白田秀彰先生の「これから「徳」の話をしよう」

最初、@ TokioSakurano さんにまとめていただいてた白田秀彰先生の一連のツイートが見られなくなっていたので、作り直しました。(現在は見られる状態に戻っています。) http://togetter.com/li/179919http://t.co/EP2XLbU ) 編集権限は開放してあるので、お気付きのかたは再編集をお願いします。
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ロージナ茶会 / 峰盛山 旭霜 @RodinaTP

今朝目覚めてふと思った。 被災地で拾得物としての金銭の届けが夥しく、諸外国にて日本人の公徳心の高さに驚きと賞賛の声が上がる、という誇らしい報道が数日前にあったと記憶する。政府が機能しなくても公徳心があれば社会秩序は維持しうる一つの事例だろう。

2011-08-25 07:34:13
ロージナ茶会 / 峰盛山 旭霜 @RodinaTP

人々の公徳心が十分に高ければ、政府の存在を限りなく小さくしていける。政府がリヴァイアサンであることを思えば、それは必要最小限であることが望ましい。放埓な自由を調停するため強力な法と政府が存在する社会と比較して、公徳心が高く政府の小さな社会は確かに理想だ。

2011-08-25 07:36:53
ロージナ茶会 / 峰盛山 旭霜 @RodinaTP

「公徳心」とは何か、という問題はおき、長い間わが国の教育が「徳」を重視してきた理由も、そして、治者が能力ではなく徳の体現者として機能することが要求されていた理由も、腑に落ちたような気がした。さて、こうした方針での統治や教育は長く我国で行われてきた。現代において再興応用は可能か。

2011-08-25 07:40:37
ロージナ茶会 / 峰盛山 旭霜 @RodinaTP

「徳育」というと「自由を抑圧して治者に都合の良い被治者を作り出す封建的営み」、という見方がある。が、別の見方をすれば、治者の能力に期待ができない社会において、部分最適な秩序を形成するための有力な方法だったのか。「徳」で結ばれる共同体というものは、秩序資本のクラブ所有状態なのか。

2011-08-25 07:49:45
24⋈589 @24_589

RT @RodinaTP 「徳育」というと「自由を抑圧して治者に都合の良い被治者を作り出す封建的営み」、という見方がある。が、別の見方をすれば、治者の能力に期待ができない社会において、部分最適な秩序を形成するための有力な方法だったのか。(略

2011-08-25 07:53:28
24⋈589 @24_589

『将帥の無能を兵が頑張って埋める軍隊』などという代物に可能であるのは、せいぜいが一時しのぎ。“徳育”とは、それを社会全体に敷衍しようとする概念であり、人権規定を持つ立憲制国家では許容される余地はない。

2011-08-25 07:59:21
24⋈589 @24_589

もちろん、自分の子供にそう躾ること自体は(法の範囲で)自由ですけどね。

2011-08-25 08:01:22
ロージナ茶会 / 峰盛山 旭霜 @RodinaTP

立憲制国家で、社会的な「徳」をはぐくもうと提唱することは、思想信条の自由に反するの? 「徳育」を進める団体に対して、その「徳」の中身について議論はありうる。けど、その活動は思想信条の自由として保障されないの? @24_589 “人権規定を持つ立憲制国家では許容される余地はない。

2011-08-25 08:14:24
ロージナ茶会 / 峰盛山 旭霜 @RodinaTP

長く秩序維持に貢献してきた「徳育」について考えてみたら、「立憲制国家では許容されない」とまで批判されるとは思わなかった。「徳育」について考えることもできないのか。これでは確かに、一部で「放埓な自由」に対する批判がたかまり、「国家による強力な統制」が唱導されるのもわからなくない。

2011-08-25 08:19:00
24⋈589 @24_589

@RodinaTP 教育指導要綱に於ける道徳教育としての徳育であれば、建前としては“規則を守りましょう」といったものですからそれを否定するのは行きすぎでしょうね。

2011-08-25 08:24:37
24⋈589 @24_589

@RodinaTP 一方、公徳心云々にまで踏み込んだ教育となれば、“徳”とはなんぞや?という内心に踏み込みますから(個人が自身の教育権の範疇で行うのであればともかく)社会として実施するのは内心の自由への干渉以外の何者でもないでしょう。

