インドの正式国名「バーラト」の語源が分かった 実はケルト語「ベレティ」と全く同じ意味で、5000年以上前まで遡ると発音まで同じだった
@zeflos 最近の研究では、インダス文明は、インダス川を避けて都市を構築してるとか、都市の立地に痕跡がある乾いた川は古代は豊かな水があるかと思いきや、無かったとされてますので、必ず大河と結びつくとは限らないのかもしれないです。
2020-08-02 01:22:09@fushunia 初耳です。ありがとうございます。交易、通信、農畜産、防衛、材木輸送からの建築、どれを取っても大河は重要というイメージだったのですが、必ずしもそうではないのですね。
2020-08-02 01:25:55@zeflos 四大文明という言葉自体、江上波夫がつくったとか諸説ありますが、現在では「4」という数字にとくに意味は無いとされ、実際には、インダスの北にある「バクトリア・マルギアナ考古文化複合」も大きな規模の文明だとされ、こうしたものは数多いとのことです。
2020-08-02 01:36:04@fushunia ありがとうございます。「インド文明の曙」の中で辻直四郎さんがインダス文明はアーリア人に征服された側という説を支持されていたと思いましたが、巫俊さんはどう思われますでしょうか?
2020-08-02 01:40:00@zeflos その件については、こちらに書きましたが、昔の説の「征服」は、後世の時代の遊牧国家による征服支配を投影したものであり、現在ではそうした説明はされなくなりました。2017年のこの記事作成時は分かりませんでしたが、印欧語族の南下・浸透はDNA研究で裏付けられてます。 togetter.com/li/1099150
2020-08-02 02:02:06今日はインダス文明の本を読んでたんですが 「インド人の研究者は生涯、パキスタン領内の遺跡を見ることができない」 「ダムによる水位上昇に伴う塩害の処理に追われていて、発掘が進まない遺跡もある」 「パキスタンでは、人材が育っていない」 「出土品の保管庫はヘビの巣で、入れない」 …
2017-06-11 00:07:03実は、ここからが中央ユーラシアの交流史の本題なんですけど、それは別の機会に、ということで今回は少し軽めに触れておきます
※ここから先は、地図帳などがあった方が読みやすいです。フリー素材の地図を探しましたが、すぐに貼れるものはなかったです(^^;
こういう、途方も無い交易路を軍事力に頼らず抑えるノウハウがあったはずで、カフカスから草原地帯に拡大した印欧語族は、メソポタミアが西アジアでやってたことを、中央ユーラシアで実行したと考えられます。アンソニー『馬・車輪・言語』の知見を、最新のDNA研究の成果で補正すると、そうなるはず。 twitter.com/enlil_anzu/sta…
2020-08-02 07:16:36シュメルで珍重されたラピスラズリはアフガニスタンのパダクシャンで採れた 紀元前4000年期には「ラピスラズリの道」と呼ばれる交易路ができており、パダクシャンからイラン、シリアを経てエジプトまで達する全長5000kmにもなるものだった pic.twitter.com/hxK685lE4F
2020-07-30 11:23:08印欧語族がヨーロッパからアルタイ山脈にかけての地域に展開したのは、紀元前3500年頃だとされてまして、それより以前に分岐した「トカラ語」系統がアルタイに移動した(先秦から唐代の新疆の言語の起源)のがこの時期ですから、「インド・イラン祖語」系統はそれより後に出現したことになります。 twitter.com/fushunia/statu…
2020-07-24 06:49:28そのため、荷車を使って水を運び、牛や馬などを飼いながら、放牧に適した場所や小麦栽培に適した場所を探して、東西世界に広がっていったユーラシアの印欧語族は、農耕で人口が増加したカフカスのDNAを持っていたことになります。カフカスは小麦の栽培化起源地域の候補地の一つとされてます
2020-07-24 06:41:26それでは「インド・イラン祖語」集団はどうして形成されたかというと、イラン高原の北東部に、渓谷を流れる川が砂漠に流れ出る地方があり、そこにいた農耕民の「ナマズガ文化集団」がDNA上の祖先にあたるとされ、カザフスタンの大草原に浸透していって、印欧語を継承しつつ、DNAを変化させたようでした
