転生したらミミックだったが誰も開けに来ない件(積み)【1】
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また赤い虫が歌わないかと待てど暮らせど、苔の花の季節がめぐっても、あまりはかばかしくはない。文字の理解も何となく進まなかった。 惜しい気がした。しかし虫を歌わせる方法は見当もつかなかった。
2022-05-08 00:44:08ひさしぶりに両親と弟の夢を見た。そんなにうまくいっていなかったが、小さい頃一緒に河原でバーべキューをしたのは楽しかった。母の酒量もまだ目立つほど多くはなかったし。
2022-05-08 00:46:57目が覚めてからしばらく、ぼんやりしていた。 それからふと歌ってみる気になった。 音楽の成績は本当に悪かったし、そもそも箱の中にある体、ちゃんとした体があるとしてそれが歌えるのかどうかもはっきりしないが。
2022-05-08 00:48:25やってみると空気がぶすーぶすーと噴き出す音がするだけだった。がっかりしてやめた。 しかし、ほかにすることもないのでまたしばらくして再開した。ようやくとぶぶぶぶ、みたいな音が出せるようになったのはかなり経ってからだった。
2022-05-08 00:49:45虫を先生に、延々と練習を重ね、最後はぴったりと同じ曲を奏でられるようになった。 何だかわからないものとして箱の中で暮らすようになってから、前世ではできなかったことを一つ達成した。音痴を克服したのだ。いちおう。虫の基準では。
2022-05-08 00:53:40それから、不思議なことが起きた。 恋愛の歌と警戒の歌が対応するような韻律でできているのに気付いて、二つの曲を同時に鳴らしてみようと考え、口?喉?発声器官?のようなものを二つ開いて、あるいは作って響かせたところ、斑の虫がまた眩い燐光を発して宙を舞い、うねり、壁をなぞった。
2022-05-08 00:56:05そうして薄れた絵と埋め込まれた髑髏を補い、絢爛たる絵巻というか幻燈を演じたのだ。 びっくりしてしまった。 壁の絵と文字は不動なのに、虫の光が加わることでまるで生き生きと姿を変え今にも踊り出すかのようだった。
2022-05-08 00:57:31それらは意味を持っていた。ひとつひとつ。 光の宴の後で、壁には鱗粉が塗され、それを赤い虫が貪り、痕に苔が広がった。黒い虫が食べてゆくが、濃淡が残る。 また別の絵があらわれるようだった。
2022-05-08 01:00:03髪の毛、足、海、たなびく雲、深い穴で待ち受けるもの、すなわち死?稲妻を発しておりてくるもの、すなわち神?走るとかげ、あれは馬だろうか、そういうものをどんな音色とどんな文字の並びが指すのかが解った。
2022-05-08 01:06:38苔は少女の髑髏の真上には広がらなかった。斑の虫も触れようとはしなかった。 それでも横向きにうめこまれた華奢な骨の主は、ある時こちらを振り返って笑ったように見えた。 錯覚かもしれない。いや錯覚だろうが。確かめたくなった。
2022-05-08 01:08:22しかしそれには明りが足りなかった。斑の虫をあまり刺激して燐光を発させる訳には行かない。消耗させてしまう。限りあるたいまつのようなものだ。 どうにかほかの光源はないのかと頭を悩ませた。
2022-05-08 01:09:40そうしてふと自分がいつのまにか前世の言葉よりも、あの音色と文字からなる言葉で多くを考えているのに気付いた。 光、という言葉も自然に浮かんできた。 ラ・ラ・シ・ドといった感じだ。ララの間隔が短く、シは二音を合わせたより一割長く、ドは五分短い。
2022-05-08 01:13:03すると光が箱の飾り穴から漏れて、壁を照らした。何が起きたのかつかめずにいたが、やがて自分の目、というか視覚器?のようなものが輝きを放っているのだと解った。 そもそも外界から閉ざされた隠し部屋を見渡す際に、いつも無意識のうちにわずかに光を発していたのかもしれない。
2022-05-08 01:15:33ともかく自分に光を出す力があるのはありがたい。懐中電灯のように目から出る光で壁を照らし、埋め込まれた女の子の髑髏を照らした。 少しぶしつけだったかもしれない。いったんまぶた?というか似た何かを閉ざして、挨拶の歌を歌った。ひょっとしたら宣戦布告だったかもしれないが。
2022-05-08 01:17:17虫と苔から読み取った物語の中では、両者の違いはあいまいだった。 髑髏の主は笑ったようだった。楽しそうに。少なくとも箱の飾り穴から漏れる光の加減ではそう思えた。
2022-05-08 01:18:43歌と光で、もう虫と苔に頼らなくても、物語を演じられそうだった。楽譜と歌詞が一緒になった文字の並びを追うことで、続きを紡ぐことも。 それは壁の中の髑髏の主、少女の生まれ死ぬまでを教えてくれた。偉大な、あるいは疫病にかかった、少女は多くを殺し、あるいは食べ?
2022-05-08 01:23:50星?花?渦?の下を闊歩し、歌い奏で?あるいは戦い?やがて倒れた。あるいは蛹になった。 少女の父?あるいは夫?は一族の墓?あるいは食糧保管庫?に骸を塗り込めた。少女の命?薬?をそばに置いて。しかしそれはゆっくりと熟成する。 五百三十四年後に。あるいは一万十七日後に。
2022-05-08 01:27:31あるいは交差する天の川に流星雨が七度通り過ぎるまで。 理解し損なっているかもしれない。単に少女は死んで家族に葬られ、それだけの回数お参りをされたということかも。
2022-05-08 01:29:18しかしひょっとしたら、五百年かそこら経つと、少女を壁に塗り込めた際に副葬品として墓に置かれた命あるいは薬は熟し、子孫あるいは家臣あるいは信徒がやってきて、それを少女に捧げることで、死からの蘇りが果たせる。
2022-05-08 01:32:18本当だろうか。 しかしもし虫と苔によって演じられた物語が正しいなら、すでに八百八十九年がすぎていて、命あるいは薬はとうに熟しきり、ひょっとすれば変質が始まっているかもしれない。
2022-05-08 01:35:49それともこれらのことは皆、虫と苔しかいない隠し部屋に安置され、箱の中にいる自分が孤独に耐えかねて産んだ妄想にすぎないのだろうか。 そもそも命あるいは薬とはどこにあるのだろう。
2022-05-08 01:37:36