科学者はニセ科学といかに付き合うべきか
けっきょく「正しく怖がれ」論の最大の問題は,それが「うまいことを言っている」だけだ,ということだ。「正しく怖がれ」と言われれば「うまいことをいうなあ」とは思うが,それはわれわれがふつう「怖がり方に正しいも間違いもないだろう」と常識的に思っているからだ。
2011-08-08 08:04:59寺田寅彦が「ただしく怖がるのはむつかしい」と言った時にも,彼は「うまいことを言った」のであって,正しい怖がり方を定義したり,それを実現する指針を示したわけでもない。
2011-08-08 08:07:42その「うまい言葉」が単に「人を感心させる」以上のことに用いられると途端におかしくなる。そもそもどれが正しい怖がり方で,どれは間違った怖がり方なのか。そもそも「自分の怖がり方は正しく,他の人のは間違っている」とどうして言えるのだろうか。
2011-08-08 08:10:00「人生いろいろ」という言葉だって「うまい言葉」だが,それは人の多様性を擁護する意味で使うこともできれば,自分のいいかげんさの言い訳として使うこともできる。「うまい言葉」が「実用される」ことには注意しないといけない。
2011-08-08 08:12:04小泉さんはそれをうまく利用しましたね。RT @ynabe39: 「人生いろいろ」という言葉だって「うまい言葉」だが,それは人の多様性を擁護する意味で使うこともできれば,自分のいいかげんさの言い訳として使うこともできる。「うまい言葉」が「実用される」ことには注意しないといけない。
2011-08-08 08:13:32@Mihoko_Nojiri @ynabe39 その上 「 初 め か ら 」 医学を信じずに代替医療に走る人がいます。もうこうなると、「〇〇につける薬はない」という世界です。手に負えない。
2011-08-08 08:14:15私がいちばん気になっているのは,「原発事故の前に原発について正しく怖がっていた人は誰か」「その人はその時点でも正しく怖がっていると評価されていたか」ということだ。それに納得のいく答えを述べることは誰にもできないだろうと思う。それがこの「うまい言葉」の限界だ。
2011-08-08 08:14:17「自分は正しく怖がっている」と思っている人以外は他人に「正しく怖がれ」とはいわないのだが,その人が「正しく怖がっている」ことはなにで保証されるのか。「正しく怖がっていない人に正しく怖がれと言っていること」によって再帰的に確認されているだけなのではないか。
2011-08-08 08:18:24正しい、間違っている以前に放射能、原発に対する怖がり方が他の危険と比べて突出していることは考えるべき。百兆円の除染費などもそこから来ている。恐怖は個人的なものだが政策は違う。 @ynabe39 「自分は正しく怖がっている」と思っている人以外は他人に「正しく怖がれ」とはいわない
2011-08-08 08:47:57原発は怖がり方の程度が政策形勢に決定的な役割を果たしている。政策の正当性は「それが正しい怖がり方に基づいている」かどうかにかかっている。ご指摘の通り、「正しく怖がる」には正しい科学認識が必要。物理学者の寺田虎彦が難しさを指摘したのはその故。 @ynabe39
2011-08-08 08:51:10恐怖の対象は原発、SARS、財政赤字、中国人などいくらでもあるが、正しく怖がるのは主観ではなく客観の問題。相対論や不可知論の世界ではない。人は正しく怖がるべきなのだ。そうできるかどうかは次の話。 @ynabe39
2011-08-08 08:55:11@ynabe39 @ynabe39 こんにちは。「正しく怖がれ」ですが、僕はむしろ震災直後の素朴な実感では、「怖がっても良い」という(謎の)お墨付きによって非常に情緒的ではあるけれどある種の安心がもたらされた、という点に面白さがあるように思います。
2011-08-08 08:18:51@ynabe39 そのうえで、「私は怖がるべきか否か」よりも「どの範囲まで怖がるのが正しいか」の方が調べやすい(ググりやすい)という点で、専門的知識のない人間の情報収集に一定の指針を与えたことは一定の成果ではないでしょうか。
2011-08-08 08:19:12けっきょく「正しく怖がれ」と他人に言う人は,まさにそのことによって「自分は正しく怖がっている」「自分は間違っていない」ということを確認しているのだと思う。
2011-08-08 08:19:20あるいは、自分が「正しく怖がれ」ているかどうか不安も否めないのでは?@ynabe39: けっきょく「正しく怖がれ」と他人に言う人は,まさにそのことによって「自分は正しく怖がっている」「自分は間違っていない」ということを確認しているのだと思う。”
2011-08-08 08:38:53「他人をバカということによって自分がバカでないことを確認して安心する」みたいなことを自分で気付かずにやっている,それどころか「世のため人のため」くらいに思っている,ということは自分にもよくある。
2011-08-08 08:21:25これ、原発容認派も反原発派もやってますね。 RT @ynabe39: 「他人をバカということによって自分がバカでないことを確認して安心する」みたいなことを自分で気付かずにやっている,それどころか「世のため人のため」くらいに思っている,ということは自分にもよくある。
2011-08-08 08:23:31そしてあなたも私もやっている。RT @mametanuki22: これ、原発容認派も反原発派もやってますね。 RT @ynabe39: 「他人をバカということによって自分がバカでないことを確認して安心する」
2011-08-08 08:24:37「正しく怖がる」を弁護しようとする人は必ずその言い方自体でなく「自分が正しい怖がり方だと思っていること」の正しさを論証しようとする。問題はそこではないのだが。
2011-08-08 10:07:42きくまこ先生の言ってることは正論だけど、それって科学者のやることの範疇をこえてるよね。本来リスクコミュニケーションはそれはそれでやる専門家が必要。RT @Kelangdbn: 「科学者はニセ科学といかに付き合うべきか」 http://togetter.com/li/171880
2011-08-08 08:46:26科学者の役割はどこまでか、というのは本質的に重要な問題だと思う。
2011-08-08 08:59:44ただ、個々の研究者の役割と、コミュニティとして果たすべき役割を区別した方がいいかもしれない。
2011-08-08 09:13:31@kenjiitojp たんなる一つの職種としての科学者の役割?たんなる一つではない(説明しにくいけど)近代的理念としての科学者の役割? そもそも「科学者」の(今の日本における)外延をご教示いただければ幸い。
2011-08-08 09:21:07