交通限界と都市間距離の話

クレフェルト『補給戦』に着想を得た、交通手段の限界が都市の間隔を規定しているし、それを理解すると歴史上の動きが說明できるかもしれないという話。
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馬車限界はクレフェルト『補給戦』にある概念で、自らも物資を消費する馬車輸送隊が補給を行える限界距離のことで、おおよそ120マイル(約190㎞)とされる。

2021-09-30 22:51:41
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馬車限界は都市にとって2つの意味を持つ。1つはその都市が直接軍事力を投射することが可能な距離であること。この距離を超えて遠征する軍隊は軍需倉庫なり、他の都市なりの拠点を設ける必要がある。

2021-09-30 22:52:01
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2つ目の意味はその都市が物資を収集可能な限界距離であるということ。都市は通常周辺地域の物資を集中させることで成り立つが、馬車輸送の限界はこの範囲を超えた物資収集が著しく不経済となることを意味する。

2021-09-30 22:52:20
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GoogleEarthで各都市から120マイル円を描いてみるとヨーロッパ諸国及び諸都市がこの120マイル制限の影響下にあることが見えてくる。

2021-09-30 22:53:39
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フランス。パリからの120マイル円は北仏の平原部の東半分をその一円に収め、その北側で、英仏海峡・ベルギー国境と接線を描く。第一次大戦の激戦地ヴェルダンや普仏戦争決戦の地スダンはこの線のわずか外側にある。 pic.twitter.com/exj5xehnB0

2021-09-30 22:54:29
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フランス国土の輪郭は概ねパリ、リヨン、マルセイユ、ボルドー、レンヌの5都市の120マイル円で覆うことができる。北東角については後述する。 pic.twitter.com/hlWFspqgYO

2021-09-30 22:56:26
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ドイツ。ベルリンはパリと同様にその120マイル円は北でバルト海、南でチェコ国境に接する. 古都ドレスデンはその国境の都市。東は現在ではポーランド国境が迫っているがWW2前の国境に一致する。 ドイツ全土の輪郭はベルリン、ハンブルク、フランクフルト、ミュンヘンでおおむね覆うことができる。 pic.twitter.com/VXh2ix6H4E

2021-09-30 22:57:25
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フランス北東部は伝統的な独仏係争の地、アルザス・ロレーヌ地方。パリ・ミュンヘンから等距離かついずれも120マイル圏外にある。フランクフルトの南西、いわゆるラインラント=プファルツ地方に有力な勢力があれば、同地を管制できるが、フランスは歴史的に同地の弱体化、非武装化を行ってきた。 pic.twitter.com/YYCgYc2MkQ

2021-09-30 22:59:04
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また、アルザス・ロレーヌの南を見ると、ミュンヘンとリヨンの120マイル圏外が中立国スイスであることがわかる。

2021-09-30 23:00:01
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西地中海の有力港湾も概ね120マイル円を描ける。物資集積の関係か、海上交通にも同様の距離制限が設けられるのかはわからない。なおローマ・ナポリ間は120マイルだが、政治的に対立関係にない場合、交易都市としては往復可能な120マイルが都市間距離として機能することが多い。 pic.twitter.com/qqn8fXYBeY

2021-09-30 23:05:58
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イギリス。ロンドンは大陸沿岸(ダンケルク・ブルージュ)から120マイルの位置にある。北は120マイル圏のやや外側にリバプールほか中部大都市が並び、その120マイル北がスコットランドとの境界である。エディンバラとダブリンはそれぞれスコットランドとアイルランドを120マイル圏内とする。 pic.twitter.com/Ml6Nz9ViVe

2021-09-30 23:10:54
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イタリア。半島の付け根の西側にジェノヴァ、東側にヴェネツィアがあり、その120マイル円がおおよそイタリアの国境に対応する。南にローマの120マイル円が接する。それら3都市からいずれも120マイルの位置にあるのがメディチ家のフィレンツェである。反対にローマから南東120マイルにはナポリがある。 pic.twitter.com/rKz7u9Zvqs

