科学者はニセ科学といかに付き合うべきか

<参考文献> @kikumaco_x氏の個人サイト、ニセ科学関連文書 http://bit.ly/qXeVYx <関連まとめ> 「科学的」とは何か http://togetter.com/li/167196         「御用学者批判」を批判する http://togetter.com/li/118746
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渡邊芳之 @ynabe39

けっきょく「正しく怖がれ」論の最大の問題は,それが「うまいことを言っている」だけだ,ということだ。「正しく怖がれ」と言われれば「うまいことをいうなあ」とは思うが,それはわれわれがふつう「怖がり方に正しいも間違いもないだろう」と常識的に思っているからだ。

2011-08-08 08:04:59
渡邊芳之 @ynabe39

寺田寅彦が「ただしく怖がるのはむつかしい」と言った時にも,彼は「うまいことを言った」のであって,正しい怖がり方を定義したり,それを実現する指針を示したわけでもない。

2011-08-08 08:07:42
@suzutaka1987

@ynabe39 言い換えれば、「自分に嘘ついちゃいけないよ」「素直になりましょう」ということを言いたいんでしょうかね?w

2011-08-08 08:08:22
渡邊芳之 @ynabe39

その「うまい言葉」が単に「人を感心させる」以上のことに用いられると途端におかしくなる。そもそもどれが正しい怖がり方で,どれは間違った怖がり方なのか。そもそも「自分の怖がり方は正しく,他の人のは間違っている」とどうして言えるのだろうか。

2011-08-08 08:10:00
渡邊芳之 @ynabe39

「人生いろいろ」という言葉だって「うまい言葉」だが,それは人の多様性を擁護する意味で使うこともできれば,自分のいいかげんさの言い訳として使うこともできる。「うまい言葉」が「実用される」ことには注意しないといけない。

2011-08-08 08:12:04
としぞうネコ@弱小役員&物書き @Gerge0725

小泉さんはそれをうまく利用しましたね。RT @ynabe39: 「人生いろいろ」という言葉だって「うまい言葉」だが,それは人の多様性を擁護する意味で使うこともできれば,自分のいいかげんさの言い訳として使うこともできる。「うまい言葉」が「実用される」ことには注意しないといけない。

2011-08-08 08:13:32
間辺 雄二(前へ!) @Y_Manabe

@Mihoko_Nojiri @ynabe39 その上 「 初 め か ら 」 医学を信じずに代替医療に走る人がいます。もうこうなると、「〇〇につける薬はない」という世界です。手に負えない。

2011-08-08 08:14:15
渡邊芳之 @ynabe39

私がいちばん気になっているのは,「原発事故の前に原発について正しく怖がっていた人は誰か」「その人はその時点でも正しく怖がっていると評価されていたか」ということだ。それに納得のいく答えを述べることは誰にもできないだろうと思う。それがこの「うまい言葉」の限界だ。

2011-08-08 08:14:17
渡邊芳之 @ynabe39

「自分は正しく怖がっている」と思っている人以外は他人に「正しく怖がれ」とはいわないのだが,その人が「正しく怖がっている」ことはなにで保証されるのか。「正しく怖がっていない人に正しく怖がれと言っていること」によって再帰的に確認されているだけなのではないか。

2011-08-08 08:18:24
馬場正博 @realwavebaba

正しい、間違っている以前に放射能、原発に対する怖がり方が他の危険と比べて突出していることは考えるべき。百兆円の除染費などもそこから来ている。恐怖は個人的なものだが政策は違う。 @ynabe39 「自分は正しく怖がっている」と思っている人以外は他人に「正しく怖がれ」とはいわない

2011-08-08 08:47:57
馬場正博 @realwavebaba

原発は怖がり方の程度が政策形勢に決定的な役割を果たしている。政策の正当性は「それが正しい怖がり方に基づいている」かどうかにかかっている。ご指摘の通り、「正しく怖がる」には正しい科学認識が必要。物理学者の寺田虎彦が難しさを指摘したのはその故。 @ynabe39

