(2020/06/29完成)日本語で学ぶアメリカ史 第一章:新世界 (教材:Joseph L. Locke and Ben Wright, eds., "The American Yawp," 2018)
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アジアの商品がヨーロッパ市場に満ち溢れ、新しい商品への需要を喚起した。この貿易は新たに莫大な利益を生み、ヨーロッパ人は互いに貿易の優位性を求めて闘争した。
2020-06-20 13:53:52ヨーロッパ国民国家は強大な国王の下で強化された。英仏の一連の戦い、つまり百年戦争はナショナリズムを加速させ、国民国家の維持に必要な軍事・財政行政を育成した。スペインではアラゴン王国のフェルナンドがカスティーリャ女王イザベルと婚姻し、イベリア半島の二強国をまとめ上げた。
2020-06-20 13:54:24十字軍はイベリアだけで終わらなかった。1492年、スペインが数世紀にわたる断続的戦争、すなわちレコンキスタをムスリムとユダヤ人のイベリア半島からの追放によって決着をつけた時、ちょうどクリストファー・コロンブスが西に航海していたからである。
2020-06-20 13:55:00・イタリアの船乗り貿易家は地中海を制し、アジア貿易を掌握した。スペインとポルトガルはヨーロッパの端にあり、ブローカー頼みで割高なアジア商品を購入していた。彼らはより直接のルートを求めた。だから大西洋に目を向けたのだ。ポルトガルは探検にかなり投資した。
2020-06-20 13:55:39ポルトガルのサグレシュ半島にある地所は豊かな港で、ここからヘンリー航海王子(Infante Henry)、つまりビゼウ公爵が探索と技術開発に投資し、技術的ブレイクスルーを下支えした。彼の投資は実を結んだのだ。15世紀、ポルトガルの船乗りはアストロラーベ(astrolabe)という緯度を測る器具と、
2020-06-20 13:56:28海洋探検に適したカラベル船を完成させた。どちらもブレイクスルーだった。前者は正確な航海を可能にしたし、カラベル船は比較的穏やかな地中海でも貿易に作られた一般の船と異なり頑丈で、喫水が深いため開けた海洋の航海が可能となり、しかも、同程度重要なことに、大量の船荷も積載可能になった。
2020-06-20 13:58:55・経済と宗教が入り混じる動機からポルトガルは15世紀に大西洋岸のアフリカに砦を立てていき、ヨーロッパ人によるアフリカ植民地化の時代の幕開けとなった。ポルトガルの貿易砦は新たな利益を生み、更なる貿易と植民地化の原資になった。
2020-06-20 13:59:42貿易場はアフリカ沿岸に広く建てられ、15世紀末までにヴァスコ・ダ・ガマが馬跳びするようにアフリカ沿岸を周り、インドや他の魅力的なアジアの市場に到達した。
2020-06-20 14:00:12・気まぐれな海流の変化と当時の技術的限界から、イベリア半島の船乗りは東のアフリカに押し戻される前に西の海洋に航海せねばならなかった。そうするうちに、スペインとポルトガルはたまたまヨーロッパとアフリカの沿岸から離れたところにいくつかの島々を発見した。
2020-06-20 14:03:17アゾレス諸島、カナリア諸島、カーボヴェルデ諸島(Cape Verde Islands)などだ。ここは後のアメリカ植民地化の練習場になり、奴隷労動による最初の大規模な砂糖耕作の場にもなった。
2020-06-20 14:03:58・砂糖は元々アジアで自生していたが、ヨーロッパ貴族が消費する高級品で広く利益を出せる人気商品となった。ポルトガルは地中海沿岸でサトウキビを育てようとしたが、砂糖は生育が難しい作物だった。熱帯気候、毎日の雨、独特の土壌、14ヶ月の成長期間を要した。
2020-06-20 14:04:36だが、ポルトガルは大西洋の島々に砂糖生産の新たな土地を見出した。人間と生態系を破壊する新たなパターンが現れた。ヨーロッパやアフリカの大陸から何千年も孤立していたカナリア諸島の原住民はグアンチェ族の名で知られたが、ヨーロッパ人が来るとすぐに奴隷化されるか死に絶えた。