2021-09-30 23:11:56
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オーストリア。ウィーンを中心に北西120マイルにチェコの首都プラハ、南東120マイルにハンガリー首都ブダペストで、ハプスブルグ帝国の基幹をなす。ブダペストの南・東120マイルはルーマニア、セルビアとの国境でかつてのオスマン帝国との勢力境界であった。 pic.twitter.com/eqV89SA2qB

2021-09-30 23:14:29
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120マイル円では最後に日本の京都と東京で描くと以下のようになる。と言っても日本では馬車は近代まで導入されないのでさほど関係はないと思う。京都120マイルは織田信長の勢力範囲に近い気はするがどうか。 pic.twitter.com/PEVUjZ3QjX

2021-09-30 23:16:44
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日本の場合、明治以前は馬車は普及せず、陸上輸送は人力または駄載によった。荷物を馬の背に載せ御者は歩くのだから、その移動能力は徒歩と変わらない。また駄馬の輸送能力は100kg程度で馬車の10分の1ほどしかなく、1日ごとに荷を付け外す必要がある。

2021-09-30 23:18:54
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必然、徒歩一日行程が日本では重要な意味を持つ。江戸時代の日本人は1日35km程を歩いたらしい。一方で古代の律令制においてはその半分の16kmごとに駅を置くのが標準である。おそらく半日行程もしくは1日で往復可能な距離という意味があるのだろう。

2021-09-30 23:19:24
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京都を中心に35km円を描くと、南は平城京の奈良、南西には大阪がこの距離に位置する。北東琵琶湖沿岸では信長の安土城、後に豊臣秀次が整備した近江八幡がこの徒歩1日の距離に位置している。1日行程というのは程々に離れつつ影響力を行使できる範囲として政治的に魅力的であるらしい。 pic.twitter.com/W8H5Ghi61N

2021-09-30 23:25:37
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半日行程の16kmはその日のうちに往復可能な距離、余裕を持って入市できる距離として玄関口にあたる。京都でこれを見ると東は草津・大津、南は宇治から山崎、西は亀岡がそれぞれ位置する。 pic.twitter.com/TtIXqYNEwz

2021-09-30 23:29:46
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大阪を中心に見ると35km円は神戸の西端と京都の南端を通り、東では奈良盆地、南では大阪平野の範囲にほぼ一致する。 1日往復可能な16km円では大阪平野の北半分に一致し、南は堺、西は西宮を通り、そのまま北摂山地の裾と奈良県境の生駒山地に接する。 pic.twitter.com/AtmUmGdgKW

2021-09-30 23:32:08
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もう一つ面白い例として甲府を見ると、16km円で甲府盆地を抑え、35km円で山梨県の大半を抑える。武田勝頼は諏訪を35km円に収められる北西に拠点を移すが、その後裏切った穴山と小山田はそれぞれ山梨の南と東の端を領する。 pic.twitter.com/TcW3wwcxyR

2021-09-30 23:38:49
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名古屋の35km円はほぼ濃尾平野全域を内包する。北に岐阜、大垣、西に四日市、南は知多半島の付け根の半田や家康の出身である岡崎を通る。 pic.twitter.com/NuVQPN9oA2

2021-09-30 23:41:16
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家康というと今川衰亡の後は息子を岡崎に置いて、自身は浜松につめるが、後に息子を謀反疑いで自害に追い込む。両市は豊川を挟んで2日行程であり、それぞれの1日圏を持つ。浜松派と岡崎派に2分される一因が見える。 pic.twitter.com/2kON2TdxnO

2021-09-30 23:49:57
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東京35km圏。南は横浜、町田、八王子、立川、川越、岩槻、春日部、取手、千葉、木更津と。16km圏は概ね今日の東京23区に一致する。 pic.twitter.com/ReyczbFE12

2021-10-01 00:01:26
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東海道を1日行程で分けてみると、東京ー横浜ー小田原ー沼津ー富士ー静岡ー掛川ー浜松ー豊橋ー岡崎ー名古屋ー大垣ー彦根ー草津ー京都として、14日行程となる。 pic.twitter.com/94zgjnlpPf

2021-10-01 00:18:15
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徒歩1日ないし半日行程が都市間距離の基準になる日本の唯一の例外は道東である。下は50km円であり、これは馬車の1日行程に一致する。 pic.twitter.com/V07mxv1GY3

2021-10-01 00:33:07
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