平安貴族が騎乗してた「シマウマ」(島馬)とは何か?古代日本の馬は島などの低湿地で飼育され、島伝いに沖縄まで「島の牧」が伝わってたことが分かった

島・河口などの低湿地で飼われていた古代日本の馬の歴史!当時の馬はどんな草を食べていたのか?
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雨音村雲@藤浪永理嘉(´ 。•ω•。) @amane_murakumo

西国牧で島って言うと長崎県宇野御厨(うののみくりや)あたりかなぁ ここは水界にいっとう近い島牧庇羅馬牧 (ひらのうままき:平戸市) 生属馬牧(いけつきのうままき:平戸市生月) 樺野牧(かばののまき:上五島) 早崎牛牧(はやさきのうしまき:南島原市) 柏島牛牧(かしはしまのうしまき:神集島) twitter.com/fushunia/statu… pic.twitter.com/tOsFM7qeHf

2021-08-27 14:44:20
巫俊(ふしゅん) @fushunia

なので、この「島馬」というのはどこかの島で育てられた当時の名産地の馬を指してたはずですが、文化や環境が変化して「島に馬の牧を作る」風習が廃れてしまったのか、「シマウマ」という言葉は日本語から消え、ある日全く別の意味の「シマウマ」がアフリカからやってきたってことだったんですね。

2021-08-27 14:16:46
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雨音村雲@藤浪永理嘉(´ 。•ω•。) @amane_murakumo

などがあった。 源頼朝が佐々木高綱に与えた名馬・池月は諸説あるが一説にこの生属馬牧で育てられた馬では無いかともされる馬匹に馬産地の名前をつけるのは結構あって阿久利黒とか秩父鹿毛なんかはその代表例。

2021-08-27 14:44:20
雨音村雲@藤浪永理嘉(´ 。•ω•。) @amane_murakumo

ただ忽那島・邑久・周防大島・能古島などにも嶋牧が置かれて居たので、 瀬戸内海西部〜北部九州の沿岸部・島嶼部の馬に悉く「島馬」が使われて居たかもしれない 推古紀にもあるように西国、日向などは古代かなりの馬産地で、五島列島の海人も牛馬の扱いに長けると肥前国風土記にある。

2021-08-27 15:04:06
巫俊(ふしゅん) @fushunia

五島列島の人たちが「騎射」を得意とするとも書かれているのですが、これが事実なら、済州島にいた州胡という鮮卑系牧畜集団との関係が考えられますね。五島列島弥生早期にも支石墓分布朝鮮西南海岸つながっていたただ、馬が入ってくるのは古墳時代とみた方が。

2015-12-14 20:52:56
雨音村雲@藤浪永理嘉(´ 。•ω•。) @amane_murakumo

@fushunia 瀬戸内海の牧だと先史時代に汽水湖だったところの伏流水が陸側にも残ってて古代にも潮水が噴き出す牧もあったようで牛馬が塩水を舐めるってあります

2021-08-27 16:18:11

五島列島など、九州の北部の海の集団の中に、「琉球祖語」を話してた人たちがいたのではないか?と議論されてます。「琉球祖語」を話す人たちは平安時代になると「南西諸島・西北九州・朝鮮半島」を結ぶ「海の交易ルート」に乗って南下していき、奄美諸島及び沖縄に広がって行って、現在の奄美及び沖縄の人たちの祖先になったとの説が、言語学やDNA研究などの成果として出ています。

古代の日本では、「奄美海賊」と呼ばれる海の集団が九州の日本国家勢力を脅かしていたので、大宰府がそれを討伐したりしたことがあり、そうした海の集団に入って行って、主導権を握ったのが九州出身の「琉球祖語人」だったという説です。

なお「琉球」は中国の隋王朝が台湾と見られる島に遠征軍を派遣したときの島の呼び名「流求」に由来する言葉なので、明代に「琉球王国」が明朝から公認されたときに中国側から「琉球と名付けられた」のが名前の由来です。

巫俊(ふしゅん) @fushunia

あと、筒井功『アイヌ語地名の南限を探る』を読んでると、沖縄人が縄文人の仲間のように扱われてるんだけど、言語学者トマ・ペラールの「日琉祖語の分岐年代」に書かれてるように、琉球祖語は弥生末期以降に九州で分岐したと見られてるので、注意が必要です。kikigengo.jp/nishihara/lib/…

2020-10-26 03:53:06

2020年の都道府県別のDNA研究の結果、九州の現代日本人は四国や近畿の現代日本人に比べて、「縄文人の割合」が大きいと判断されました。渡来人の影響も受けています。現代沖縄人の起源については「縄文人の割合」が大きい九州人から分岐したと見られますが、後続のDNA研究が進展してきてるので、仮の説明ということでお願いします。

巫俊(ふしゅん) @fushunia

昨日はDNAの本を読んでたら、胃の中のピロリ菌について不思議な系統関係があり、人間のピロリ菌はライオンのピロリ菌と接触した太古の記録がピロリ菌のDNAに保存されてるとか、現代沖縄人のピロリ菌の一部は、旧石器時代沖縄人から引き継いだ可能性があるが、人間のDNAは引き継がれて無いとか、色々

2020-09-10 05:22:00
巫俊(ふしゅん) @fushunia

今後の研究次第かもしれませんが、現代沖縄人の主要な祖先が、平安時代以前に九州から南下したとき、貝塚時代から続く在来沖縄人を、病原菌や人口規模(農耕による)の違いから、子孫を残すのが困難な状態にしたと考えられる訳でして、しかし、交雑はせずとも長期間接触してピロリ菌をもらった可能性が

