チカラの行方

チカラは何処から来て、何処に向かうのか。
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shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

鬼滅の刃、読了。アマプラのアニメから入ったが面白かった。ジャンプの王道でした。

2020-08-26 22:50:58
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

鬼滅の刃の「透明な世界」は良かった。ああいうの大好き。 ドラゴンボール超にある身勝手の極意も好き。自分が好きなものって共通点があって、それを発見すると、より満たされていくのね、心の栄養が。

2020-08-26 22:54:31
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

だからそれ以外にも北斗の拳の無想転生とか、ジョジョの奇妙な冒険第五部黄金の風のローリングストーンズのスタンド使いの説明とか好きなんですけど、結局何が好きなのか、最強?チート?とか考えたけど、 辿り着いたのは、チカラの行方。

2020-08-26 22:57:47
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

意味不明なので、順を追って説明すると、今挙げたすべてのものは、物語上、最強だったりするわけでして、それはその存在が「在る」とされたと言えます。 どんなにカタチを歩んできたにしろ、在るし、そのカタチである以上、在り続けるとも言えます。

2020-08-26 23:01:36
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

それはまるでイデアだと思うのです。ものごとの原型、本質。 「在るべくして在る」が如くは、まるで運命の様にも思えてきます。

2020-08-26 23:04:36
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

在るとして運命付けられるのは、在るとして認められており、 在ることを赦されてもおります。 そういう強いチカラってのは、いわば赦しとも言えるわけです。 そう考えた時、自分がチカラによって赦されてる事がわかります。

2020-08-26 23:11:11
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

それは自分自身が生き抜こうとする、その自分のチカラに生かされていることについてもそうですが、他者から生かされていると感じる事は多々あります。 他者が自分に向けて、そのチカラを発揮して頂き、生かされていることについて、 その事実を見つめると、チカラは何処から現れ、何処に向かうのか。

2020-08-26 23:17:29
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

そんな疑問が浮かぶわけです。 それは、明らかに生まれる前ですわな。ビッグバンからエネルギーは生まれ〜とか、、、そんな話もありますが、、、もっと短的に認識しようとした時、 この「認識」からこそ、チカラは生まれていると考えました。

2020-08-26 23:20:53
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

チカラを、チカラと認識しない限り、そのチカラを支配して、操れないのは自明です。 だから、チカラを認識すれば、 そのチカラを支配する機会はどんどん生まれていく。

2020-08-26 23:24:39
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

そうやって、気付く事でチカラを認識できるという感覚は、以前に話した事もあるニーチェのニヒリズム、つまり全ての物事に虚無感を覚える事、何もかもに虚無感を感じることは、何もかもに「意味無し」と思う事であり、それは意味無しで「在る」と自分が認識したとも言えます。

2020-08-26 23:46:25
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

ですが、自分自身が意味無しで「在る」とした事は、「在る」時点で、逆に言えば、すでに意味が在るのです。でしたら、意味無しで「在る」も、意味があるとする「在る」も同義です。であれば全てに意味が在ると言えます。 ニヒリズムの偉大さは、まさにここにあると思うのです。

2020-08-26 23:53:37
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

話を戻しますと、知覚した時、チカラはチカラを有し、そのチカラの作用を齎し、自分は勿論、他者を、そこに居ても良いとする結果を与える事ができ、それはまるで運命が如く認められ、赦されている様に捉えられるという事です。 だからまるでチカラは赦しであるが如く感じてしまいます。

2020-08-26 23:57:45
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

チカラというのは、アクション映画や少年漫画ばかり観ていると、破壊にこそ、その真価があるように思えます。 しかしそのチカラが今の私や、他者を生かしてきたのならば、かつて確かに破壊を象徴してきた歴史から考えた時、そのチカラというのは破壊しかもたらさないかを考えてみるのです。

2020-08-27 00:02:00
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

でも確かに私も「在ります」し、他者も「在ります」。今日でも破壊による課題も多いですが、かつてほど破壊ばかりが全面には出ておりません。むしろ「在る」または赦しとしての「在る」が目立つくらいです。SDGs然り、社会の課題解決のシステム作り然り、差別の是正にしろそうです。

2020-08-27 00:07:25
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

人間が知覚し、チカラを有するほど、「在る」という方向にチカラは向けられていきます。 でも昔からそうです。刀や銃でさえ、破壊という殺傷の真向かいにその破壊により繋がれる命もあり、結果はどうにしろ、自分の命や他者の命を繋ぐ為に行われる事もあります。

2020-08-27 00:10:25
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

例え、自分勝手な破壊にしろ、それが自分にとって心の栄養であるならば、それは社会不適合かもしれないが、破壊により自分を認め、赦す人の姿でもあると思うのです。 「在る」は本当の意味での、多様性を認めてくれる唯一と言えます。だから誰もが「在る(=チカラ)」を使い、

2020-08-27 00:14:00
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

自らを赦しにかかる。 そのダイナミズムな「在る」にこそ、誰しもの運命が在るのだと思います。 上記を考えた時、思い付いたのが、神風特攻隊、三島由紀夫でした。何故だろう。

2020-08-27 00:17:52
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

ジョジョの奇妙な冒険第5部黄金の風 ローリングストーンズ youtu.be/1QXbjuCsjIE?t=…

2020-08-27 00:32:36
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shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

「無意識」という最高の判断力:心理学実験 @wired_jp wired.jp/2010/10/15/「無意識」の判断力:心理学実験/

2020-10-06 17:31:22