【英国紅茶の歴史 或いはイギリス人は如何にしてティーを愛するようになったか/後編】

英国人の「紅茶好き」は夙に知られるところで、他の欧米諸国ではもっぱらコーヒーが愛飲されるのと対照を成します。 本稿では近代の社会・経済史を織り込みつつ、紅茶が英国を征服する過程を概観します。 今回は紅茶文化が頂点を極めたビクトリア朝期から、新しい流行が生まれた20世紀までを中心に見ていきましょう。
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「ウーバンアビー」での茶会には多くの貴族が招かれ、1859年には1万2,000人が訪れました。こうしてアフターヌーン・ティーの習慣は上流階級に浸透していくのです。 pic.twitter.com/RyU03DFQCI

2020-08-15 17:52:00
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大勢の淑女・紳士が集まる茶会は、当時、ディナーと並んで社交に不可欠な場でした。会を仕切る屋敷の女主人にとっては腕の見せ所で、洗練されたインテリアや食器、作法を仕込まれた使用人、センスあふれる知的な会話で客をもてなしました。 pic.twitter.com/6GJ85viFwE

2020-08-15 17:52:32
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この新しい流行は、中間階層の主婦たちにも虜にしました。彼女たちは自宅で少数の友人と気軽に茶を愉しんだため、「アットホーム・ティー」とも表現されます。 pic.twitter.com/FomdwygX4F

2020-08-15 17:54:07
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19世紀は中間階層の主婦向けの家事のハウツー本が流行った時代でもありました。前編で触れたように、近世以降、女性が家政(household management)を担うようになったことがその背景にあります。家庭環境を快適に保ち、家計を管理し、使用人を使いこなすのは、教育を受けた女性の証でした。 pic.twitter.com/u4RPAyBodg

2020-08-15 17:54:54
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1861年に出版され、200万部を売り上げるベストセラーとなった「ビートン夫人の家政本」はその代表で、料理・裁縫・社交マナー・装飾・一般教養など、多岐にわたる項目をカバーしています。 「美味しいお茶の淹れ方」や「お茶に合う菓子のレシピ」には特に多くのページが割かれています。 pic.twitter.com/xy41h9g2Oi

2020-08-15 17:56:37
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この他、主婦向け月刊誌「ファミリー・エコノミスト」の創刊号(1848年出版)にも「茶の最高の淹れ方」が記述されており、それによればカップにまず砂糖とミルクを入れておき、その上から茶を注ぐやり方が推奨されています。 pic.twitter.com/n4o6eAIvFF

2020-08-15 17:57:17
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余談ですが、英国では「最初にミルクを入れておく」派(MIF)と、「茶を注いでからミルクを入れる」派(MIA)が数世紀にわたって血みどろの抗争を繰り広げており、ファミリー・エコノミストは前者を支持したわけです。一方、貴族階級は茶の色を楽しんでからミルクを注いだと言われます。 pic.twitter.com/pXPZJ86XQx

2020-08-15 17:59:07
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争いは20世紀も続き、作家のジョージ・オーウェルはMIAを、トワイニング社はMIFを支持。21世紀に入って王立化学協会が様々な分析を踏まえ、MIFが優れていると結論付けたことで遂に平和が訪れるかに見えました。しかし、これは化学協会のジョークだったことが発覚。内戦は今日も終わりが見えません。 pic.twitter.com/9I99GlcoC5

2020-08-15 17:59:46
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いずれにせよ、「英国のティーとはミルクティーである」、これは絶対的なドグマであって、疑問を差しはさむ者は忌むべき異端として火刑に処されても文句は言えないのです。 それを踏まえて画像をご覧頂きたい。 お分かり頂けただろうか… ストレートティー飲んでるぞ、この高速戦艦。 pic.twitter.com/wq4wy6LMem

2020-08-15 18:01:58
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19世紀後半には屋外で茶を飲む「ピクニック・ティー」が流行。初めは広壮な庭を持つ上流階級だけのものでしたが、公園の整備・田園地帯へ通じる鉄道の発達に伴い、中産階級にも広まりました。これには、公害が深刻な都市部を抜け出す目的もありました。 pic.twitter.com/iMBbVsnHeJ

2020-08-15 18:02:29
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中産階級の茶の好みを敏感につかみ、急成長したのがブルックボンド社です。同社は、画期的な販売方法も開発しました。従来の量り売りに替えて、品質を均質化したブレンド茶を予め小分けにして個別包装し店頭に並べたのです。この「パケットティー」は小売りの主流となりました。 pic.twitter.com/w8qZ7i2CHW