2020-09-10 05:28:12
巫俊(ふしゅん) @fushunia

示唆されてました。どのような状況があったのか、なお想像が困難ですが、長期間接触してるのに、交雑しない関係というのが、どういうものか?どういう観念を持っていたのか?というこも気になりますね。

2020-09-10 05:36:32
巫俊(ふしゅん) @fushunia

読んだ本の名前は、2020年8月出版『最新DNA研究が解き明かす。日本人の誕生』(斎藤成也 (著, 監修), 木村亮介 (著), 鈴木留美子 (著), 河合洋介 (著), 松波雅俊 (著))です。類似のタイトルの全然違う本との取り違えにご注意ください。

2020-09-10 12:36:16

こういう研究もありますので、弥生時代の日本列島に南海産の貝の腕輪を供給してた南西諸島の「貝塚時代」(紀元前4400年~平安時代にあたる11・12世紀頃まで)の言語が不明ということもあり、「海の交易ルート」に進出した中世の九州人(言語はヤマト王権以来の中心地の京都の言葉に比べ、弥生時代の特徴をある程度保っていた)がどの程度、沖縄の歴史に影響を与えたのか、そのパーセント(割合)の部分で今後とも議論が続きそうです。

※ピロリ菌については、旧石器時代の沖縄人のピロリ菌がその後の貝塚時代の沖縄人を経由して現代沖縄人に受け継がれたものなのか、旧石器時代に沖縄から本土日本に北上した人たちのピロリ菌が中世九州人が南下することで現代沖縄人に受け継がれたのか、はっきりしないようでした。同様に旧石器時代の沖縄の湊川人のDNAもどちら経由で現代沖縄人に受け継がれたのか分からないようです。「元からいた人と、新しく来た人」の歴史的判断は難しいです。

巫俊(ふしゅん) @fushunia

沖縄と「馬」ってテーマは考えたことも無かったです。けれど琉球王国の成立過程に「奄美諸島からの人間の移動」があったなら、当然「馬」も南下したってことになりますか。 「宮古島の牧と沖縄北部のマキ(続) -まきょ(マキ)と牧-」 長濱 幸男 city.miyakojima.lg.jp/soshiki/kyouik…

2021-06-09 06:28:48
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@amane_murakumo これって、西日本では「海」と「馬」の距離感が近かったってことですよね。瀬戸内海で島から島へと泳ぐ馬の映像を見た記憶がありますが、記紀にも海を泳いで渡る鹿の説話が出てきますし、「泳ぐ動物」が日常的な風景だったのかもしれないです。

2021-08-27 16:08:26
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@amane_murakumo 2020年刊行の『琉球王国は誰がつくったのか 倭寇と交易の時代』(吉成直樹、七月社)によれば、沖縄本島北部など各地に「マキ」「マキョ」の牧地名があり14世紀の沖縄は「馬産地」として知られてたとありました。

2021-08-27 16:16:06
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@amane_murakumo 沖縄本島までの「南西諸島の北半」では、日本本土形式の中世城郭が築かれた場所に「牧」が点在していて、琉球祖語系統の言葉を話す「武装した人たち」が島伝いに移り住んだことを示すと説明されてます。本書はこうした南西諸島の外部からの「人の移動」で「琉球国家」が成立したと指摘していました。

2021-08-27 16:21:34
巫俊(ふしゅん) @fushunia

海の中に馬産地がある」ということは、船に乗った小集団でも「騎乗」して武装することができたということで、海賊及び海上交易には欠かせないものでした。「」は交易にも使えるし、集落の長の権威の源泉にもなったし、小さな島を制圧する「上陸戦闘」にも馬は使えました。これが「琉球王国」の成立

2021-08-27 16:43:38
巫俊(ふしゅん) @fushunia

につながってる訳です。そうしたことは吉成直樹『琉球王国は誰がつくったのか 倭寇と交易の時代』(2020年刊行)にも書かれてました。琉球王国は、平安時代に九州から南下した「琉球祖語」を話す人たちが「海の交易ルート」を押さえ、島々に本土式の中世城郭を作ったことにもルーツがあるそうです

2021-09-18 16:13:34
Teri Wilhelm Friedrich von Kartenberg @TKartenberg

@fushunia え~とですね、日本中央競馬会の弘済会だったかとおもいますが、「牧の歴史」という本刊行してます。 また翻訳書だったと記憶しますが、「中国養馬史」という本も出してます。参考までに。なお近世史になりますが、千葉県で活動していた、房総の牧研究会が「房総の牧」という機関誌4号出してます。

2021-03-07 04:20:59
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@TKartenberg ありがとうございます。以前もご教示頂いた記憶がありますが、参照できてなくてすいません^^;

2021-03-07 04:35:10
Teri Wilhelm Friedrich von Kartenberg @TKartenberg

@fushunia 尚もし牧の歴史興味あれば、多分主屋の本棚にあったと思います。尚房総の牧は公式には千葉県立図書館のみ所蔵ですが、私協力会員だったので、今目の前に全四号あります。

2021-03-07 04:31:10
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@TKartenberg 低湿地での馬の飼育による馬への影響が気になっております。馬といえば高原というイメージなので、そんなに良い馬が育つのだろうか?という疑問も抱きましたが、平安貴族が島馬に乗ってたとすると、そうでも無いのか?と思いました・

2021-03-07 04:36:59
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