農具の「鍬」はクワ?それともスキと読む?スマホの機種によって変換できる漢字が違うと話題に!何故日本と中国で漢字の意味が入れ替わったのか!?

湿潤な気候の日本と乾燥した中国北部とでは、古代から農具の使い方、土の掘り返し方が違っていたことが分かった。農具と漢字の歴史
71
前へ 1 ・・ 4 5
巫俊(ふしゅん) @fushunia

ヤフー知恵袋「すきとよみますか」 こちらでは、が元々、「すき」という意味の言葉であることは認識されて無いようでした。 detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_de…

2021-01-21 03:59:45
巫俊(ふしゅん) @fushunia

日本では、長い間「」が「くわ」と読まれてきた(しかし、一部の知識人などは中国では逆であると気付いていた)ので、普通に調べると、このように「すき」と読むのは二次的な読みと思ってしまうのかもしれないですね。

2021-01-21 04:01:27
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@parsifa18401874 「ヨーロッパは狩猟民族だから」といった根拠の無い(誇張した)表現がよくありました。実際のヨーロッパ人は、新石器時代の農耕民と、青銅器時代に草原から来た牧畜民(農耕牧畜民)の混成で成立してますし、新石器時代に農耕が広がる頃には一部の狩猟採集民とも融合しています。

2020-12-05 23:19:10
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@parsifa18401874 歴史的には生業や集団は変化していきますので、一般に「狩猟民族」だと思われてる女真人は、明朝から農具を大規模に輸入して農耕も行っており(牧畜も行う)、中国向けに野生動物の皮などを大量に供給してました。

2020-12-05 23:21:50
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@parsifa18401874 日本列島の場合は、弥生時代の農耕民は、漁労及び狩猟を引き続き継続していて、人骨や土器から各種の同位体比が検出されて食べていたものも分かり、奈良県では獣や魚と穀物の雑炊を食べてたことも分かってます。現在では誤解を生む~民族という表現は使わないことが多いと思います。

2020-12-05 23:27:49
関口高史 元防衛大学校准教授 @parsifa18401874

@fushunia なるほど。民族という言葉を使用しない、とは! 興味深いです。また一つ勉強になりました。気をつけます! そして、ありがとうございます。

2020-12-05 23:30:35
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@parsifa18401874 いえ、突然の話を聞いてくださり、ありがとうございました。

2020-12-05 23:32:28
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@tyuusyo 講談社の『中国の歴史』シリーズで先史時代を扱った第1巻を執筆した宮本一夫氏(九州大学教授)は、九州北部の板付遺跡出土の木製農具の祖形が山東半島の岳石文化(紀元前1500年頃)出土の石製農具であることなど、山東、遼東、朝鮮半島の出土遺物を調べ、渡来系弥生人が遼東半島経由だとしてます

2018-11-17 01:52:02
巫俊(ふしゅん) @fushunia

宮本一夫氏によれば、九州の板付遺跡から出土した弥生早期の木製農具の祖形は、山東半島の紀元前1500年の岳石文化の石製農具だと指摘してて、当時の山東は海沿いの地域だけが稲作をしており、紀元前1500年に山東半島から遼東半島に渡った稲作民の存在も確認したとのことです。

2020-01-21 05:46:05
やかた @yakata22

@fushunia 殷代にゾウ🐘やサイが居たんですねぇ。

2019-08-04 13:08:10
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@yakata22 中国北部の自然景観が、現在に近いものになっていくのは、戦国時代に製農具を使って大規模に開発した影響が強いとされてます。

2019-08-04 13:09:41
やかた @yakata22

@fushunia やっぱ器導入による環境開発が発端か。 南米の文明みたいに、器無しでも独自の高度な発展を見せた社会はありますが、ユーラシア大陸の文明はやはり器がターニングポイントになりそうですねー

2019-08-04 13:12:37
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@shinkai_kusauo コンプレックス(畑作などと複合されたセットの農耕文化)としての水田稲作の伝来は、弥生早期から前期にかけて起こりましたが、器の普及は中期以降で、それも中期の最初の器は「燕の鋳造斧のかけら(壊れたもの)」でしたから、同じ時期ではないです。

2020-09-09 04:37:39
巫俊(ふしゅん) @fushunia

【8~10世紀の日本の地域別購入価格】畿内は安定。東海地方は畿内の3~4倍の値段だったが、10世紀までの間に劇的に安くなる。そうするとそれ以前の関東はもっと高かった?そんな高いで石だらけの土地を開墾してたと思うと…

2021-05-04 00:20:18
オノノノ @Ryu_mai001

@fushunia 手元にある「那須のくろがね」という資料によると、製技術は7世紀後半には東国に広く伝播した様です。最古級とされるのが栃木県の新郭遺跡(5世紀半ば)の炉で半島由来のの他に那珂川水系の砂を利用していました。茨城県の春内遺跡も7世紀以降に大規模な鍛冶場があった様ですね

2021-05-04 22:37:34
オノノノ @Ryu_mai001

@fushunia 同じ資料に9世紀の「禄物価法」の記述がありました。下野のは2キロ五束で関東地方で最も安いですね。比較までに相模が七束、陸奥が十四束なのでかなり製の盛んな地域だったようです

2021-05-04 22:43:42
オノノノ @Ryu_mai001

@fushunia 大雑把に北関東(栃木〜白河、相馬あたり)は蝦夷対策の最前線だったので製技術が優先的に回ってきたのかもしれません。大田原市の資料館で古墳時代の鏃を見ましたが幼稚園児の手のひらくらいある大型の鏃でした

2021-05-04 22:55:04
巫俊(ふしゅん) @fushunia

弥生文化博物館の常設展の展示の写真が出てきました。考古学では、「鍬」(くわ)と表記するのですね。 pic.twitter.com/W70ymMaKXo

2021-05-05 17:07:40
拡大
巫俊(ふしゅん) @fushunia

「鋤」(すき)もありました。土掘り具と書かれてます。 pic.twitter.com/BphbiL2Gd8

2021-05-05 17:12:47
拡大
前へ 1 ・・ 4 5