「数学は人間がいなかった時から存在するし人間が死滅しても残る」と言ったら文系の人たちに反論された→様々な意見が集まる
- jinmenkutsu
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素数なんてセミの方がずいぶん早くから使いこなしてたしね。数学は人類だけのものじゃない twitter.com/sachiko_KuKaKo…
2021-12-07 20:24:36先日、某所で、「数学(もっと広く自然科学)の事実は人間がいなかったときから存在するし、人間が死滅しても残る」と言ったら、 文系の人たちに、「人間が存在してこそ認識できる」と反論された。
2021-12-07 20:15:44@sachiko_KuKaKo 表現方法は変わるにしても結局表現の中身は変わらないと思います。 さらに認識できる理由を考えれば、脳が宇宙の一部として存在してて、同じ物理法則によって構造を成立させているから脳も宇宙と相似的構造だという事からだと思い それは宇宙という事実が先に来ないと始まらないのではないでしょうか
2021-12-07 21:22:45人間の存在があってこそ
@sachiko_KuKaKo 法則というおぼろげな形でなら、少なくとも宇宙の成立時代から当然あるものだし、未来永劫変わることはないでしょう。しかし、目に見えにくい法則をはっきりと「定式化」することは、人間を含む知的生命体の存在なしにはありえない、というふうに考えます。
2021-12-08 03:20:03@sachiko_KuKaKo 人間が科学をしているんだから文系の方の言う通りでしょうね。科学は自然の一撮を記述する行為で、当然人間ありき、人間の脳ありき。人間がいなくても現象自体は存在しつづけるけども、人間という現象が存在しなければ科学は存在しない。ここで知的生物の発見を仮定するのはあまり意味がない。
2021-12-08 07:15:16@yn7RKpwaR4eLr4j @sachiko_KuKaKo それは『科学』が存在するか否かであって、『科学の事実』が存在するかでは無いのでは?
2021-12-08 13:47:19@Herring48240359 @sachiko_KuKaKo それは確かにそうだと思うのですが、それを議論する意味はあるのですか。科学の事実は科学があるからで、風を風速と方向の要素に分けるのは所詮科学的な見方にすぎません。それを人間がいなくても風は存在するという当然な所に立ち返ったところで、誰も科学をする者がいなければ風は風でしかない。
2021-12-08 19:15:53@sachiko_KuKaKo 認識するのは人間だけじゃないですよね。もっと言えば認識するのって従来からの生物に限るわけでもない。さらに言えば、認識ってそもそも、、
2021-12-08 02:28:36@sachiko_KuKaKo 「認識されなければ、存在しない」という話です。 確かに理系知識は、どの観測者が観測しても同じ結果を得られるので、別の知的生物が観測し発見すれば存在するということになります。 しかし例えば、牛乳が腐って固まったものは「腐った牛乳」として牛乳に含まれますが、別種と観測して「チーズ」と
2021-12-07 23:37:13@sachiko_KuKaKo なります。観測し、発見し、名前をつけて別のカテゴリーに入れるという手順をしなければ、チーズは存在しないということになります。
2021-12-07 23:40:33@Dustdes @sachiko_KuKaKo たしかそれ、ソシュールですよね 道端の雑草の喩えで中学時代の国語で学んだ記憶があります
2021-12-09 08:12:48@sachiko_KuKaKo 其々の立脚点が違う気がします。数の単語を持たない民族は、「ここにある石と同じだけ向こうに石を並べよ」という設問に対し四つ以上から正答率が落ちたという話があります。概念が無ければ無いに等しいです。新たな知的生命体は我々と違う概念で世界を捉えるかもしれません。と文系は思いたいのかも
2021-12-07 20:54:54@sachiko_KuKaKo 数字自体が記述の仕方の人為的取り決めなので、他の知的生命体は他の人的取り決めをして自然を記述して行く、、、 つまり物理とか化学ではない自然科学の体系を作って行くのではないでしょうか。 物は一緒だけど記述の仕方が違うといえば良いのか、、
2021-12-07 23:20:09さすがに直線とか0は人間の頭の中にしか存在しないと思うんですが、そうでもないんでしょうかね なら見てみたいものです 特に定義通りの直線 twitter.com/sachiko_KuKaKo…
2021-12-08 12:04:45数学や自然科学は学問であり、それは人間の認識の一部でしかない。もし「数学…の事実」というのが「数学…的認識の対象となるような事物や性質」という意味であれば、それは「人間が存在してこそ認識できる」とも両立する。対象(事物や性質)と認識(その基礎は反映像)とは分けて考えるべきだろう。 twitter.com/sachiko_KuKaKo…
2021-12-08 09:31:53人間が存在してこそ認識できるって、①自然科学の事実は畢竟一環境におけるものに過ぎず、前提が変われば同様の結果は導かれない②人間が死滅したとして、他の知的生物が人のいない地球において当該事実を発見する蓋然性は高くない(そもそも地球が残っているのかどうか)っていう説明はできるのかな twitter.com/sachiko_KuKaKo…
2021-12-07 22:03:21二つは両立するのでは
個人的にはどちらも正しくて、そこに矛盾はなく、認識されずとも事実は事実として存在できるって思ってる twitter.com/sachiko_KuKaKo…
2021-12-08 22:18:03@sachiko_KuKaKo それらは互いに矛盾なく並立できる事実では? 2つを合わせても「人間が死滅した後も科学的事実は存在するが、人間から認識されることは無い。」という極めて自明な文章ですし。
2021-12-08 17:29:53人間が観測することでその法理法則(その他の事物事象)は存在するものとして認識されるが、人間に認識される前からそれが存在する世界の事実はあった。 というのは、矛盾なく両立すると思うけどにゃ。 twitter.com/sachiko_KuKaKo…
2021-12-09 07:41:06この指摘は論理的に面白い。事実と認識の違いを理解すれば双方の主張は何ら矛盾するものではない。両立するものとして弁証法的に捉えれば良い。事実は人間がいなくても事実だ。そうでなければ人間が生まれる前の地球の真理は解明できない。認識は人間がいなければ存在しない。両者は概念が違う。 twitter.com/sachiko_KuKaKo…
2021-12-08 07:49:28『数学(もっと広く自然科学)は事実(事象)を表現するための手段』とすれば「人間が存在してこそ認識できる」という発言と矛盾しないと思う。 きっと、(観測された)事象と、それを体系的に表現した物(数学、自然科学)の使い分けの話。 twitter.com/sachiko_KuKaKo…
2021-12-08 03:33:52