2020-08-15 18:04:57
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同じころ、労働者階級にも喫茶が本格的に広まります。初めは工場主が始業前や休憩時間に労働者へ紅茶を支給しました。茶は覚醒作用があり作業効率を高める上、砂糖を入れればカロリー補給にもなるからです。またジンなどの安酒を飲むのを止めさせる目的もありました。 pic.twitter.com/MPKJA26uim

2020-08-15 18:05:31
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19世紀後半、スコットランド及びイングランド北部の労働者や農民に「ハイティー」の習慣が生まれます。これは仕事を終えた後に自宅でたっぷりと茶を飲みながら食事を摂るもので、アフターヌーン・ティーと比べて時間も遅く、肉類など本格的な料理が出される点が異なります。(画像は20世紀) pic.twitter.com/GV4H3lFVuA

2020-08-15 18:07:09
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労働者への茶の普及には、リプトンの安価な紅茶が一役買いました。同社の創業者、トマス・リプトンはセイロンの茶園を直接経営し、中間業者を排除。機械化された設備で紅茶を量産し、良品廉価・薄利多売を実現したのです。また、地域ごとの水質に合ったブレンド茶を出したことも成功の秘訣でした。 pic.twitter.com/mtUUWY7zsn

2020-08-15 18:08:18
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今や、紅茶はイギリスの国民的飲料となったのです。ビクトリア朝期が終焉を迎える20世紀初頭、英国人一人当たりの茶の消費量は年間8ポンドに達しました。これは現代の5ポンドを遥かに上回る空前(かつ、おそらく絶後)の水準だったのです。 pic.twitter.com/k9PFEfwSzK

2020-08-15 18:08:54
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ある英国人作家はこう述べています。画家、作家、政治家、牧師、職工、労働者、女家庭教師、洗濯女、主婦、そして女王さえもが紅茶に感謝しなければならない、と。 紅茶こそは、階級を超えた国民統合の象徴に他ならなかったのです。 pic.twitter.com/jiYJAdXOS0

2020-08-15 18:11:03
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その頃、新大陸では異変が生じていました。19世紀末、米国のコーヒーと茶の消費比率はおよそ9:1。その小さな茶市場を巡って中国茶と日本茶が死闘を演じていたところへ、英国植民地産の紅茶が殴り込みをかけてきたのです。 pic.twitter.com/c9h6DEIoIY

2020-08-15 18:11:34
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詳細は省きますが、米国では緑茶が好まれており、1870年代には茶の消費量の7割強を占めました。開国間もない日本は生糸と並ぶ輸出品であった茶を米国へ売り込みます。そして、ライバルの中国緑茶を抜き去り、1880年には米国の茶市場全体(紅茶含む)の5割を確保したのです。 pic.twitter.com/HeURZ4bGPs

2020-08-15 18:12:10
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しかし、日本緑茶の快進撃はここまででした。巨大な生産力を有する英国の紅茶産業は、市場を求めて米国に侵入。1912年には5,600万ポンドを売り捌いたのです(同時期の英国の消費量は約3億ポンド)。こうして英国紅茶は米国市場をも支配下に置いたのでした。 pic.twitter.com/l5AMFIR0RL

2020-08-15 18:12:45
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米国人一人当たりの紅茶消費量は1910年の0.3ポンドから1930年の0.6ポンド、1960年の0.9ポンドへと増加していきます。 アメリカ人は、新興国の国民らしく、新しい紅茶のスタイルを次々と取り入れました。アイスティー、レモンティー、ティーバックはいずれも米国で広まったものです。 pic.twitter.com/GVeafitTmM

2020-08-15 18:14:57
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英国人は当初アメリカの新流行に冷笑的でした。1953年、「マンチェスター・ガーディアン」紙は痛烈な風刺を掲載しています。 「茶はイギリス唯一の自慢 何も知らないアメリカ人 袋で茶を淹れるアメリカ人」 pic.twitter.com/FHyj0J3BR3

2020-08-15 18:15:34
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しかし、戦後になるとティーバックは英国に普及していきます。その背景として、貴族階級の没落、共働き家庭の増加(女性の社会進出)、生活スタイルの合理化等の社会の変化によって、以前ほどお茶に時間を割けなくなったことが挙げられます。 pic.twitter.com/KyCE0Yvgo5

2020-08-15 18:16:06
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また、嗜好の多様化により、アイスティーやレモンティーも受け入れられていきました。今日ではコーヒーの消費も増えていると言います。 それでも、紅茶は英国人の「ソウル・ドリンク」として将来も飲み続けられていくでしょう。 pic.twitter.com/s7PPu4lL9p

2020-08-15 18:16:47
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2020-08-15 18:17:10