昔々ずっと昔、あるところに粉屋の少年がいました。

粉屋というのをご存知ですか。 風車で石臼を回し、麦を挽いて粉にする仕事です。
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帽子男 @alkali_acid

昔々ずっと昔、あるところに粉屋の少年がいました。 粉屋というのをご存知ですか。 風車で石臼を回し、麦を挽いて粉にする仕事です。

2019-03-16 22:35:32
帽子男 @alkali_acid

風車がいつごろからあったのか、少年がいつごろから住んでいるのかは誰もよく覚えていません。 風車ははためには青みがかった石作りで、羽根は日の光の当たり方によっては金色に見えました。 建っている場所は、海面より低い土地。縦横に水路の走り、春には花咲き乱れるのどかなところ。

2019-03-16 22:39:02
帽子男 @alkali_acid

少年は、収穫の時期にはろばにひかれてやってくる荷車から麦と麻袋を受け取って、粉にすると返してやります。 ほかにも低地の水はけだとか、羊の毛を叩いて汚れをとるだとか、顔料を細かく砕いたりといった仕事を引き受けます。

2019-03-16 22:46:00
帽子男 @alkali_acid

でもおおむねはひまでした。 だから少年は、名前はハンスとしておきますが。ハンスは、何もすることがない時は、たんぽぽのお茶を水筒に詰めて、釣竿を持っててくてくと大堤(おおづつみ)まで歩いていって、おさかなを釣ったりしてのんびり暮らしていました。

2019-03-16 22:48:31
帽子男 @alkali_acid

しかしある時、遠方からやってきた騎士と従者が、風車に挑戦したのです。 「巨人よ!わがはいは南方より来る遍歴の騎士なり、いざ尋常に勝負せよ!」 少年はちょうど釣りに出かけるところで、小屋の扉に青銅の鍵をかけようとしていたのですが、びっくりして振り返りました。

2019-03-16 22:50:31
帽子男 @alkali_acid

ハンスは上から下まで鞍上のもののふのようすを眺めます。 きれいに手入れの行き届いたぴかぴかの甲冑。乘っている馬は年をとっているが、きだてのよさそうな雌。隣でろばにまたがっている従者も、ぽっちゃりおっとりしています。 「あのう…うちの風車に何か」 「おさなごよ!今すぐ離れなさい!」

2019-03-16 22:53:17
帽子男 @alkali_acid

騎士は槍を構えて叫びます。 「これより先は怪物と私の命を賭けた一騎打ちとなる。そばにいては危うい」 「でも」 なおも抗弁しようとする男児に、武人は面頬の奥から熱した眼差しを投げつけます。 「サンチェッラ!この子をどこかへ!」 「はいおばあさま」

2019-03-16 22:56:01
帽子男 @alkali_acid

サンチェッラという従者はよいしょと大きなお尻を鞍からどかすと、優雅に地面に降り立ち、すたすたとハンスに近づいて、帽子をとって深々と礼をします。 「おぼっちゃま。本日はお日柄もよく」 「はあ」 「ぶしつけなお願いですが、どうかしばらく私のおばあさまが風車を眺めるのをお許し下さい」

2019-03-16 22:58:52
帽子男 @alkali_acid

「あのうでも」 「ロシナンチア!我が今こそ武勇を示すときだ!」 「あぶな…」 騎士は拍車をかけるとなんとそのまままっすぐ風車に突撃したのです。 これには従者も息を呑みました。 「まあおばあさま!」 「うわ…」

2019-03-16 23:00:34
帽子男 @alkali_acid

甲冑姿の老女はなんと石作りらしく見える塔の外壁に正面からぶつかり、見事に落馬しました。 「たいへんだ!」 「おばあさま!」 ロシナンチアという雌馬も失神しています。

2019-03-16 23:01:55
帽子男 @alkali_acid

少年と従者をつとめる孫娘は急いで駆け寄り、あわてて介抱したのでした。

2019-03-16 23:02:31
帽子男 @alkali_acid

◆◆◆◆ ハンスが街まで医者を呼びにいき、診てもらったところ、女騎士にけがはありませんでした。 「お歳の割にはずいぶんかくしゃくとしていらっしゃる」 「頭をぶつけたみたいですけれど」 「何ともない。まあ鎧が丈夫だったんだろう。ずいぶん年代ものだがよかったね」

2019-03-16 23:05:16
帽子男 @alkali_acid

「キハーニ家の重代の宝でございます」 「キハーニ?南の方かね。まあもう戦もなくなってだいぶたつが…いや最近はまたごたごたしているんだったかな?しかし鎧とはね。まあわしら北のものには関係がないが…お大事に」 「ありがとうございます」

