承前 Y染色体のボトルネックイベント後に拡散したのが青銅器技術であるなら、紀元前1200年のカタストロフの後に拡散したのが鉄器技術である。最近の学説だと、どうもこのカタストロフは青銅器時代盛期の極度に発達したもたれあいサプライチェーンの将棋倒し現象だったらしい。
2023-06-24 19:21:57@rajids_KH 例の「紀元前1200年のカタストロフ」、東京国立博物館の小野塚拓三さんのギャラリートークで教えていただいたんですが、青銅器時代的な(市場経済を欠く)サプライチェーンの密接なもたれあいが頂点に達した時に、局所の破局が将棋倒しに全体に波及したと考えられているそうです。
2023-09-18 15:22:46承前 この紀元前1200年のカタストロフ、青銅器時代の世界システムの終焉に伴って、カナン=フェニキア人の第一段階の地中海展開が起こり、商業植民都市としてガデス、ウティカ、リクソスなどが建設されます。
2023-11-23 15:32:56承前 紀元前1200年のカタストロフに伴う大規模な民族移動によってイスラエル人などの移住がカナン人の都市国家の農地を圧迫した事が彼らが本格的に海上交易に生命線を切り開く転機となったようです。
2023-11-23 15:27:26承前 紀元前1200年のカタストロフの後に登場するのが利潤ベースの商業であり、市場経済であったらしい。この商業環境下でサプライ側の多極化が起こり、それにともなってアフロ・ユーラシア世界全体に拡散した技術のひとつがどうやら鉄器技術だったらしい。
2023-06-24 19:23:45承前 我々が知っている経済行為の形態というのは意外と歴史が浅く、利潤ベースの商業が登場したのは紀元前1200年のカタストロフの後、鉄器時代が到来してかららしい。それを背景に経済の最先端地域であるメソポタミアで市場経済が誕生したのがアッシリア統治下の紀元前9世紀後半ぐらいだったようだ。
2023-07-12 00:28:11承前 そうすると、シュメル時代などの青銅器時代の貴金属をなかだちとした商取引と、市場経済が確立してからの決済手段としての銀のあり方と、どこに大きな相違があるのか、これは経済史的な大きな課題だと思います。
2023-05-29 12:21:50青銅器時代のブリトン人は金を通貨にしなかった haaretz.com/archaeology/MA… 金属利用が始まった時代、チェーンみたいな装身具の太さ・長さはある程度共通してる。重量あたりの価値で取引されてた(標準化された通貨のはじまり)。 英諸島の金細工品のサイズ分析、どうやらそんな使い方はしてなかったらしい
2022-03-13 08:07:39欧州での青銅加工品は重量単位がかなり揃ってるのだそうだ。その地域がヨーロッパの交易ネットワークに入ってた証拠にもなる twitter.com/Kyukimasa/stat…
2022-03-13 08:14:125000年前の国際標準化と欧州通貨統合の始まり dw.com/en/archaeologi… 腕輪・リブ・斧の刃と呼ばれる青銅製の出土品。欧州各地で発見されていて、その70%が平均195gでだいたい同じ重さ。交易の際の金属重量の標準化が進んでいた(=通貨)
2021-01-23 10:54:28お金の起源、先史時代中央ヨーロッパにおける通貨標準化 eurekalert.org/pub_releases/2… オランダLeiden University考古学部(Plos発表)。以前から出土していたもののデータに『ヴェーバー‐フェヒナーの法則』(人間の感覚がどの程度なら差を判別できる/できないか)を導入したのがポイントらしい
2021-01-23 11:01:41これか! フェニキア史の論文を読むと、利潤ベースの商業が登場したのが鉄器時代になってからで、それを背景に紀元前9世紀から紀元前8世紀になって市場経済が歴史上はじめて出現したと出てくる。利潤ベースではない商業というのがこれか! twitter.com/enlil_anzu/sta…
2023-06-05 21:46:15古代メソポタミアには交易者(タムカルム)の身分の者が存在し、ハムラビ法典にもその名が記述されている タムカルムの仕事には、仲買人、代理人、競売人、保管人、銀行家、仲裁人、旅商人、奴隷取締官、徴税吏などが含まれた あくまで王の代理での交易で、商取引の利益は個人の収入では無かった