2011-08-08 08:51:10
馬場正博 @realwavebaba

恐怖の対象は原発、SARS、財政赤字、中国人などいくらでもあるが、正しく怖がるのは主観ではなく客観の問題。相対論や不可知論の世界ではない。人は正しく怖がるべきなのだ。そうできるかどうかは次の話。 @ynabe39

2011-08-08 08:55:11
近田火日輝(fireworks.vc) @hi6ikic

@ynabe39 @ynabe39 こんにちは。「正しく怖がれ」ですが、僕はむしろ震災直後の素朴な実感では、「怖がっても良い」という(謎の)お墨付きによって非常に情緒的ではあるけれどある種の安心がもたらされた、という点に面白さがあるように思います。

2011-08-08 08:18:51
近田火日輝(fireworks.vc) @hi6ikic

@ynabe39 そのうえで、「私は怖がるべきか否か」よりも「どの範囲まで怖がるのが正しいか」の方が調べやすい(ググりやすい)という点で、専門的知識のない人間の情報収集に一定の指針を与えたことは一定の成果ではないでしょうか。

2011-08-08 08:19:12
渡邊芳之 @ynabe39

けっきょく「正しく怖がれ」と他人に言う人は,まさにそのことによって「自分は正しく怖がっている」「自分は間違っていない」ということを確認しているのだと思う。

2011-08-08 08:19:20
川近 和雄 @k_kawachika

あるいは、自分が「正しく怖がれ」ているかどうか不安も否めないのでは?@ynabe39: けっきょく「正しく怖がれ」と他人に言う人は,まさにそのことによって「自分は正しく怖がっている」「自分は間違っていない」ということを確認しているのだと思う。”

2011-08-08 08:38:53
渡邊芳之 @ynabe39

「他人をバカということによって自分がバカでないことを確認して安心する」みたいなことを自分で気付かずにやっている,それどころか「世のため人のため」くらいに思っている,ということは自分にもよくある。

2011-08-08 08:21:25
まめたぬき @mametanuki22

これ、原発容認派も反原発派もやってますね。 RT @ynabe39: 「他人をバカということによって自分がバカでないことを確認して安心する」みたいなことを自分で気付かずにやっている,それどころか「世のため人のため」くらいに思っている,ということは自分にもよくある。

2011-08-08 08:23:31
渡邊芳之 @ynabe39

そしてあなたも私もやっている。RT @mametanuki22: これ、原発容認派も反原発派もやってますね。 RT @ynabe39: 「他人をバカということによって自分がバカでないことを確認して安心する」

2011-08-08 08:24:37
渡邊芳之 @ynabe39

「正しく怖がる」を弁護しようとする人は必ずその言い方自体でなく「自分が正しい怖がり方だと思っていること」の正しさを論証しようとする。問題はそこではないのだが。

2011-08-08 10:07:42
@fun9tion

きくまこ先生の言ってることは正論だけど、それって科学者のやることの範疇をこえてるよね。本来リスクコミュニケーションはそれはそれでやる専門家が必要。RT @Kelangdbn: 「科学者はニセ科学といかに付き合うべきか」 http://togetter.com/li/171880

2011-08-08 08:46:26
伊藤憲二 kenjiito.bsky.social 科学史 『励起ー仁科芳雄と日本の現代物理学』 @kenjiitojp

科学者の役割はどこまでか、というのは本質的に重要な問題だと思う。

2011-08-08 08:59:44
伊藤憲二 kenjiito.bsky.social 科学史 『励起ー仁科芳雄と日本の現代物理学』 @kenjiitojp

ただ、個々の研究者の役割と、コミュニティとして果たすべき役割を区別した方がいいかもしれない。

2011-08-08 09:13:31
ひろあき @hiroaki7777

@kenjiitojp 科学コミュニケーションの専門家というのも活躍し始めていますが・・・この点は如何ですか?

2011-08-08 09:07:18
Syun Tutiya @tutiya

@kenjiitojp たんなる一つの職種としての科学者の役割?たんなる一つではない(説明しにくいけど)近代的理念としての科学者の役割? そもそも「科学者」の(今の日本における)外延をご教示いただければ幸い。

2011-08-08 09:21:07
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