2020-07-24 06:53:46@Namfon_in_Thai インド・イラン語派の印欧語族は、紀元前2000年頃にカザフスタン・ロシアの国境あたりに居住してたのですが、その頃までに彼らはフィンランドの人たちの祖先集団と接触していて、「アーリヤ」などの言葉がフィンランド語に借用されて残ってるそうです。なので、ロシア北辺にその当時はいたようです
2019-09-27 23:11:21紀元前2000年になると、バルト海沿岸からアルタイ山脈にかけて「セイマ・トルビノ青銅器文化」が成立しますが、その南側のカザフスタンにも「アンドロノヴォ青銅器文化」が成立し、ゆるやかにつながっていたようです。カザフスタンでは戦闘用二輪馬車が発明され、殷墟で出土した馬車もこの系統です
2020-07-24 07:01:18このインド・イラン祖語系統のDNAが、後期青銅器時代のモンゴル高原の出土人骨DNAからも検出されたことで、彼らが東アジアへ移動していたことが確認されました。西アジアでは、インド系の集団が先に南下していって中東からインドに定着し、後からイラン系の集団がイラン高原を南下したとされてます。
2020-07-24 07:09:25DNAの研究が進展して、青銅器時代の後期印欧祖語から分岐した「インド・イラン祖語集団」は、他の主要な印欧語族と直接的な血縁関係に無かったことが明らかにされてる。言うまでも無いことだが、ヒトラーはアーリヤ人では無い。アーリヤはインド・イラン系集団の自称で、全く別。
2020-06-26 01:26:06そもそも、何故、20世紀のドイツで、イランの神話哲学である「アーリヤ人観念」が流行ったかというと、キリスト教に対抗する価値観として、イランの宗教の教祖ゾロアスター(ザラスシュトラ)が賢人姿され、ドイツ風の解釈を施されたことに由来してるようです。つまり、歴史の二次利用ですね。
2020-06-26 01:41:00ところで、ゾロアスター教の論文を読んでると、アーリア人がギリシア人の祖先だとか、平気で書いていて、ちょっとうすら怖さを感じる。最近のDNA研究では、インド・イラン語派の印欧語族は、他の印欧語族とのDNA上の関係が認められないとされてるので、注意が必要です。
2020-07-24 06:16:27バクトリア・マルギアナ複合の時代ですね。先史青銅シルクロードで中国につながりそうだけど、そういう話を聞かない…バクトリアの前2千年紀初期以前の「農耕饗宴図杯」を博物館で見たとき、中国には春秋戦国に普及とされる牛耕をしていてびっくり twitter.com/vdgatta/status…
2015-12-23 22:33:03アイベックスのペンダント。 紀元前2000年頃、バクトリア Christie's pic.twitter.com/tLA1HN9LCz
2015-12-23 13:25:23アフガニスタンからアルタイまで「ラピスラズリの道」が伸びてて、宝石の交易によってインダス文明の隣で栄えたBMAC(バクトリア・マルギアナ複合文化)の文明から、最新の青銅の鋳型の技術を入手したことで、アーリヤ系やそれ以外の印欧語族にその技術が伝わり、モンゴル高原からヨーロッパまでが
2020-08-02 08:06:17つながった。モンゴルの近くのアルタイ山脈からは、ヨーロッパでわずかしか取れなかった「錫」(すず)が見つかったので、印欧語族は、モンゴルの錫をヨーロッパまで運び、インドの近くのバクトリアから得た鋳型の技術を使って、本格的な青銅器をつくり始めたようです。
2020-08-02 08:08:54そして、この青銅器時代の広域交流が、それまで新石器時代だった中国と日本に青銅器を伝えることになりました。(日本に伝わるのは遅れる)
2020-08-02 08:09:56@Nicole_Menteuse ということは、インドイラン語派の人たちが南東方面に移動していったときの言葉が残ってるかもしれないのですね。何気ない日常の言葉に文明世界の痕跡があると思うと興味深いですね。(どちらかというと、インダス文明の周縁に入って来た牧畜民の言語なのでしょうが)
2019-04-13 02:06:54@fushunia 同じことをよく思ってます。何千年、何万年も前から流動的に変化してきた(その意味で本質的には「同じ」)言語っていうものを日常的に使っているの、なかなかすごいことだと感じています。
2019-04-13 02:10:19