2020-06-20 14:05:18ポルトガルのプランターになる者達はこの育てにくい労働集約的な作物を耕す労動者を必要とした。ポルトガル商人はコンゴ、ンドンゴ、ソンガイなどアフリカの強大な王国と友好関係を築いたばかりだったところ、アフリカ人奴隷に目を向けた。奴隷制はアフリカ社会に長く存在していた。
2020-06-20 14:05:58アフリカの指導者達は戦争捕虜ー慣習により戦闘で自由を失ったとされたーをポルトガル人の銃、鉄、製造品と交換した。大西洋海岸の基地の中では現在のナイジェリアにあったものが最大だった。
2020-06-20 14:06:35そうした基地からポルトガル人は奴隷を大西洋諸島でサトウキビ畑の労働力にするため購入し始めた。こうして大いなる大西洋プランテーションが生まれたのである。
2020-06-20 14:06:57・スペインも航海技術の最先端にいた。スペイン人船乗りはカラベル船の熟達者だった。ポルトガルがアフリカの貿易ネットワーク掌握権と東向きのアジア海洋ルートの周回化を固めていくにつれ、スペインも独自に帝国への道を渇望した。
2020-06-20 14:07:19クリストファー・コロンブスはイタリア生まれの熟練船乗りで、ポルトガルの航海士から学び、スペインの野望に応えると約束した。
2020-06-20 14:07:44教育のあるアジア人と15世紀のヨーロッパ人は地球が丸いと知っていた。また、そやるゆえにヨーロッパから西に進めば理屈上はアジアに到達できる、イタリア人やポルトガル人のブローカーを介さずともということも分かっていた。だが、広大な地球はカラベル船をも飢餓と喉の渇きで滅ぼし、
2020-06-20 14:08:13目的地にはたどり着けない運命だった。ところが、コロンブスは地球のサイズを実際の3分の2ほどに見積もっていたので、到達可能と信じていた。いくつかのヨーロッパの王朝への売り込みが失敗した後、彼はスペインのイザベラ女王とフェルナンド国王を説得し、三隻の小型船を支給され1492年出発した。
2020-06-20 14:08:48コロンブスは驚くほど地球のサイズを間違えていたが、たまたま巨大な二つの大陸が道中にあるというこの上ない幸運者だった。2ヶ月の10月12日、ニーニャ号、ピンタ号、そしてサンタマリア号が90人の部下と共に現在のバハマ諸島に到達した。
2020-06-20 14:09:16・先住民のアラワク族、あるいはタイノ族と呼ばれる人々がカリブ諸島に分布しており、漁業とトウモロコシ、ヤムイモ、キャッサバの農業で生活していた。コロンブスは彼らを無垢と評した。「彼らはたいへん穏やかで、悪というものを知らないし、殺人や盗みのような原罪も知らない」と、
2020-06-20 14:09:52スペイン王室に彼は報告している。「陛下はこの世にこれ以上素晴らしい人々はいないとお考えになるかもしれません…彼らは隣人を自分自身のように愛し、その話しぶりは世界一優しく穏やかで、いつも笑顔が絶えませぬ。」だがコロンブスは富を探しに来たのであり、それは見つからなかった。
2020-06-20 14:10:39だがアラワク族は小さな金の装飾をしていた。コロンブスは39人の部下をイスパニョーラに築いた軍事砦に残し、彼がスペインに戻る間金の出所の発見と確保を任せた。12人のアラワク族が捕まり烙印を押された。コロンブスは帰還すると喝采を浴びたが、すぐさま再び航海に出た。
2020-06-20 14:11:08スペインの新世界に対する動機は最初から明らかだった。装備一式を支給してくれるなら、スペイン王室に金と奴隷を持ち帰ると彼は約束した。彼曰く、「50人部下がいれば奴らは全員屈服させられますし、命令したことをやらせることが可能になりますよ。」
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