(2020/06/29完成)日本語で学ぶアメリカ史 第一章:新世界 (教材:Joseph L. Locke and Ben Wright, eds., "The American Yawp," 2018)

教科書を変更して最初の講義です。教科書をひたすら翻訳します。 2020/06/20 第三節まで公開。 2020/06/29 完全公開。
3
前へ 1 2 3 ・・ 7 次へ
Mr. HB @USHist_English

これらの川は五大湖から南東部に渡るネットワークを生み出した。考古学者は貝殻のような物体がカホキアへと千マイルを超えてやってきたと示すことができる。少なくとも3500年前、現在のルイジアナ州ポヴァティポイントにある共同体は、

2020-06-20 13:04:14
Mr. HB @USHist_English

現在のカナダにある銅や現在のインディアナ州にある火打ち石を手に入れることができた。オハイオ川近辺の神聖なサーペントマウンドで見つかった一面に広がる雲母はアレゲニー山脈から、近くの土盛りにあった黒曜石はメキシコから来ていた。

2020-06-20 13:04:43
Mr. HB @USHist_English

大南西部からのトルコ石は1200年前のテオティワカン(Teotihuacan)で使われた。

2020-06-20 13:04:59
Mr. HB @USHist_English

・東部森林地帯では、多くのネイティブ・アメリカン社会がより小規模な分散した共同体に暮らし、豊かな土壌と満ち溢れる川を利用した。デラウェア族の名でも知られるレナペ族はハドソン川とデラウェア川の低地、つまりニューヨーク、ペンシルヴァニア、ニュージャージー、デラウェアの流域を耕した。

2020-06-20 13:05:37
Mr. HB @USHist_English

何百もの定住地がマサチューセッツ州南部からデラウェアに存在し、政治、社会、宗教的に緩くつながっていた。

2020-06-20 13:05:59
Mr. HB @USHist_English

・分散して比較的独立していたので、レナペ族の共同体はオーラルヒストリー、儀礼的伝統、コンセンサス型政治機構、血縁ネットワーク、共通の氏族制で結合していた。レナペ族の様々な共同体と氏族は血縁によって繋がり、社会は母系に沿って構築された。婚姻は氏族間で行われ、夫が妻の氏族に加わった。

2020-06-20 13:06:37
Mr. HB @USHist_English

レナペ族の女性は婚姻、家政、農業に影響力を及ぼし、首長(sachem)と呼ばれる指導者の選出にさえ重要な役割を果たした可能性がある。分散した権威、小規模な共同体、血縁による組織は長期的安定と弾力性をもたらした。一人か複数の首長が民衆の同意によって統治した。

2020-06-20 13:07:04
Mr. HB @USHist_English

レナペ族の首長は知恵と経験によって権威を得た。これはミシシッピ川文化の序列社会とは異なっていた。だが、大規模な会合は存在し、儀式や重大な決定の時に行われた。首長はいつもより大きな人々の協議会に語りかけた。そこには男も女も老人もいた。

2020-06-20 13:07:25
Mr. HB @USHist_English

レナペ族は北のイロコイ族や南のサスケハナ族とよく緊張関係にあったが、防衛要塞が見つかっていないことから考古学者はレナペ族が大規模な戦争をしなかったと考えている。

2020-06-20 13:07:45
Mr. HB @USHist_English

・レナペ族がヨーロッパ人の来る何世紀も前から長続きしたのは、彼らが農業と漁業に優れていたからである。レナペ族の女性は三姉妹に加えてタバコ、ヒマワリ、ウリを栽培した。果実や木の実を採集し、多数の薬草を入手した。これは頻繁に使われた。

2020-06-20 13:08:04
Mr. HB @USHist_English

レナペ族は共同体を作物育成期に合うよう、また食事の一部だった動物や家禽の移動パターンに合うよう組織した。作付け期と収穫期には大規模に集まり、共同して働き豊かな生産物を得た。有能な漁師として彼らは季節に従って漁業キャンプを作り、貝やシャッドを網で捕まえた。

2020-06-20 13:08:35
Mr. HB @USHist_English

彼らは網、バスケット、敷布など様々な家事用品を川や海岸で見つかるイグサで作った。住居は東部森林地帯の肥沃な場所に建て、その技術で繁栄と安定を兼ね備えた文明を築いた。17世紀に入植した最初のオランダ人及びスウェーデン人入植者はレナペ族の繁栄を知るや友好関係を結び、彼らに依存した。

2020-06-20 13:08:54
Mr. HB @USHist_English

・北西部太平洋地帯では、クワキウトル族(Kwakwakaʼwakw)、トリンギット族(Tlingit)、ハイダ族(Haida)など多数の部族が様々な言語を話しながら、温暖な気候、繁茂する森林、数多の川によって繁栄した。この地域では鮭が生存に不可欠であり、それ相応のものとして扱われた。

