物語・神話・ファンタジー

「誰でも編集可」 にしました 記事の削除だけは、ご勘弁を 現代日本のオタク文化 が 切込み口のひとつになってます
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宮台真司 @miyadai

(3)非日常を日常として次々と登録する日常において、影踏みのように非日常を追いかける営みは、それ自身、ポストモダンどころかモダンの運動そのものなのではないか。日常と非日常という図柄を完全に放棄した上で〈社会〉と〈世界〉を考えるべきではないか。そこで僕が参考にするのが人形劇の世界。

2010-05-05 09:36:47
宮台真司 @miyadai

やはりカイヨワがブルドンらシュルレアリストを批判したのが、〈世界〉の訪れを神秘的なものと見る通俗傾向。RT @wamiho: 宮台さんがアートについてツイート。日本で作家性とかいうとこういうアーティストに降りてきたものを神秘的なものとして扱いがちな気が。RT @miyadai

2010-05-05 09:59:30
宮台真司 @miyadai

そこには、ユングが喝破したように、神秘体験は、神秘現象の存在を指し示すどころか、〈世界体験〉の1フェイズに過ぎないとの見做しがある。むろんそうした見做しも〈世界体験〉で、我々は〈世界体験〉の外には出られないが、たかだか個人の神秘体験にこだわるが如き主観主義は克服されねばならない…

2010-05-05 10:04:15
宮台真司 @miyadai

素晴しき纏め。RT @TT65536: 宮台先生のツイートを見ながら。昔は「非日常の中に、日常が浮かんでいた」から、そのことに気づかせる「アート」が意味を持った。今は「日常の中に、非日常が登録されている」つまり「時々行って帰るもの」になり、アートも「日常の一部」に吸収されている。

2010-05-05 10:05:20
宮台真司 @miyadai

類似への気づきの連鎖によって〈世界〉は確かにそうなっていると一瞬の気づきに到る(一瞬後にはどうなっていると思ったのか定かでなくなる)という、人称性に還元できない「全体性への気づき」を、ベンヤミンはアレゴリーと読んだが、同時代に仕事をしているカイヨワ(やや年少)と共鳴している。

2010-05-05 10:10:40
宮台真司 @miyadai

蓮實の「説話論的な磁場」は僕の概念系では「〈世界体験〉の構造」に相当。蓮實の「物語」は「〈世界〉はこうなっているという主張」に相当。「〈世界〉はこうだという主張」として破綻していても「〈世界体験〉の構造」を掬い上げたものがあるのに、それに鈍感化しつつあります@chimumu さん

2010-05-05 10:20:24
宮台真司 @miyadai

いや榎本さんと呼びましょう。おはようございます。『映芸』読みました。かつての討論を思い出しました。続けますね。「知っている者が語る」とは、「〈世界体験〉の反復される構造を熟知した者がテオリア的観念を保持したまま〈世界〉はこうだという物語を語る」に当たります。

2010-05-05 10:28:17
宮台真司 @miyadai

:榎本さんの仰言るのは、「〈世界体験〉の反復される構造に無知なまま口角泡を飛ばして〈世界〉はこうなってるんだぞという誰もが知っている話を反復する」という事態です。レイヤーがややずれるのですが確認すると、表層=説話論的磁場=〈世界体験〉の反復構造。深層=物語=〈世界〉についての主張

2010-05-05 10:29:33
難波修羅 @nanbashura

ユング=エリアーデが普遍的無意識を構想したのは、神話の超局所性・反復性=超時代性を観察したからだけれども、それはゲノン、コルバン、湯浅らの永遠の哲学・伝統主義への着地を考えてのことだったかもしれない。が、それはアプリオリのものとしての元型とパターンを一絡げにする誤解を受けた。

2010-05-05 10:55:33
難波修羅 @nanbashura

パターンの反復を伝統主義者の多くがそれが普遍的様式だからなのだと誤読した。しかし、そうではなく凡庸なパターンがランダムに散らばっており、それが偏りが比定を通して認識されるとき、それが反復なのだと言うことが、まず理解されなければならない。

2010-05-05 11:11:34
難波修羅 @nanbashura

このことをユングは布置(コンステレーション)と呼んだ。これは運命的なるもの(ダイモーン的なるもの)の配置・プロセスの構成が、星の恣意的集合に過ぎないが運命を定める星座(コンステレーション)が見出す側によって形作られることに、明らかに意識的な命名である。

2010-05-05 11:19:30
難波修羅 @nanbashura

またコンステレーションの命名には「アスペクト」によって意味が複雑的・輻輳的との含意があるのかもしれない。アスペクトは意識の世界認識に対する仕方であり、パターンであるが、それは無限のアスペクトの内のひとつに過ぎず、無意識には意識化されない無数のアスペクトがあり、しかも常に

