(2020/06/29完成)日本語で学ぶアメリカ史 第一章:新世界 (教材:Joseph L. Locke and Ben Wright, eds., "The American Yawp," 2018)

教科書を変更して最初の講義です。教科書をひたすら翻訳します。 2020/06/20 第三節まで公開。 2020/06/29 完全公開。
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Mr. HB @USHist_English

農業は狩猟より多くの食料が手に入り、共同体の中で他の技能を追求する者を養うことが可能となった。宗教指導者、熟練兵、職人が自身の活動に集中することも可能になった。

2020-06-20 12:49:28
Mr. HB @USHist_English

・北アメリカ先住民はいくつか広く共有された特徴があった。宗教的慣行、財産の考え方、血縁ネットワークのあり方はヨーロッパと著しく異なった。大半のネイティブ・アメリカンは自然と超自然を厳密に区別しなかった。精霊の力は世界に浸透する実在で近づきやすいものだった。

2020-06-20 12:50:03
Mr. HB @USHist_English

それは訴えかけることも利用することも可能だった。血縁関係は北アメリカ先住民を結束させていた。大半は小規模な共同体に暮らし、それは血縁ネットワークで結びついていた。多くの先住民文化は母系文化、つまり家族や氏族意識が女系に沿っていた。父や息子ではなく母や娘に家系が沿うということだ。

2020-06-20 12:50:46
Mr. HB @USHist_English

例えば父は母方の拡大家族にしばしば加わり、母の兄弟が生物上の父よりも子育てに直接役割を果たすことさえあった。したがって、母はしばしばローカルなレベルで絶大な影響力を行使し、男性のアイデンティティと影響力はしばしば女性との関係性に依存した。

2020-06-20 12:51:20
Mr. HB @USHist_English

一方、ネイティブ・アメリカンの文化には一般にヨーロッパの文化よりも大きな性的自由、婚姻的自由があった。例えば女性がしばしば夫を選んだし、離婚も多くは簡潔にして明快なプロセスだった。さらに、大半の先住民はヨーロッパ人と異なる財産観を有していた。

2020-06-20 12:51:55
Mr. HB @USHist_English

彼らは一般によく使われる道具・武器・その他品物に個人としての所有意識(ownership)を持ち、この原則は土地と農作物にも適用された。諸集団と個々人が特定の土地を活用し、他者を排除するため暴力と交渉を用いた。だが、土地の使用権は恒久的所有権を暗示しなかった。

2020-06-20 12:52:30
Mr. HB @USHist_English

ネイティブ・アメリカンは多くのコミュニケーション手段があり、絵もその一つだった。この芸術的でコミュニケーションに用いられる技術の中には今日まで続くものもある。例えば、アルゴンキン語族に含まれるオジブウェ族は樺の樹皮で作った巻物を治療、レシピ、歌、物語などの記録に用いた。

2020-06-20 12:53:02
Mr. HB @USHist_English

他の東部森林地帯の部族は植物の繊維を編み、ヤマアラシのトゲで皮に刺繍を縫い、複雑な儀礼的意味を持たせるよう大地に設計をほどこした。グレートプレーンズでは職人がバッファローの毛を編み、その皮を色塗りした。北西部太平洋地域ではヤギの毛が特定の模様を持つ柔らかい布地に編み上げられた。

2020-06-20 12:53:37
Mr. HB @USHist_English

マヤ族、サポテカ族(Zapotec)、ナワ族の祖先はメソアメリカで植物性布地に彼らの歴史を色塗りし、また石に刻んだ。アンデス地方では、インカ族が糸の結び目であるキープ(khipu)を用いて情報を記録した。

2020-06-20 12:54:02
Mr. HB @USHist_English

・2千年前に北米で最も大きかった文化集団の一つがプエブロ集団であり、現在の大南西部(合衆国南西部とメキシコ北西部)に位置していた。また、ミシシッピ集団は大河であるミシシッピ川とその支流に、メソアメリカ集団は現在の中央メキシコ及びユカタン半島に位置していた。

2020-06-20 12:54:32
Mr. HB @USHist_English

それまでの農業技術の発展で爆発的な成長が社会に起こり、メキシコ峡谷のテノチティトラン、ミシシッピ川沿いのカホキア、大南西部の砂漠地帯におけるオアシス都市などを生んだ。

2020-06-20 12:54:57
Mr. HB @USHist_English

・ニューメキシコ州のチャコキャニオンは紀元前1300-900年においてプエブロ族の祖先が暮らしていた。チャコキャニオンの複合住宅には1万5千人が住んでいた。洗練された農作業、広い交易ネットワーク、更には七面鳥すら家畜化したことが人口拡大を引き起こした。