2019-03-16 23:06:50
帽子男 @alkali_acid

小さな風車番が、床屋の老翁を町まで送ってゆくあいだ、ぽっちゃりした従者は雌馬と老媼の看病にかかりきりでした。

2019-03-16 23:08:10
帽子男 @alkali_acid

「ハンスさん何から何までありがとうございます。まだ小さいのに」 「別に小さくないよ。今だけそう見えてるんだよ」 帰ってきた小柄な少年は、ししおき豊かなおとめに言い返しながら、魚のスープを温めて、パンとチーズを一緒に出します。 「食べものはお好きにどうぞ。たんぽぽのお茶も」 「はい」

2019-03-16 23:11:19
帽子男 @alkali_acid

「ありがとうございます」 「いいよ。ほらサンチェッラもお食べ」 まるで父親が娘にでもするかのような物言いに、従者はちょっと頬を赤らめて風車番を見下ろします。 「ご親切に」 「どうってことないよ」 いっこうに口が減らないようす。

2019-03-16 23:13:30
帽子男 @alkali_acid

少年はこんこんと眠る老女に寝台をあけわたし、おとめのために藁と布とで仮の寝床をしつらえてあげると、自分は風車の上へのぼってくーくーと苦労もなく眠ってしまったようでした。

2019-03-16 23:15:47
帽子男 @alkali_acid

明くる朝になると、雌馬は元気になり、乗り手も眼を覚まします。 「巨人め。よい勝負であった」 「もうやらないで。風車が壊れたら粉をひいたり、水をはけたり、羊の毛を叩いたり、できなくなって困るんだよ」 「うーむ。あいわかた。民草のためとあらば、わがはいも矛を収めよう」

2019-03-16 23:17:36
帽子男 @alkali_acid

風車番はにっこりしました。 「ありがとう騎士さま」 「アロンシア・キハーニである」 「アロンシア。僕はハンス」 「ハンスか。よい名だ。何故巨人の腹で暮らしておるのだ」 「話せば長いんだけど。あとでね」

2019-03-16 23:19:02
帽子男 @alkali_acid

孫は祖母のためにまめまめしく働き、少年の手伝いもします。 「いいよ。僕のほうは」 「そういう訳にも参りません。まさかおばあさまがあんなまねをなさるなんて。お詫びをしなくては」 「いいよ。風車もアロンシアもロシナンチアも無事だったんだから」 「でも」

2019-03-16 23:20:22
帽子男 @alkali_acid

なおも言いつのるぽっちゃりしたおとめに、少年はちょっと小首をかしげてからいたずらっぽく笑います。 「なら接吻させてよ」 「え?」 「サンチェッラは器量よしだもの。僕、接吻がしたいな」 「まあ…それでよろしいのでしたら」 「ほんと?やった!」

2019-03-16 23:21:37
帽子男 @alkali_acid

風車番はおおげさに膝をつくと、ほっそりした指を伸ばして、従者のまるまるした手をとり、甲のあたりに触れるか触れないか唇をかすめさせました。 「サンチェッラは手も美人だね」 「まあ…そんな風に言われたのは初めてです」 「いいにおいもする」 くんくんと小さな鼻でかいでみせるハンス。

2019-03-16 23:24:14
帽子男 @alkali_acid

サンチェッラはくすぐったそうに腕をひっこめます。 「おかしなハンスさん」 「ハンスでいいよ。今日は何が食べたい?エビガニを釣ったら食べる?」 「食べたことがありません」 「蒸すんだ!きっと気に入るよ!アロンシアもね!」

2019-03-16 23:27:10
帽子男 @alkali_acid

ちんちくりんと、まるまると、姿形は釣り合わないけれど、男児と乙女とは二人はすぐ仲良くなりました。甲冑をといて質素ななりになった老女もときどき一緒に連れだって低地の水路と水路を縫う堤の道を散策します。雌馬はやわらかな風車小屋のまわりの緑野でのんびり草を食んでいれば幸せなよう。

2019-03-16 23:29:35
帽子男 @alkali_acid

ハンスはどこからともなくちゃんとした寝台をもう一つ手に入れ、サンチェッラのろばに荷車をつないで運んでくると小屋の中に置きました。 「まあ…こんなことまで」 「街で借りただけだよ。いらなくなったらまた返す」 「でもハンスは」 「僕は風車でへいき」 「なんとお礼をしたら」

2019-03-16 23:31:28
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