物語・神話・ファンタジー

「誰でも編集可」 にしました 記事の削除だけは、ご勘弁を 現代日本のオタク文化 が 切込み口のひとつになってます
8
前へ 1 2 3 ・・ 6 次へ
皆川正夫 @masagho

中沢新一『狩猟と編み籠』読了。映画は宗教と同じ構造をしている。映画は無意識と通底し、テレビは日常とつながる。映画はこころの奥底を見つめる体験であり、テレビは他人とのコミュニケーションとなる。

2010-04-26 15:52:00
かふ @kafu_f

象徴への欲望、類像への欲望、痕跡への欲望…これをオタクの世代区分と対比させて考えてみると、第一、第三・四、第二世代となると思われる

2010-04-28 09:11:10
KONDO Mitsuhiro 近藤光博 @mittsko

オタク系創作物の構成要素(1)ヒト・モノ範疇―― 異性、ヒーロー、悪者、仲間、超生物(怪獣/霊/超人)、超技術(メカ/武器/聖遺物)、一般のヒト・モノ(「現実」)

2010-04-29 09:35:23
KONDO Mitsuhiro 近藤光博 @mittsko

要するに 童話=神話そのものってことだが、直接的な性刺激機能が特徴的かも それは メディア化と個人化という歴史の長期変容のなかでとらえるのが いいかも

2010-04-29 09:44:04
KONDO Mitsuhiro 近藤光博 @mittsko

想像が空想から妄想へとつながるのは確かだけど、理想もまた想像にほかならない!

2010-04-29 09:50:13
KONDO Mitsuhiro 近藤光博 @mittsko

ファンタジー論は 一度 メタファー論をくぐんなきゃいけないかもしれない 何から読むか… どのタイミングで読みはじめるか…

2010-04-29 19:31:11
KONDO Mitsuhiro 近藤光博 @mittsko

オタク系創作物の構成要素(2)時空間の設定―― 現代と遠/近過去と遠/近未来、現世界(いついつのどこどこ)と異世界(空想世界、いつかどこか)と両世界ハイブリッド

2010-04-30 08:14:50
KONDO Mitsuhiro 近藤光博 @mittsko

いわゆる神話はふつう 遠過去のここを舞台にする これについては いくつかポイントがありそう 第一に、その過去は 現在の説明であること

2010-04-30 08:26:13
KONDO Mitsuhiro 近藤光博 @mittsko

第二に、神話は 現時空と異時空を客観的に区別しない これは、人間の言語=存在論的な基本様態の活写であろうが、それだけではない

2010-04-30 08:33:22
KONDO Mitsuhiro 近藤光博 @mittsko

もともと神話は パフォーマティヴであるらしい それ自体が 上演されるべき正しき時空を与えられていたらしい つまり、非神話的な知識と原則との配置を成り立たせる力学を 別にもっていたらしい

2010-04-30 08:43:13
@ZEROWORKS

「システムの成熟→システムの崩壊→バトルロワイヤル状態の現出→小さな共同体の形成(回復・持続)→公共性の形成→システムの成熟」という循環的な物語の論理から逃れられる類型が、「マルチヒロインもの」であれ「多世界もの」であれ「ループもの」であれ、過去2000年間に存在したであろうか?

2010-05-02 03:12:43
@ZEROWORKS

わたしが生まれた年に出版された米澤嘉博さんの『戦後ギャグマンガ史』の冒頭を読むと、あからさまに「ユーモア=生ぬるい子供の笑い/イロニー=痛烈で理知的な大人の笑い」という図式が提示されているんだけれども、正確には、前者は水平的で民主的な笑い、後者は垂直的で超越的な笑いでしょう。

2010-05-02 04:33:16
@ZEROWORKS

合衆国の1950~60年代のSF・ホラーもの映画が「共産主義という異星人」の隠喩であったとすれば、同時代に生まれたロックやわが国のアニメは、それ自体が異星人であって、歴史の起源が「異星人」なのだから、現在の「畸形的な進化」は当然の帰結でありましょう。永久に地球人とは交わらない。

2010-05-02 06:36:18
@Abraxas_Aeon

プロテスタンティズムの発達史は偶像破壊の歴史だ。[…]教会の権威がいったん揺らぐと、破壊もさほど困難ではなかった。大規模であれ小規模であれ全体としてであれ個別的にであれ、バラバラに崩壊してしまい、遂に現在至る所に見られる、恐るべきシンボルの貧困がもたらされた。(C.G.ユング)

