近世剣術・剣道の突き技と胴技について

江戸時代後期~幕末の資料をみていると、 「胴打ちや突き技は実戦では使えない」 とする記述が散見されます。 そのあたりの話について。
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みんみんぜみ @inuchochin

個人的な推測だけど、実戦で使える使えないは別にして、形や技に突きや切っ先で攻めるものがあるのに、突きを試合で禁止していたのは防具とシナイが突きに対応していなかったのもあると思う。実際、大石進は突きが稽古できるように竹刀と防具を改良したと伝わっているそうだし。

2020-09-15 01:41:34
みんみんぜみ @inuchochin

あと、試合と実戦の事を考えてみる。 切先で攻める心理効果は真剣でもあると思うけど、竹刀の突きのようなに物理的に突き止めるのは真剣では無理じゃないかと思う。簡単に言えば、敵の打ち込んでくるのと同時に面や胴に突いた場合、竹刀なら敵を止められるけど、真剣なら相打ちになるんじゃないかと。

2020-09-15 01:44:16
みんみんぜみ @inuchochin

私が知ってる範囲の古流の組太刀に出てくる突き技、突いたあと相手の打ち込みを防ぐ動作があったり、そもそも敵の太刀に乗って突いたり、敵のこぶしを切り抑えてから腰を突くような技が多い。 槍術でも対太刀で近間で相手の打ち込みに対して突く場合、突いた後に頭を防御する姿勢をとる例があります。

2020-09-15 01:47:57

(参考)突き技と面の突垂の登場

みんみんぜみ @inuchochin

18世紀~19世紀初期頃の剣術の資料を見てみると、直心影流、神道無念流、一刀流(忠也派)など江戸で稽古されていた流派は今で言う袋竹刀が使われていた事が記録に残っています。北斎漫画の剣術稽古の図も使用されているものはどれも袋竹刀です。「諸流派武道具」の面にはどれも垂がありません

2020-08-28 13:05:00
みんみんぜみ @inuchochin

ここで幕末期から少しさかのぼって19世紀初期、文化文政期(1804~1831)までの江戸の剣術界隈の頃の話をします。 この時期は現代剣道的な竹刀(四割竹刀、コミ竹刀)はほぼ見られず、袋竹刀に分類される種類の竹刀が一般的でした。 画像は文化9年(1812)の北斎漫画にある剣術試合と道具の絵です。 pic.twitter.com/K3xxzRMSTT

2020-08-28 12:58:14
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みんみんぜみ @inuchochin

こちらは富永堅吾「剣道五百年史」の口絵にある諸流派武道具です。現在では剣道の竹刀に革をかぶせたシナイを使っている直心影流も普通の袋竹刀を使っていた事がわかります。 pic.twitter.com/bP8g8p4CY0

2020-08-28 13:02:55
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みんみんぜみ @inuchochin

つまり男谷精一郎、千葉周作、白井亨、斎藤弥九郎、窪田清音など18世紀末に生まれ19世紀前半〜半ばの江戸で活躍した剣豪たちが修行時代に使っていた竹刀や防具は、現代剣道の竹刀や防具とは違っていたということです。

2020-08-28 13:07:00
みんみんぜみ @inuchochin

ここで旧御家人の絵師楊州周延(1838-1912)が明治30年に江戸時代の幕府の行事を描いた千代田城之御表武術上覧では、現代剣道と同じ四割竹刀に突垂ありの面をつけ試合が行われています。 つまり、19世紀初頭の文化期から19世紀半ばの幕末期の間に、剣術稽古道具の変化があったと考えられます。 pic.twitter.com/jrCEbwwIMO

2020-08-28 18:35:38
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みんみんぜみ @inuchochin

@ujyou4 @shubudo21 北斎漫画のここにも書かれていますが、流儀により制作様々、なので流派により形状が違います。 文化文政の頃だと突き技を使う流派も少なかったでしょうから突垂は一般的では無かったと思います。 pic.twitter.com/KtWQsmPL4W

2020-08-28 20:51:33
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