日本の高等教育の構造的問題についてのメモ(上下分離の必要性、研究以外のところでのサポートの必要など)

基本は以前記したこの辺 大学教育について(上下分離の必要性など): muse-A-muse 2nd http://muse-a-muse.seesaa.net/article/36590981.html   続きを読む
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m_um_u @m_um_u

このへんは理はあるんだけど QT liliput: 結論から言うと大学院生には一人でも食っていける能力を身につけさせるしかないと思うの。これなら大学院教育の理念にも反しないし。大学院卒業した人間ってきっと何らかのスペシャリストなんでしょ?ならそのスペシャルな能力でメシくらい喰えな

2011-10-28 16:35:50
m_um_u @m_um_u

「研究者と教育者は別」の部分だと「本来もっとも想像力と創造力に富んでいると思われる若手研究者は研究に重点させるべき。対して経験や学識は詰んでいるが独創性の面では目づまりしたお年寄りは教育に重点スべき」というところは持論。リソースの選択と集中だよ

2011-10-28 16:39:09
m_um_u @m_um_u

本来研究は創造性を重視する知的労働のはずだけど、現在は年功序列な丁稚奉公システムがまだまかり通ってるからね

2011-10-28 16:40:11
m_um_u @m_um_u

あるいはコミュニケーター部分も雑用部分も「若手研究者」以前のチューター的な学生のインターンシップ的なバイトとして当てられるべきだと思うの。で、その場合はアメリカ型の大学-大学院システムがちらつく。「院生にはきちんと労働対価払って、その代わり雑用もやってもらう」的なの

2011-10-28 16:42:15
m_um_u @m_um_u

その基本となるのは教育内容の違いだけど。「職業としての学問」にもあるようにアメリカ型は一定の規格に則って一定の学問知を詰め込む形を採用してる。「量/質」という区分けは単純だけど、どちらかというと量を重視するシステム。教科書的なものを設定して詰め込むみたいなのだと

2011-10-28 16:44:23
m_um_u @m_um_u

それに対して日本が採用したのはドイツ型の職人知としての学問的知見を涵養させるものだったって話。そのシステムではもともと学生の創造性に期待するのできちんと時間を与えてないと創造性が芽生える余裕がない、とウェーバーも言ってた

2011-10-28 16:45:59
m_um_u @m_um_u

で、現在の日本のシステムというのは原理的にはドイツ型を採用しつつも実質としては成果主義なのですごい中途半端なことになってるの。成果主義でやるんだったらアメリカ型に完全移行したほうがいいはずなんだけど

2011-10-28 16:46:49
m_um_u @m_um_u

で、そういう構造的違いがあるので簡単に「大学院生は専門性を活かせ」とか言えないと思うのよ。専門性活かすために専門的教育課程受けるはずで、それを習得してるだけでも時間がない現状なのにさらに就職活動とか成果主義とか言われるからね。そこは本来、大学の事務方が用意すべきだと思うの

2011-10-28 16:48:48
m_um_u @m_um_u

もちろん教育内容の実践的見直しと反省も逐次やっていくべきだし、その過程自体がインターンシップ的実践になっていて然るべきだとは思うけど。そういう下地も準備しないで(あるいは準備するための改正も許さないで)文科省側は学生や大学教員だけの責任にするでしょ?

2011-10-28 16:50:31
m_um_u @m_um_u

そんで、一番わかり易いインターンシップとしては「コミュニケーター」的に各学問領域の専門知を分かりやすく世間に知らしめるようなものを採用していくことだけど、そういった回路も研究者や学生側だけの持ち出しみたいな現状なのだから、期待されてもできないのが当たり前じゃん

2011-10-28 16:52:41
m_um_u @m_um_u

そんでその上のレイヤーだと「研究者と教育者は別」っていうのも整えないとなんともだと思うんだけど、これもけっきょくは「研究・専門知に携わるものに創造力を発揮するための時間的余裕を!」って話でそこを広げるための思考が必要だと思うのね。根性論的に学生や研究者の責任に帰するのではなく

