リネハンとBPDの当事者性あるいはその技法について
リネハンが,まさに行動主義(あるいは機能主義)的なアプローチで,「好きになる」を具体化したのは,合ってるように思える。その一方で,「好きになる」を具体化するという発想は,行動主義的にはなかなか出てこなそうだなとも思ったりして。ただ,分析やってたら,属人的評価どまりだっただろうな。
2011-08-12 16:54:05好きなるってのはクライアントを?疾患を? RT @psypub: 「好きになる」って,通常の予測とか制御のベクトルを逆にすることでもあるから,革命的といわざるをえない。
2011-08-12 17:03:12.@guriko_ リネハンの技法のことですけど,治療者がクライアントを好きになる,ってことです。その場合,制御されるのは,治療者かな,と。通常,行動療法は,クライアントを制御するという発想だと思うので,行動療法の範疇においては,逆転の発想かな,なんて思いました。
2011-08-12 17:06:25なるほど! 思いつき極まりないですけど,治療者側の制御を再考するみたいな面もあるのかな,と思えました。RT @guriko_ BDPの人をコントロールしようとするとお互い憎しみの嵐だよね
2011-08-12 17:08:38なるほどーRT @psypub: そうです。なんかそういうことを言ってるように,僕には思えてきますた RT @guriko_ 治療者側の行動の制御?
2011-08-12 17:11:47BPD関連の力動本読んでても,セラピスト側の制御って大きく取り上げられてる印象。が故の,転移-逆転移関係の強調かなと。だから,再考ってのは,言い得て妙な気がする。
2011-08-12 17:11:52具体的な言葉を使って考える事が必要でしょうね。コントロールの一言で展開するのが危険に感じられる問です。 RT @guriko_: 症状をコントロールしようとする事はクライアントをコントロールすることとどの様に切り分ける?かんぜんに切り分けられる?
2011-08-12 17:14:02@guriko_ いえ,単純に先ほどの問に関する考えを展開するならば,ということです。「コントロールする」を具体的な言葉に変えるよう試みると,自分なりには考えが進むように感じました。
2011-08-12 17:17:09@guriko_ 心理療法の性質上,あらゆる事を「コントロール」と言い換えることが不可能では無いように思うのです。コントロールする,という動詞は若干の否定的ニュアンスを持つ言葉のようにも感じられるので,より具体的な動詞によって記述するのが建設的だと感じました。
2011-08-12 17:21:12症状=自分,って思ってるクライアントの人は多そう。症状がなくなると自分がなくなるみたいで嫌だ,とか。それには正当性がある,みたいな話は聴いたことがある。
2011-08-12 17:23:18そう。そのことばっかり考えてるからねRT @psypub: 症状=自分,って思ってるクライアントの人は多そう。症状がなくなると自分がなくなるみたいで嫌だ,とか。それには正当性がある,みたいな話は聴いたことがある。
2011-08-12 17:24:30@guriko_ ひとまずは可能な限り観察的に記述することを大事にしているので,記述という言葉になりました。ほっとくと,僕は解釈的になりやすい質なので,自分に言い聞かせる言葉として使っています。なんせポエマーなのでww
2011-08-12 17:25:50とすると,当然,治療者と対立することになる,というところでどうしていくかについて,リネハンは「好きになる」を提唱したって感じでしょうかね。って,そんなこと言っていいのか,心配になってきましたがw
2011-08-12 17:27:58@decostatw いやー、私もそうです。記述苦手かもしれないです。何らかの行動を発見した時、どういう意味??の方が先にくるので、記述はかなり疎かになっていると思います。その点検査はまず記述ですよね
2011-08-12 17:28:59