (もちろん、私自身はそこに踏み込んだ論文・研究を書くこと自体はやぶさかではありませんがまだまだ時機ではないと思っております)@n_akiya
2011-06-17 22:34:20