- sky_kotaro
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キン肉マンでは,確か,仁徳天皇陵がマグネットパワーを相殺する鍵穴として登場していた.あれも考えてみれば凹凸反転のひょうたん島/池であったかもしれない.勿論,古典を繙けば蓬莱島あたりに原典があると思うが,要はその原イメージが定着する過程でコミック等々を纏い変装したとこにある.
2011-12-01 18:08:08築山も良い言葉ですね.何か色々見ていると,古代からの半人工的な小丘は植樹と伴に築かれた気もします. RT @hakonenoyasu: 俺は築山と言ってしまう。
2011-12-01 08:18:54日本八景に戻るが,八景めの十和田湖/鏡花もやはり冴えていた.彼は風景を怖がる事においての天才だろう.怪談と風景の分化と未分化あたりに触れたもの.
2011-12-01 00:20:01世界に誇る宮脇方式に話は戻るが,宮脇氏が植生に用いるマウンドをほっこらホッコラと表現していたのが可笑しいと同時に気にかかっている.つまり多孔質な土や礫や瓦礫でボリュームをつける事の様だが,いつ頃からこの表現を使ってるのだろう.というのも塚や墳墓や祠ほこらと繋がる話なのか?
2011-12-01 00:11:30幽邃な左岸の林に釣人がいる。一人、二人、三人、四人。木曾川/北原白秋,より.という表現もある。つまり,重複表現にも言えるが,彼は変幻するシーンの要点を単簡な単語を繰り返す事でトレースしているのだ.風景描写として当たり前ともとれるが,これはスーラの点描やパウルクレーの狂気に近い.
2011-11-23 00:06:07木曾川/北原白秋,先に引用した爆音を発する工作船の描写,2艘位なら敢えて"一、二艘"とせず二艘とキッパリ言えばいいようなものだが言っていない.のは彼の記憶が曖昧だからでも適当だからでもなく,時間を経て一、二と数えられたからであり継時的な風景表現を実験しているからである.
2011-11-22 23:51:32緑の平面、平面、平面、...小舟が一、二艘、爆音、爆音、爆音である。...蝉、蝉、蝉、つくつくほうし。木曾川/北原白秋,より. 青空文庫版日本ラインでもその一端を感じられるが,カットされた前後も楽しい. http://t.co/VSNdjHUD
2011-11-22 23:44:11五景目,木曾川/北原白秋,凄まじい,白秋の狂気がみなぎっている.酔ってるのか,原稿を埋めたいのか,童謡取材を兼ねた実験作なのか,名詞動詞形容詞の繰り返し表現の多用.吟遊詩人が炸裂している.小学校国語の作文なら確実にきつい指導が入る魅惑的な悪文だ.
2011-11-22 23:30:21彼は室戸岬を賛する為に,八景の選に漏れ,かつ彼が過去に紀行した,鵜戸,石廊,御座,金比羅,雄鹿を参照するも,どうもしっくりこない.そして西に周り足摺から過去の室戸を振り返るのだがそれもうまくいっていない.南国の植生や測候所からも見てみても.すばらしきフラット・ランドスケープ!
2011-11-22 19:02:23しかし此処ではそれが何処にもない。室戸岬/田山花袋,より.*"此処"とは室戸岬,"それ"とは展望する場所を単純には指示していますが,この全編を読む時,この一文が怪異に響きます.
2011-11-22 18:44:44日本八景,前半四景を読んだ.狩勝を描いたヘキゴトーの洒落も楽しいが,恐るべきは室戸岬の花袋だろう.文学史上,彼の自然主義作風の凡庸は群を抜いてるが,ここでも徹底した凡庸に戦慄する.彼は一周遅れでフラット・ランドスケープに追い付かれていたのだ.その後進性は改めて評価されるべきだ.
2011-11-22 18:35:52犬がよく,その辺の野草を噛みくだして,のち,食べた餌をもどしてしまう.犬はその現世に戻されたモノを申し訳なさそうにまた食べてしまうのだが.あれを見てると輪廻やリバースというよりフィードバックをイメージしてしまう.フィードバックというよりフィードバックbackかもしれんが.
2011-11-13 20:43:03都会といふもの.都市の闊歩がともすれば,狩猟的精神や山歩き,渉猟の願望を満たすのだとすれば,そのあたりの塩梅なのだろうと思う.マッハで歩くのは,少しアスレチックなもの,アスリートな原始の喚起させるためでもあります.
2011-11-13 20:32:35都会といふもの.都市的な人間からはこの理性は自由意志の制限として自負,顕示,誇示されている.のはやや滑稽であって,動物的機械的整序,つまり空間システムがその活闥な精神に枠組みを与えていると仮定するのは皮相に過ぎるだろうか.
2011-11-13 20:25:25都会といふもの.このひとゴミにまみれると動物である人間,や群れとしての人間を強く感じる.面白いのは,この群れに機械的な整序を与えている都市空間が,理性のカタチとしてその群れに還元されている,今様に言えばプライドとしてfeedされている事だ.
2011-11-13 20:12:56歴史の初学者や意匠の人に多かった記憶があるが、建築の遺構に対し、過去の建築家(に相当する者)の思想だとか言説が建築の実態として表現されているかのように語られることがあるが、これは恐らく間違いで、現代の建築思潮そのものを過去に当てはめてしまったことの錯誤のように思われる。
2011-09-06 10:39:26『共同的身体論』=化モノ論+建築自然(ハダカ)論+排泄論+幽閉論+被覆論+ポルターガイスト論 …311後、ハードル高くしすぎた。生きてるのと同じになって来た。
2011-09-02 10:00:23日本の"みどり"の標語がやけに可笑しいのは,この国の公共が記す言語感覚に障害があるためである.価値化,数値化が標準化へ傾斜する問題,目的や意義以上の信義が公準足り得ない心性,とも関わるが,特殊記録への偏愛はもしかしたら国民性なのかもしれない.
2011-09-02 02:44:31金田一にとって,大地は常に記録されていなければならない.都市とは高度な言語に記述された記録でもあった.と同時に記録に犯され続ける余白,言い換えればオープンスペースであったことも忘れてはならない.
2011-09-02 02:23:47地図図面建築風景には欲望から常に参照がなされている.その欲望とは未開や原始が既に兆した空間への近代知とも言える.震災の風景がショックなのは,金田一の総覧が脅かされ,機械,たぶららさ,無登記,が瞬間的にも無意味に人間の眼に現れたからでもあった.
2011-09-02 02:17:21メダカには,生命維持ツールとしてのエサ,性の対象あるいは代償としての同類,シェルターとしての巣,が少なくとも見えてる.人間も同様に,自らの欲望を見ている.
2011-09-02 01:53:42現実とは何か.この液晶であって,紙であって,インクである.つまり機械な物自体.が意味を為した時が風景であって,人間には意味を為さない物は見えてこないというジレンマにまた戻る.
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