2010-05-05 03:51:02
@Abraxas_Aeon

シンボルの貧困化が進むことには意味がある。その傾向には内的な必然性がある。考えられなくなった事柄や、そのために発展していく意識との意味連関を失った事柄は、全て消え去ってしまう。(C.G.ユング)

2010-05-05 04:04:05
@Abraxas_Aeon

私には、[ブラヴァツキー夫人の創始した神智学の徒のように、貧弱な身体を東洋風の華美な衣装で包もうとし、]正統な相続人でもないのに、財産を持っているような振りをするよりは、精神的に貧困でシンボルがありません!ときっぱりと告白する方が、よほどマシだと思われる。(C.G.ユング)

2010-05-05 04:11:12
@Abraxas_Aeon

[ただし、]精神的貧困に気づくことは危険なことである。何故なら貧しいものは欲しがり、欲しがる者は不幸を招くからである。いみじくもスイスの諺にいわく、「金持ちの後ろには一匹の悪魔、貧乏人の後ろには二匹の悪魔がいる」と。(C.G.ユング)

2010-05-05 04:22:53
KONDO Mitsuhiro 近藤光博 @mittsko

ファンタジー,メタファー,リアリティ http://lizliz.tea-nifty.com/mko/2010/05/post-c159.html 『海辺のカフカ』の一節を引用しました メタファーとソリッドな現実は、言うまでもなく ともにクルーシアルである、と

2010-05-05 08:40:17
宮台真司 @miyadai

その当時「非日常」の中に「日常」が浮かんでいた。〈世界〉の中に〈社会〉が浮かんでいた。だからヒョンなことで「日常」は「ウソ日常」として、「社会」は「ウソ社会」としての相貌を表した。ヒョンなことを提供するのがアートだった。それが「ウソ日常」「ウソ社会」と分かってしまったら戻れない。

2010-05-05 08:58:04
宮台真司 @miyadai

別の言い方をすると、「日常」や「社会」から成り立つ閉鎖系カプセルには、容易に亀裂が入り、亀裂に手を伸ばすことを通じ、僕たちは〈世界〉に接触できた。フリップの言う「恩寵の扉」とはそういうこと。今は「非日常」の中に「日常」が浮かぶどころか逆に、「日常」の中に「非日常」が登録されてる。

2010-05-05 09:05:58
KONDO Mitsuhiro 近藤光博 @mittsko

村上春樹 『海辺のカフカ』 における世俗概念 http://lizliz.tea-nifty.com/mko/2010/05/post-a856.html J・ウォーカーの台詞の引用だけです 要は、立派な芸術はこのようにして《宗教/世俗》の二分法を 端から相手にしていない、と

2010-05-05 09:08:06
KONDO Mitsuhiro 近藤光博 @mittsko

たとえば、 『深い河』 は傑作だとは到底思わないけど(てか、遠藤の評価は 僕のなかでビミョーだけど)、 たしかにこの《善悪の彼岸》 《神話的=無意識的マトリックス》 を印度にみていたのだった

2010-05-05 09:11:07
宮台真司 @miyadai

〈世界〉を告げ知らせることで〈社会〉を「今まで通りには」生きられなくする機能がアートだとすると、文学における受容理論に寄り添う形になるが、何かがアートであるか否かは--〈世界〉を告げ知らせるか否かは--受容文脈(社会的文脈)次第だということになる。僕の10代と今の10代の落差。

2010-05-05 09:23:11
宮台真司 @miyadai

トークでは微妙な問題を幾つか話した。(1)〈世界〉の告げ知らせは「作品」「表現」を経由する必要がない。前衛やシュルレアリストが作品や表現といった人称性にこだわる点、ロジェ・カイヨワが述べたように「モダンアートの自明性」にアート界が埋没していないか。僕らにとってはどーでもいいのに。

2010-05-05 09:28:34
宮台真司 @miyadai

(2)これもカイヨワが述べたことだが、〈世界〉からの告げ知らせを、「見えないものが見えるようになる」という19世紀的な「潜在性の思考」に引き寄せがちではないか。「植物図鑑」以降の中平卓馬がそうだったように、目の前の日常風景が「そのまま」圧倒的力を以て脳髄を打ち砕くゴッイ的経験は?

2010-05-05 09:31:59
前へ 1 2 3 ・・ 6 次へ