2023-06-05 20:17:14@amane_murakumo やはり、青銅器時代の「帝国」と鉄器時代の「帝国」の間にはかなり大きな質的差異があります。 青銅器時代の帝国は、都市国家ブロックの互恵的贈与的商業の取引とりまとめ代表みたいなシステムですが、鉄器時代の帝国になると利潤ベース商業のサプライチェーンシステムそのものの支配をやりはじめる。
2023-11-23 15:15:24@itobin_wh71 利潤ベースの商業が始まったのが、古代オリエント史ではだいたい紀元前1200年のカタストロフを境にした鉄器時代的社会の登場以後とされています。私はこのタイプの取引が受容された世界での交易を商取引とみなしています。それ以前は商業といっても互恵的贈与の延長線の性格が強い。
2023-09-29 14:22:57@amane_murakumo 私の想定している流れだと、 ①紀元前1200年のカタストロフで青銅器時代的な互恵的贈与ベースの商業のサプライチェーンが解体して利潤ベースの商業のサプライチェーンが登場。 ②利潤ベース商業を背景とした古代的共同体小国家エリートのための哲学や教義宗教が芽生える。 続く
2023-10-14 13:03:32@amane_murakumo 承前 ③鉄器時代的な利潤ベース商業を背景とした哲学や教義宗教が成熟してきて急激な発展をみせるのが紀元前5世紀のカール・ヤスパース唱えるところの「枢軸時代」 ⑤古代的共同体小国家の解体によって古代社会が解体に向かう3世紀以降、社会を束ねる箍として哲学や教義宗教の大衆化が一気に起きる。
2023-10-14 13:06:12承前 そして、鉄器時代に市場経済が誕生する、その背景となったのが、紀元前1200年のカタストロフを機に、サプライチェーンの設計そのものが根本的に変わってしまったこと、利潤ベースで活動する商人というものが登場した事、であったようなのです。
2023-05-29 12:28:08承前 これは非常に大きな問題で、青銅器時代の古代文明がほぼ紀元前三千年紀から紀元前二千年紀いっぱい、約二千年間続いてついぞ貨幣が登場しなかったのに、鉄器時代になるとたかだか数百年で貨幣が誕生、普及してしまうのです。
2023-05-29 12:25:28@rajids_KH 鉄器時代になって利潤ベースの商業と市場経済が紀元前9世紀ぐらいに確立してきて以降、サプライチェーンが動くかどうかは最重要決済手段の銀の確保と強く結びついてきます。銀の世界史ってすごく重要なんです。
2023-09-18 14:37:13フェニキア史とかアッシリア史とかの論文を読むと、市場経済が誕生して、銀などの貴金属が市場経済的な意味での決済手段として確立して需要が激増してくるのは鉄器時代になってからの紀元前9世紀末になってからとされています。 twitter.com/enlil_anzu/sta…
2023-05-29 12:19:01シュメル時代には貨幣はまだ登場しておらず、主に銀の重さで代用していたようだ 1マナ=約500g 1ギン=8.3g 男性奴隷の値段が20ギンとしていた資料も出土している 現在の銀1g=約60円 1ギン=約500円 当時と現代の銀の産出量は異なるので、一概にこれが安いとは言えない
2023-05-29 09:00:02承前 利潤ベースの商業というものが世界に定着してくると、経済先進地帯のメソポタミア、つまりアッシリア帝国が建設されてきている地域で市場経済やら決済手段やらといった新しい概念が登場してくる。
2023-11-23 15:41:59@rajids_KH たぶん、アッシリアの帝国としての拡大も、銀決済経済圏の統合とかそういう動機があったんじゃないかと考えています。アッシリアは青銅器時代からメソポタミアの穀物生産とアナトリアの鉱物資源の交易を媒介していましたよね。帝国の背後にサプライチェーンありです。
2023-09-18 15:20:21@amane_murakumo あと、鉄器時代帝国化したアッシリアでは、青銅器時代に非常に長く続いた正統王統が断絶して、ティグラト・ピレセル3世から全く新しい王朝が始まり、これが2代で断絶して滅亡までのサルゴン王朝に落ち着いています。都市国家共同体原理の王朝では帝国がもたなかったんでしょう。
2023-11-23 15:21:13