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応仁乱後槍の集団戦が重視された後では 手盾は偵察用以外では廃れたかも知れぬが 十手単体或いは陣笠+十手或いは刀での戦闘は乱戦時に行われた可能性は有るのかだが
2020-12-31 11:32:38pinterest.jp/pin/3436106465… 兜を矢に対する盾としている絵も有るが 現実には半身と成り 袖と吹返を盾としていたのかだが 袖の無い歩兵や騎兵が垣盾のカバーが無い場合に 兜を外し盾とした例も有るのかだが
2021-01-01 12:03:56木製手盾の材質
pinterest.jp/pin/3436106465… 掻盾・手盾も船の盾板同様に 樫以外の素材が使われていた可能性も有るのかだが
2021-01-24 19:43:22ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7… wp1.fuchu.jp/~kagu/mokuzai/… 北条の安宅船が防弾に使った椋の盾板は 比重0.67とヨーロピアンオーク程は無いが 厚みはどうだったのかだが
2020-09-19 10:08:46wood-shop.co.jp/kinotisiki/zuk… >材の比重は変化が多く0.65~0.9くらいまであり、時にかなり硬質のものがある。 比重0.9の椋も有ると言うが こうした物が選別されて盾板とされていた訳では無いと言う事なのかだが
2020-09-19 10:14:58pinterest.jp/pin/3436106465… 楡(比重0.63)や黄楊(0.75)の盾板も 椋・樫程の強度は無いと言う事なのかだが
2020-09-19 16:29:12wood-museum.net/tsuge.php 黄楊の比重は1.14迄有る可能性も有るが 盾板に利用される物はどうなのかだが
2020-09-19 17:55:01twitter.com/boukenkyuu/sta… 捕物用手盾の楯火炬は 樫製だが 2寸厚と防弾を考慮している故の可能性も有るのかだが
2021-01-24 20:10:43表部分に蝋燭が付いている 夜の捕物用手盾も有るが 6cm厚と防弾を考慮しているのかだが 鎖は防弾用では無いなら 矢・投擲物の防御か 白兵戦を考慮している可能性も有るのかだが pic.twitter.com/xJJye1R5pi
2020-12-30 14:13:46堤宝山流『鎧組軍要早仕込切紙』 一、野中幕之㕝 幕楯は横二尺縦三尺也。上々木綿二重にして、中へはんや(江戸時代には輸入されていたパンヤの木の繊維?)を入る。上の一重はどろめん煮る。中の一重ははなもみの油にて搗込染也。扨其はんやの入たる筋違に木綿糸にて縫渡して、はんやを保たしむる也。
2022-11-24 23:56:53youtu.be/Qacgb2b8LVU?t=… ベルセルクの旧アニメだとガッツがマントで クロスボウの矢を打ち払う場面も有るが クロークや野中の幕で同様の事は行われていたのかだが 固定的な布だと斜めにしても 貫通する例も多いのかだが
2022-11-25 17:52:30軍記物語の記述は話半分だけど、島津の家臣の山田彌九郎が多田七郎という者に一騎打ちを申し込まれた。山田は四尺の太刀に手楯を持とうとするので周りの者が聞くと、
2023-01-15 20:16:16敵は上から切ってくるだろうから、手楯を差し出して楯の端を切らせといて下を薙ぐ、そして組討に持ち込むつもりだと。立ち会うと多田は長刀の大きいので上を切って来る。作戦通りに手楯を切らせて近寄ると、敵は甲の天辺や吹返を切って来る。組討になろうかという所で他の兵達が来たので止めにした
2023-01-15 20:16:17双方退く処を山田が引き返すので、周りの人がどうしたのかと聞くと、相手の袖と笠印を切り落としたと思うと答える。みつけると太刀の先に突き刺して掲げ、今日の勝負の印だ御覧ぜよと鬨を作ると味方一同も作ったと
2023-01-15 20:16:17先程の竹刀と同じページにあったのでコピーした後で知ったが竹束とはまた違う竹を利用した円楯もあったらしい。 Xinaidate シナイダテ(しなひ楯) 竹を外側に釘付けにしてかぶせた円楯様の楯であって、昔よく使われたもの
2023-01-14 18:20:30パッと探したところ『さゝこおちのさうし』に「しない楯」があるくらいしか見つからなかった。イエズス会の人も後から見ればレアな語彙をよく採録しておいてくれた。
2023-01-15 22:42:34島津方の手楯を用いた記述としては他に『蓑輪伊賀入道覚書』の天正二年(1574)の段で新納刑部大輔が”小楯”と打刀を用いて奮戦したという記述があるようで島津方にこういった記述がちらほらみられるのは面白い。 x.com/tougoku_kenki/… twitter.com/BS_Hakus/statu…
2023-10-15 22:43:05一応打刀と小楯のセットで奮戦したというようなエピソードが戦国武士の覚書にもあったり。 『箕輪伊賀覚書』 新納武蔵守が一男刑部大輔、片手には小楯を取て差かつき、打刀計にて城戸口へ攻入、纏頭の合戦し、楯の端に鑓疵・切疵数多受け、しはらく戦ひてこそ退れる、無比類こそ聞得ける、
2023-07-07 18:56:48鹿児島県史料 旧記雑録後編 1に収録されている『日向記』の天正六年の記述として「十月廿日、大友ノ諸勢高城ノ四方ニ五ノ陣取圍、持楯カイタテ突立、夜ヲ日ニ續テ攻戦、 …」とあるが島津勢はこの時代でも並べて置く搔盾の他に手持ちの楯も活用していた? pic.twitter.com/fI6KMxPTQj
2023-10-15 17:13:36楯は軍役関連では例外的なものしか見つけてないが、板が家臣〇〇の所に届いたので職人を雇わせた××の所に送り楯を作らせるようにというような内容の文書は見つけてあるので、大名側が色々手配したり家臣に連携させて楯を調達するなんてことをやっていたのもわかる。
2023-07-07 18:49:11軍役に見られる例外的な楯。サイズ的に片手持ちに向いてそうだが、どういった戦術のために一枚ずつ用意させたのか?典型的な戦国武士の軍役とは言えないでしょうが一応こういうものも。 twitter.com/tougoku_kenki/…
2023-07-07 18:52:29幅7寸というのは楯突戦で並べるような矢防ぎの楯としては小さめだし、手楯に使うタイプかな? 『北条氏邦朱印状』天正4年 一、たて(楯)、長さ二尺五寸(75.7センチ)、ひろさ七寸(21.2センチ)、あつさ五分(1.5センチ)のたて、一まいつつこしらへ、もたせへき事、
2022-08-12 23:12:30