2010-05-05 11:42:51
難波修羅 @nanbashura

しかも常に、コンステレーション自体がリビドーの流動として変容しているのである。常にゼーレは変容している故に、意識化のプロセスには終わりがない。しかも、おそらくゼーレは他者やダイナミックな個人的のゼーレの集合・創発としての社会的無意識や世界そのものと風と波のように融合している。

2010-05-05 11:57:12
難波修羅 @nanbashura

元型はこのような、無数のパターンのうち最も凡庸でありふれたもの、偶然なされる確率の高いもの・大量のものとして経験科学の観点に捕捉されるものである。ユングはそのため元型は必然的なものと言うよりは蓋然的なものであると述べたのである。

2010-05-05 12:25:12
難波修羅 @nanbashura

元型を普遍的なものと見做すのは、したがって、あくまで経験科学≒現象学の観点からは転倒である。では、元型が最もありふれたものであるにも関わらず、元型体験=「世界体験」が強烈なものとして聖体示現するのは、なぜなのだろうか?

2010-05-05 12:41:39
難波修羅 @nanbashura

ユングは、それをエナンティオドロミーとして説明している。風が海に吹くとき押さえつけられたエネルギーは別の場所に波として力を蓄え、一瞬後には元の場所にあるいは別の場所に打ち寄せる。それは水のいかなるアスペクトにおいても平衡を保つべく全体が同時に、リズミカルに運動する。

2010-05-05 12:54:54
難波修羅 @nanbashura

したがって、元型体験を引き起こすエナンティオドロミーは個人のゼーレの偏りと、ゼーレ自体の外部との平衡との二つの要因が考えられるが、そもそも我々の想定するゼーレの外部はゼーレとしてしか体験されないのであることを付言しておく。

2010-05-05 13:02:21
難波修羅 @nanbashura

元型は大量のものである。比定・パターン認識によって世界を把握する我々にとって、類似・相同のものの分布の偏りである元型は強烈に引き戻り、シミュラクルの全てを連動して元型体験を引き起こす。そしてその波紋はの潮流のごとく無限のアスペクト間で平衡を保ちながら、コンステレーションを反復する

2010-05-05 13:38:08
難波修羅 @nanbashura

ユングの個人的無意識、ナショナル無意識、普遍的的無意識は階層的に構造化されていると多くの場合理解されている。実際ユングもそのようにとれる説明をしたりもしているが、そうではなくゼーレ間の創発と世界との連動により生じる集合的無意識のまとまりの、数学の意味の集合の名称と見做すべきだ。

2010-05-05 14:12:23
難波修羅 @nanbashura

そうでなければ記述的研究の範囲を逸脱し、かつあまりにスタティックな見方である。エナンティオドロミーが外部から波及してきたものにせよ、内的偏向が原因にであるにせよ、それはゼーレの内部での体験としてしか経験出来ない。無意識から波及してくるものは、そもそも意識化の網を免れたものである。

2010-05-05 14:24:03
難波修羅 @nanbashura

任意の心的プロセスが無数の転移のプロセスによってシンクロするようなとき、そのプロセスは転移誘発の契機の量によって増幅されることがある。そのようにして集合的無意識はこの個人の集まり以上の振る舞いを見せる。

2010-05-05 14:42:00
難波修羅 @nanbashura

このとき、すでに波紋をもたらしたものは過ぎ去り、ただその残響が自我をとり囲んで、元型パターンを示す。こうした無意識の海嘯のうち自我の帰属・アイデンティティに関わる群のなかで世界それ自体の群と関わる群のカテゴリーを、とくにユングはセルフ元型と呼んでいる。

2010-05-05 15:01:29
河野至恩 / Shion Kono @shionkono

ルネ・ジラール、インタビュー【英語】。『金枝篇』からキリスト教と神話の比較、文明論へ。 > @edouard_edouard: René Girard … FORA.tv に長いインタビューが…。節々で衝撃的な発言… http://bit.ly/a1WI8d

2010-05-05 18:38:30
KONDO Mitsuhiro 近藤光博 @mittsko

おもしろい!これこれ! RT @Abraxas_Aeon: @mittsko ちなみにユング関連でしたらこんなネタをまとめてあります。http://togetter.com/li/13841

2010-05-05 19:41:07
@Abraxas_Aeon

人間は全ての地上の生物と異なり二重性を有している。即ち、身体の故に死ぬべき者であり、本質的人間の故に不死なる者である。不死であり、万物の権威を有しながら、運命に服して死ぬべきものを負っている。こうして(人間は)世界組織の上に立つ者でありながら、その中の奴隷と化している。『CHⅠ』

2010-05-05 20:16:59
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