@Ndomestica1 僕のような外様の場合、純文学系の賞を獲らないと純文学作家には区分されなくて、するとその作品は特別掲載だったことになるのでは? よく分かりません。小谷野さん以外、僕の作品がどのジャンルに入るかなんて気にしないですよ(笑)
2021-04-08 19:31:27@tsuharayasumi あ、そうなんですか? ツイートを継続的に(断続的かもしれませんが)見てるってことは読者なのかなと思ったんですけど。自伝的小説、新潮文庫、入試頻出……要素だけ聞けばたしかに純文学っぽい印象は受けるかも。
2021-04-08 19:33:54@Ndomestica1 僕が「ほぼ実話」と書いたのは「土の枕」のことなんですが、それを『ブラバン』の話だと思われたのでは?
2021-04-08 19:36:21@tsuharayasumi 書店で、先生の四六判が全て「SF」の棚に集積されてるのを見たときには勘弁してくれと思いましたけど(そんな実利的な問題は生じております)。
2021-04-08 19:36:28@tsuharayasumi だろうなと思いましたが、『ブラバン』を持ち出されたのは先方なので、『ブラバン』が実話(「を含む」が抜けてますが)とアナウンスされていることは少なくとも把握されてたわけです。なので……いや、べつにどっちでもいいんですが。引っ張る話ではありません。
2021-04-08 19:46:32@Ndomestica1 むかし代々木に、四六も文庫も一緒くたのぜんぶ著者名50音順という書店があって、あそこが最も便利でした。
2021-04-08 19:54:30@tsuharayasumi ギロチン氏の連RTを見ましたが、作品ではなく、界隈に生息する人々についての話題ですね。先生は純文学を、文学賞を取り巻くコミュニティとしてカテゴライズされている(かと思います)。「純文学とは何か」を作品そのものから捉えようとしている人から見たら、認識から食い違うのだろうと思えました。
2021-04-08 22:21:01@Ndomestica1 「半径10メートル以内のことを書いた小説」と、ある純文学畑の編輯者は定義していましたが。
2021-04-08 22:42:24@tsuharayasumi もとは私小説を指す形容でしょうか(出所はどこなんでしょう)。小谷野氏の考えでも私小説は「純文学」の要件のようで。……じゃあ「純文学」とか曖昧なこと言わず「私小説」と呼んだほうがいいんじゃないか、と思いますがそれは違うんでしょうか……。
2021-04-08 23:03:29@Ndomestica1 作者の実像が見え隠れする辺りを「純文学」っぽいとして、書いたり読んだりする傾向は今も根強いかと。作品から滲むんじゃなくて実像情報が先行するんだから、答が書いてあるクイズですが。
2021-04-08 23:33:11小谷野先生は「純文学がわかる」方からじゃなくて「通俗性」たるものを指定した方がいいと思うけどなあ。通俗性は固定できるし説明はそんなに難しくないのではないかと。そして文学史分類として「純文学」と指定されるような近代古典にも通俗性はだいぶ混じる。
2021-04-08 17:46:47@tonton1965 @lotushouse どっちなんですか? twitter.com/tonton1965/sta…
2021-04-09 00:12:38あれは津原と電話で話した時に、私が『文學界』以外の文藝誌は原稿依頼してくれないと愚痴を言ったら津原が「私もですよ」と言うから、そりゃあんたは純文学作家じゃないから、と思ったんであった。その後『文藝』に連載したりしたけど
2021-04-09 00:13:34純文学って言葉を初めてはっきりと意識したのは、筒井康隆『虚航船団』だな。箱に「純文学書下ろし特別作品」と書いてあった。そういえば「私小説」を意識したのも「小説『私小説』」だった。筒井さん、色々と思うところがあったんだろう。
2021-04-09 01:24:26@tsuharayasumi 〈エンターテインメントが読まれていない世界で純文学のみ読まれるということはあり得ないのだ。いくら最先端がすばらしかろうと、そんなものはエンターテインメントで読書の基礎を養っていない者が読んでわかるわけがないのである。
2021-04-09 07:41:08@tsuharayasumi さらにまた純文学そのものも面白くなくなっていく。エンターテインメントで小説の基礎を養っていない若い作家が書くからだ〉 筒井康隆『笑犬樓よりの眺望』なんですが、私の知る純文学と娯楽小説の関係とあまりに違って首を捻ったのです。『虚構船団』は未読なんですが、Wikiであらすじ見たら、
2021-04-09 07:41:25@tsuharayasumi いま「純文学」とされるものとはあまりに懸け離れていますね……。この時代は定義が違ったんでしょうか。採算度外視(「ジュンブンガク」は売上が悪いともこの本にあります)で実験的なものを世に問う最先端の場、という括りであるのなら、そちらのほうが本来的なものじゃないかと思えます。
2021-04-09 07:41:39@Ndomestica1 龍、春樹のW村上が持て囃されている時代ですから、語義的な娯楽小説と純文学の役割は完全に逆転しています。「文学の為の文学が純文学と呼ばれないのなら、偉そうにしている『純文学』とはなんなんだ?」という問掛けが根底にあったものと思われます。一応、問い掛け甲斐のある時代だったんですね。
2021-04-09 08:41:36文芸誌(純文学誌)から僕に執筆依頼があったとして、僕が張り切って「芥川賞、獲ってみせます」みたいな原稿を渡したら、「いや、欲しかったのはこういうんじゃなくて」と、とてもがっかりされると思うんですよ。別ジャンルの雑誌でも同じ。自分にしか書けない小説を発明して書き上げるのが僕の仕事。
2021-04-09 09:57:47私も若いころ『幻想文学』を毎号読んで、純文学とか通俗小説とかの区別はいらないんだ、などと思っていたのであった
2021-04-09 10:36:57自分を莫迦にする人のこと「なんだ、作品は読んでないのか」としか思わないんだよね。「読んだけど」と貶されても「またまた無理しちゃって」としか思わない。ネットで辛口のこと書いてた人と、後日、顔を合わた経験が何度もある。こっちが憶えているのを喜んでくれて、サインや握手を求められる。
2021-04-09 11:03:48「俺と話したいならまず作品を読め」とも思わない。近所の人達も、音楽仲間の半分くらいも、僕の仕事なんか知らないですよ。「たぶん音楽の仕事」とか「無駄にギターの上手いおっさん」としか認識してない。「じつは読者なんですけど、NGの話題かと思ってずっと黙っていました」という人もたまにいる。
2021-04-09 11:24:37