渡辺京二先生の『江戸という幻景』(弦書房)の本篇の初めに、摂津の国の無学な老婆の話が出てくるが、これが傑作。大した長さではないので、ここに引用させて頂こう。
2011-12-30 01:43:16たとえば伴嵩蹊の『近世畸人伝』には、こういう挿話が録されている。摂津国に富豪でありながら儒学に長じ、しばしば世に陰徳を施した男がいた。
2011-12-30 01:44:15この男が死んだとき、遠近から男女群れ集まって泣き悲しむこと、ちょうどお釈迦様の入滅なさった時もこうだったかと思わせるほどだったが、ここに一人の無知な老婆がいて、その言うことには、
2011-12-30 01:44:38だがそういう庶民といえども、学問自体の存在理由を否定しているのではなくて、かえって学問に劣等感めいた畏敬と羨望を抱いているのがふつうだろう。
2011-12-30 01:45:56死んだ男は儒学を学んだからこそ、たんなる金持ちというのでなく、持てる富を世に施すよき人になったのであるのに、そんな理屈はまったくこの老婆には通じない。
2011-12-30 01:46:43彼女の眼に学問というものがいったいどういう姿で浮かんでいたかと思うと、何ともいえぬおかしみを感じる。彼女の言葉を民衆の学問批判などと解釈すれば、文化大革命ないしポル・ポト派流の下放路線に道を開くのがおちだろう。私はそんな解釈はとらない。
2011-12-30 01:47:20時代は奔馬のように激しく変化してゆきそうだ。その馬を私の武術で乗りこなせるかどうかは、わからないが、その様子は、ここと、『風の先・風の跡』 yakan-hiko.com/kono.html で発信したい。 Twilog:twilog.togetter.com/shouseikan
@shouseikan 出典は『近世畸人伝』 2巻 米屋與右衞門ですね。近代ジタルライブラリーにあります。 kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid…
2011-12-30 06:48:57@CtvlsthS この思想江戸時代からあります。 国立国会図書館デジタルコレクション『近世畸人伝』2巻米屋與右衞門を御覧ください kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid…
2020-01-13 21:34:33「 摂津国今津の里、たはらや長右衛門(米屋与右衛門)といへるは、儒学に長じて節倹をつとめ、富豪なれども僕に交りて、自造酒の事をなし、世渡におこたらざれば、ますます富り。富るに随ひてはますます陰徳を行ふ。ある時親族の僕、主人の金百両をつかひ捨て行へなくなりしを、さまざま尋求て深く諫めて後、其百金をあたへ、ふたゝび主の家へ帰らしむ。又此里の内に路甚狭き所あり。されば火災あらん時に人の難あるべきをおそれて、其所を買て広くす。又板橋は水災のとき危しとて、石橋に造かへぬ。此類、挙るにいとまなし。尤常に貧人を恵ムを所作とす。されば此人死せるとき、遠近の男女集りこゑをあげて泣悲しみけるさま、釈迦仏の入滅もおもひしられけると、見し人語りき。こゝにをかしきことは、其悲しむ人の中に、愚なる嫗ありて、是ほどに学文したまへるさへよき人なるに、もしさもなくばいか斗よき人にてあるべき、といへりしとかや。一語天下の学者を砭針すといふべし。」
大正五年四月十五日付画家と書物と題する回に呵々大笑す。「むかし今津《いまづ》に米屋与右衛門《よゑもん》といふ男が居た。富豪《かねもち》の家に生れたが、学問が好きで色々の書物を貪り読んだ。珍らしい働き手で、酒男《さかをとこ》と一緒に倉に入つてせつせと稼いだから、
2015-12-28 15:06:02身代《しんだい》は太る一方だつたが、太るだけの物は道修繕《みちなほし》、橋普請《はしふしん》といつたやうな公共事業に費して少しも惜《をし》まなかつた。亡くなつた時には方々の人がやつて来て声を立てて泣いた。
2015-12-28 15:06:07なかに一人智慧の足りない婆さんが交《まじ》つてゐて、おろ/\声で、「これ程学問してさへこんな好《い》いお方だつたから、もしか学問などしなかつたらどんなにか立派な人だつたろうに。」と言つたさうだ。婆《ばばあ》め、なか/\皮肉な事を言ひをるわい。」
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