比較すると驚く古代ローマと中国古代の違いー中国では何故、四輪馬車の普及が数千年も遅れたのか?誤解された言葉「南船北馬」について

講談社選書メチエ『軍人皇帝のローマ』が中国史と古代ローマの比較をしてるのをヒントに、最新の研究成果である「馬車」の起源について、ユーラシア大陸の東西の世界を比較していきます。
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

この帝居、皇都は、モンゴル帝国(元朝)の首都である大都(北京)か夏の避暑地上都を指してるはずですから、この場合の「北馬」は、モンゴル高原の馬を指していたと見て良いです。モンゴル帝国の時代は時代区分では「近世」ですが、現在と全く同じ使い方がされてた訳では無かったことが分かります。

2020-08-31 04:44:40
巫俊(ふしゅん) @fushunia

このように、「南船北馬」は、その成立過程を見ていくと、最初から現在のような意味で使われていた訳では無く、胡人は馬に乗りこなし、越人は舟に乗りこなし、それぞれ長所があるという言葉から始まり、遊牧民と漢人の融合が進んだ唐代には、中国の南北の情景が北騎・南帆が動くさまで説明されました。

2020-08-31 04:56:53
巫俊(ふしゅん) @fushunia

唐代になると、江南の開発が進んで、その経済が飛躍的に増大してる訳ですから、中国の北方と南方の違いを象徴する言葉になってました。しかし、その後の元代になると、モンゴル高原が「北馬」、草原の端の大都に大運河でつながった中国が「南船」と呼ばれてます。

2020-08-31 05:00:34
巫俊(ふしゅん) @fushunia

ここまでの間に、中国北部では、舟による輸送が不向きだったと説明する史料はありません。先秦時代の『尚書』禹貢では、中国の地理が川を中心に説明され、そこから貢納品が運ばれてくると説明されてます。黄河下流の大平原の主な輸送方法は「水路」だったとされてるからです。

2020-08-31 05:06:10
巫俊(ふしゅん) @fushunia

そして、明清時代になると、大運河の税関が置かれた淮安(わいあん)という場所が南北交通の要衝として発展したとのことですが、この地に「南船北馬」の石碑があるとのことです。「南船北馬」の意味が現在の意味で固定されたのは、こうした後の時代の大運河の輸送が関係していました。

2020-08-31 05:10:58
巫俊(ふしゅん) @fushunia

そして、近代以降になると、中国南北の気候区分といった歴史論が論じられるようになり、近代・現代の歴史家が好む「分かりやすい言葉」として、「南船北馬」がクローズアップされたと考えられます。従って、「南船北馬」には虚実があり、とくに先秦時代を語るには適さない、ということが分かりました。

2020-08-31 05:14:08
るおちぃ@活動中 @ruoqi91

南船北馬も近代の先入観だったのか…ほえ〜。

2020-08-30 19:50:49
るおちぃ@活動中 @ruoqi91

@fushunia 題材が三國志演義かつ漫画とはいえ、この描写もあながち間違いではないってことでしょうか…? pic.twitter.com/BEz940nTfY

2020-08-30 19:58:13
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

@ruoqi91 どちらかというと、昔、放送された人形劇三国志では、華北の描写がえらく乾燥してて、土埃(ぼこり)だらけの土色の風景だったのを覚えてます。そういう描写は近代・現代の中国北部の乾燥した環境が元になってるんでしょうね。

2020-08-30 23:34:25
yunishio @yunishio

たしか『三国演義』には「南船北馬」という言葉が引かれ、南方では船をよく使うという説明があったと思うが、だからといって北方の人間が船を使わないわけではない。むしろ古くから運河が発達して船を日常的に使っていたのは北方のほうだろう。南方は山がちで運河の開発も行きとどいていなかった。

2011-11-06 10:19:46
巫俊(ふしゅん) @fushunia

南船北馬じゃなくて、「南人駕船,北人乗馬」ですね。しかも劉備にそんなことを言われて笑われたと思った孫権が、さっと馬に乗って、山を下りたり嶺に上ったり自在に馬を操ってます。孫権は笑いながら劉備に言った「南人は馬に乗れないと思ったか?」

2020-08-31 12:37:53
巫俊(ふしゅん) @fushunia

『三国志演義』第54回 玄德歎曰:「『南人駕船,北人乘馬』,信有之也。」孫權聞言自思曰:「劉備此言,戲我不慣乘馬耳。」乃令左右牽過馬來,飛身上馬,馳驟下山,復加鞭上嶺,笑謂玄德曰:「 南人不能乘馬乎?」

2020-08-31 05:35:26
巫俊(ふしゅん) @fushunia

追加記事編集中に、三国志サイト「むじん書院」のむじんさん(@yunishio)の関連ツイートを見つけたので、ひとつ引用させて頂きました。10年ほど前ですが、むじんさんに官渡の戦いの運送拠点・烏巣の位置を教えて頂きまして、エン州から穀物を運ぶ水路上に位置してるとのお話が興味深かったです。

2020-08-31 13:28:55
巫俊(ふしゅん) @fushunia

あと、横山光輝の三国志漫画などに出てくる「洛陽船」は最近の創作です。それと『三国志演義』は明代の小説です。明代には、「南人は馬に乗れないだろ(笑)」という認識があったようですが、孫権の父親は中央や涼州でも活躍した孫堅で、馬に乗れないはずはなく、子どもの孫権も習っていたはずです。

2020-08-31 13:39:00

結局のところ、中国史でよく知られた「南船北馬」は、現代人の歴史家が使う「歴史用語」であり、元の意味はそれぞれの時代で少しづつ違ったし、現在の意味は、気候区分とか後世の時代の輸送認識とかが反映したものでした。

巫俊(ふしゅん) @fushunia

それと思ったんだけど、漢詩の対句とかだと、「馬」と「船」を対句にしたくなったりするのかもしれないけど、戦闘用、輸送用などに、これらの移動手段が両立することも普通にある訳で、見落としにつながってるんだと思います。 twitter.com/fushunia/statu…

2020-08-31 22:50:47
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