2020-06-20 13:10:42
Mr. HB @USHist_English

トーテムポール、バスケット、カヌー、オール、その他道具に鮭が描かれていた。魚は宗教的に畏敬され、その図像は繁栄、生命、再誕を表した。持続可能な収穫慣行が鮭の個体数を守った。海岸部のセイリッシ族(Salish)などは、季節毎に最初の鮭を見つけると第一発見鮭のセレモニーを行った。

2020-06-20 13:11:02
Mr. HB @USHist_English

長老達は川を登る鮭をしっかり観察し、十分な数を生んで戻ってくるよう収穫を遅らせた。男達は一般に網、釣り針、その他小道具を使って、卵を産みに川を登る鮭を捕まえた。巨大なヒマラヤスギのカヌーは50フィートもの全長で20人乗れるもので、太平洋へと広い航海が可能だった。

2020-06-20 13:11:28
Mr. HB @USHist_English

熟練の漁師がそこでオヒョウ、チョウザメなどの魚を捕らえ、時には数千ポンドもの漁獲をカヌーに乗せて帰った。

2020-06-20 13:11:48
Mr. HB @USHist_English

・食料の余剰は人口成長をもたらし、北西部は北アメリカでも特に人口密度が高かった。高密度人口と豊富な余剰食料からユニークな社会組織原理が、ポトラッチ(potlatch)と呼ばれる洗練された祝宴を中心にして生まれた。ポトラッチは生命の誕生と結婚を祝い、また社会身分を規定した。

2020-06-20 13:12:49
Mr. HB @USHist_English

宴は何日も続き、主催者はゲストを食事、芸術作品、パフォーマンスで楽しませることで富と権力を示した。主催者は与えれば与えるほど、集団内での権勢と権力を手にした。何十年も貯めてから豪勢なポトラッチを催し、共同体内部での敬意と権力を得た者もいた。

2020-06-20 13:13:12
Mr. HB @USHist_English

・北西部太平洋地帯の先住民の多くは、この地域に多いヒマラヤスギを使って厚板の家を建てた。例えばスカミッシュ族(Squamish)の老人の家(OlemanあるいはOld Man House)はプジェット湾の土手に建てられた。巨大なヒマラヤスギの木は動物などの形に彫刻され、また色塗られ、

2020-06-20 13:13:48
Mr. HB @USHist_English

それによって物語が語られ自己アイデンティティが表明された。こうしたトーテムポールは北西部太平洋地帯の顕著な芸術品であるが、他にも仮面や木製品物、例えば手太鼓やラトル、を同地域の大きな木から彫り出している。

2020-06-20 13:14:09
Mr. HB @USHist_English

・共通性はあるものの、ネイティブ・アメリカンは差異も大きかった。新世界は多様性と対照性に彩られていた。ヨーロッパ人が大西洋を渡ろうとするまでに、ネイティブ・アメリカンは何百もの言語を有し、西半球の多様な気候の中で生きていた。都市生活もあれば、小集団の生活もあった。

2020-06-20 13:14:35
Mr. HB @USHist_English

季節に従って移動する者もいれば、恒常的に定住する者もいた。全てのネイティブ・アメリカンは長い歴史と、数千年かけてよく作られたユニークな文化を持っていた。だが、ヨーロッパ人の到来は全てを変えてしまった。

2020-06-20 13:14:53
Mr. HB @USHist_English

III. ヨーロッパの拡大 pp.11-16 スカンディナヴィアの船乗り達はコロンブスよりもっと前から新世界に到達していた。東はコンスタンティノープルまで航海、南は北アフリカ定住地を襲撃した。アイスランドとグリーンランドにも限定的な植民地を作った彼らは1000年ごろ、

2020-06-20 13:51:31
Mr. HB @USHist_English

レイヴ・エリクソン(Leif Erikson)に率いられ現在のカナダにあたるニューファンドランドに到達した。だが、古代スカンディナヴィア人(Norse)の植民地は失敗した。文化的にも地理的にも孤立した彼らは、限られた資源、厳しい天候、食料不足、先住民の抵抗によって追い返された。

2020-06-20 13:52:05
Mr. HB @USHist_English

・その後、コロンブスの数世紀前、十字軍はヨーロッパをアジアの富、力、知と結びつけた。ヨーロッパ人はギリシャ、ローマ、ムスリムの知を再発見ないし採用した。東半球における商品と知識の拡散はルネッサンスを促しただけでなく、ヨーロッパの長期的拡大の原動力にもなった。

2020-06-20 13:53:06
前へ 1 2 3 ・・ 7 次へ