2020-06-20 12:55:40
Mr. HB @USHist_English

砂岩ブロックとかなり離れた場所から運ばれてきた木材によって巨大な居住建築物が作られ、数百人ものプエブロ族を収容した。そのうちの一つ、プエブロボニートは2エーカーもの広さがあり、五階建てだった。中には600もの部屋があり、銅鐘、トルコ石の飾り物、鮮やかなコンゴウインコに彩られていた。

2020-06-20 12:56:27
Mr. HB @USHist_English

プエブロボニートにあるこうした家屋な中には小さくん掘られた部屋(kiva)があり、様々な儀式で重要な役割を果たし、プエブロ族の生活と文化にとって中心的な場所となった。プエブロ族の宗教意識は大地と空に結びつき、何世代にも渡って星座を辿り、太陽と月の通り道に沿うように家屋をデザインした。

2020-06-20 12:56:58
Mr. HB @USHist_English

・チャコキャニオンのプエブロ族は生態系的な試練に立たされた。森林破壊と過剰灌漑は究極的に共同体の崩壊をもたらし、人々はより小規模な定住地に分散した。1130年からは15年にもわたる極端な旱魃が発生し、まもなくチャコキャニオンは放棄された。

2020-06-20 12:57:46
Mr. HB @USHist_English

アパッチ族やナバホ族(Navajo)を含む新たな集団がこの空き地へと到来し、プエブロ族の慣習をいくつか取り入れた。プエブロ族を襲った旱魃は中西部と南部のミシシッピ集団にも影響したらしい。ミシシッピの先住民は現在のメキシコより北の方で最大の文明の一つを発展させた。

2020-06-20 12:58:32
Mr. HB @USHist_English

約千年前、ミシシッピ最大の定住地カホキアは現在のセントルイス東部にあり、人口は最大で1万から3万の間に達した。それは当時のヨーロッパ都市に規模で劣らなかった。アメリカ独立革命以降までカホキアに勝る人口を誇るアメリカの都市は存在しなかった。

2020-06-20 12:59:19
Mr. HB @USHist_English

カホキアは2000エーカーもの広さがあり、モンクスマウンドが中心にあった。これは10階分にも及ぶ巨大な塚で、エジプトのピラミッドよりも広大な基底部を有した。東部森林地帯と同様、カホキアの生活は星、太陽、月の動きに結びつき、儀式用の土盛りの建造物は重要な天体諸力の構成を反映していた。

2020-06-20 12:59:42
Mr. HB @USHist_English

カホキアの政治体制は首長制で、氏族に基づく序列制度だった。指導者は聖俗両方で権威を有した。カホキアの規模とその影響圏が示唆するのは、カホキアは至高の指導者の元にあるより小規模な首長制集団に依拠していたことである。社会階層は頻繁な戦争によっても維持された。

2020-06-20 13:00:20
Mr. HB @USHist_English

捕虜は奴隷化され、この奴隷は北アメリカ南東部の経済にとって重要であった。ネイティブ・アメリカンの奴隷制は人間を財産化するものではなく、むしろ血縁ネットワークが欠如した者と理解された。だから奴隷身分は恒久的ではなかった。

2020-06-20 13:00:59
Mr. HB @USHist_English

頻繁にあったことだが、元奴隷は自分が捕まえられた共同体の一員に完全に統合されることが可能だった。養子や婚姻は奴隷が血縁ネットワークや共同体に入ることを可能にした。奴隷制と捕虜交換は、先住民共同体が再成長し、権勢を誇り維持する重要な手段であった。

2020-06-20 13:01:18
Mr. HB @USHist_English

・1050年ごろ、カホキアはある考古学者が「ビッグバン」と呼ぶ出来事を経験した。ほぼ一瞬で政治、社会、イデオロギーが一気に急変したのだ。たった一世代で人口はほぼ500%も増え、新しい集団がカホキアと傘下の共同体に吸収された。1300年までにカホキアは崩壊に繋がる一連の重圧に見舞われた。

2020-06-20 13:01:41
Mr. HB @USHist_English

研究者はかつて生態系的な災害や移住による緩やかな人口減少を指摘していたが、新しい研究では戦争の増加と政治的内紛が強調されている。環境要因の指摘では、灌漑可能な土地に人口成長があまりにも負荷をかけすぎたとされる。燃料や建築材の需要が森林破壊、浸食、

2020-06-20 13:02:29
Mr. HB @USHist_English

そして恐らく長期的旱魃をもたらしたとも言われる。砦柵を含む近年見つかったエビデンスによれば、支配エリート間の政治騒擾や外敵の脅威がかつて強大だったカホキアの終焉を説明できるかもしれないという。

2020-06-20 13:02:52
Mr. HB @USHist_English

北アメリカの共同体は血縁、政治、文化によって結合され、長距離交易ルートにより維持されていた。ミシシッピ川は決定的な輸送・通信路だったが、水路自体が重要だった。カホキアの巨大化はミシシッピ川、イリノイ川、ミズーリ川に近かったのも一因だ。

2020-06-20 13:03:41
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