2011-08-25 08:27:32
24⋈589 @24_589

@RodinaTP もちろん、有り様に対する“議論そのもの”は自由であることが必須なのは当然だとも思います。

2011-08-25 08:27:39
👁️π遊亭Oἰδίπoυς👁️🔪 @02q8qzdn

なんか、白田先生が難しいことを、おっしゃってる?あとで、tlを遡ろう。

2011-08-25 08:34:06
24⋈589 @24_589

.@shigeneral 結果論としては仰る通りですが、人の有り様にとって“何が優れているか”を定めるのは個人の自由であって、国が斯くあるべし、と押し付けることは許されません。結果として国民のモラルに助けられたからといって、国家が怠慢であるexcuseにはならない道理です。

2011-08-25 08:37:37
👁️π遊亭Oἰδίπoυς👁️🔪 @02q8qzdn

と思ったらちょうどよいのが。シチズンシップ教育や法教育も、市民性とか、公民的資質というときに徳とかなり関わってくる気がする。なり。

2011-08-25 08:38:24
ロージナ茶会 / 峰盛山 旭霜 @RodinaTP

社会と国家を混同していませんか? それとも「社会=国家」とみる立場なのでしょうか。 社会において規範が構成員に教育されていく過程まで否定するとなると、貴方は何を基幹として社会を維持するのですか? @24_589 社会として実施するのは内心の自由への干渉以外の何者でもないでしょう。

2011-08-25 08:47:23
うろっつ@自称労働者(デフコン3)未だ命知らず @urots427

@RodinaTP 仰られる「徳育」の内実よりも、一般に流布している「徳育」の名称そのものに対して忌避感を持つ人が多いのかもしれないとの感想を持ちました。

2011-08-25 08:54:50
ロージナ茶会 / 峰盛山 旭霜 @RodinaTP

「「公徳心」とは何か、という問題はおき」と前置きして語っているのにねえ… 仮に政府のいう「徳育」が気に入らないとして、その内容には良いものもあることは認められないのか。@urots427 「徳育」の内実よりも、一般に流布している「徳育」の名称そのものに対して忌避感を持つ

2011-08-25 08:58:33
うろっつ@自称労働者(デフコン3)未だ命知らず @urots427

@RodinaTP 見たいものしか見えないのが人間ですから、余程意識しないと、脊髄反射的に批判してしまうのかもしれません。自戒せねば

2011-08-25 09:06:33
ロージナ茶会 / 峰盛山 旭霜 @RodinaTP

社会が機能する前提として「相手を害さない」「嘘をつかない」「約束を守る」は、どの集団でも必須の「徳」であり、「他者の利益を自己の利益と同格に見る」「長期的な利害について慮る」「他者の状況と自己の状況を入れ替えて考える」が集団の調和に望ましい徳だと思う。徳は目標であり義務ではない。

2011-08-25 09:09:48
24⋈589 @24_589

@RodinaTP 事例が被災地に於ける秩序維持ですので、この場合の“社会”とは自治体、延いては国家を指していると認識しておりました。異なる概念で用いられていたのであれば失礼いたしました。

2011-08-25 09:20:03
24⋈589 @24_589

@RodinaTP また、社会の維持に必要な規範の概念は原則として憲法とそれに基づく法であり、その教育は当然必要ではないかと存じます。

2011-08-25 09:24:17
24⋈589 @24_589

@RodinaTP 一方で“徳”には(“悪徳”という反対語が示す通り)善悪の価値基準を含みます。これは必然的に個人で異なる概念であり、“社会”が自治体等を指す場合に“教育”を行うのは甚だ不適切であると認識します。

2011-08-25 09:25:01
24⋈589 @24_589

「悪徳は愉し」は至言。しかし“学校”や“企業”へ属する場合に、その規則に従うのは(規則自体が違法でない限り)例外は有り得るにしろ、基本的には必然。ただし、より広い”自治体”などの広い範囲で内心に踏み込む様な規則はやはり問題だろう。

2011-08-25 09:28:43
24⋈589 @24_589

被災時などの非常時に求められるのは、自身の安全や社会秩序の維持を如何にして両立し確度を高めるか、という行動規範だろう。これは純然たる確率と経験則の問題でしかない。むしろ、通常時には”悪徳”と見なされる行動すら推奨される可能性すら有り得ることになってしまう。

2011-08-25 09:33:54
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