2011-10-28 16:55:22
m_um_u @m_um_u

実際若手研究者なんかは雑用受け持つのが常だけど、それ+一定の規格に則った「成果」な宿題してるだけだとオリジナルな研究なんか進めないわけで

2011-10-28 16:56:52
m_um_u @m_um_u

選択と集中ってのはほんとに追い詰められれば出来るはずだと思うんだけど、、日本の産業界の保守性も絡んで「国民性」って話になるんかねぇ。。

2011-10-28 16:59:26
まとめ 日本でベンチャーが育たない理由についてのよもやま噺 「市場の母数が少なすぎて投資の際の対象数が少なくリスクヘッジが効かない」 + 「日本の保守性」あたり 6708 pv 18 3 users 18
m_um_u @m_um_u

まぁさっきのは教育と研究の上下分離の話だけど

2011-10-28 16:59:48
m_um_u @m_um_u

まぁ就職との関連で構造的問題っていったら「日本はジョブ-能力評価(採用)ではなくメンバーシップ雇用だから(専門知とかも度外視されるし、そもそも市場側に新規性を活かす受け皿がない」があるか

2011-10-28 17:54:26
m_um_u @m_um_u

専門知度外視もそうだし、雇用に対するフレキシビリティがなく「新卒一括採用」形式なので、「専門知習得のために時間をかける」ことがどうしてもリスクが高くなる。

2011-10-28 17:56:16
m_um_u @m_um_u

メンバーシップ雇用についてはこの辺 濱口桂一郎、2009、「新しい労働社会」: muse-A-muse 2nd http://t.co/dlmFpHuF

2011-10-28 17:59:45
m_um_u @m_um_u

中世の大学がスコラ哲学と昔のリベラルアーツの古典的読解中心の衒学でたいして役に立たなかった状態っていまの日本と似てるように思うのよねぇ。。

2011-10-28 18:24:52
m_um_u @m_um_u

衒学的なものに対して、職人・商人・医者・船乗りなど実践知が現場的インセンティブから当該領域における実践的専門知として体系化され、大学的「界」とは別の実践的専門知として花開いていったように。実践知求めるなら既存の大学とは違ったアプローチもあるはずだけどねぇ。。

2011-10-28 18:26:22
m_um_u @m_um_u

現在の科学技術と知識にも通じる大学や専門校がグレシャムカレッジや王立学院から成立していったように、実践知を基本とした専門教育機関の創成は可能なはずだけど

2011-10-28 18:27:17
m_um_u @m_um_u

ニュートンまで続く科学技術の知は王立学院←グレシャムカレッジって(エリート向けではあるけど)技術訓練校を基底とするし、その前段階は商人や職人達による実践知としての技術知識の伝播・共有への希求があった。具体的に数学(幾何学・代数学)や透視図法などの応用

2011-10-27 18:30:02
馬場正博 @realwavebaba

教育が国民生活を豊かにする基本だということは正しい。字も読めず四則演算も出来なければ近代社会の労働者としては最低限の仕事も難しい。しかしどの程度の教育を一般的に提供するべきなのか。大卒の就職難を見ると教育投資の費用対効果が逓減しているのではないかと思えてくる。(1)

2011-10-28 18:32:48
馬場正博 @realwavebaba

微積分を理解して応用できる人は大卒の何割くらいなのだろうか。英文の新聞を日本語の4割程度の速度で読める人はどのくらいいるのか。原発事故でα線、β線の話になるとニュースでは理解されない説明と看做される。高校レベルの内容をきちんと身に付けている人は国民の2割以下ではないか (2)

2011-10-28 18:36:01
馬場正博 @realwavebaba

もちろん企業やその後のキャリアで多くの人はあやふやな高校、大学の知識を確かなものにする。何もベースがなければそれも不可能だ。しかし因数分解や微積分など社会生活で必要ないと言い切るような人には、そんな教育は時間の無駄だったと思う。音痴にカラオケをさせてもうまくはならない。(3)

2011-10-28 18:39:07