動画対談「東浩紀×成田悠輔」 前編「なぜ大学辞め独立メディアを?」&後編「絶望感の正体は? 日本の闇」へのコメント ――家族的、観光的、自動的
youtube.com/watch?v=w-ToOG… 【成田悠輔vs東浩紀】なぜ大学辞め独立メディアを?【哲学とは何か】(2023/10/01 ReHacQ)
2023-11-19 14:51:43youtube.com/watch?v=B7bchn… 【成田悠輔vs東浩紀】 絶望感の正体は? 日本の闇 【ガチすぎ本音トーク】(2023/10/07 ReHacQ)
2023-11-19 14:52:51どうも、しろうとです。今回は、10月に公開された、東浩紀氏と成田悠輔氏の対談動画に、コメントをしていきます。今回、日曜の昼にツイートしています。対談が高度で、時間が掛かると思ったので。
2023-11-19 14:56:13togetter.com/li/1981708 対談「成田悠輔×東浩紀」「民主主義に人間は必要なのか ──『22世紀の民主主義』vs『一般意志2.0』」を見てのコメント ――人間的、動物的、機械的(Togetter まとめ)
2023-11-19 14:59:38問題意識としては、上のまとめ記事から継承しています。また、天才おふたりの対談、私がコメントする資格があるのか、ということも気になりますが、それを言うと、何も言えなくなってしまうので、この際は恥を捨てて、天才の思想に挑戦します。
2023-11-19 15:03:03まず最初に、対談動画の内容を、大まかにまとめておくと、東氏が「家族」という問題系を深く考えていて、それを「(国際)観光」や、「SNS」に応用した議論を、成田氏と展開していきます。
2023-11-19 15:06:05その対談に対するコメントも、先にまとめておくと、「家族的なもの」の形を、現代に応じたものにするために、「AI」が重要になる、といったことです。これは、成田氏の「AI政治」と関係があります。
2023-11-19 15:09:06それでは、動画の時系列に合わせて、順番にコメントしていきます。動画を大きく4つに分けます。1.「前編前半」 2.「前編後半」 3.「後編前半」 4.「後編後半」 まずは、1の「前編前半」から。なおここから、常体で書きます。
2023-11-19 15:11:34対談動画の「前編前半」(37分くらいまで)では、タイトルの「なぜ大学辞め、独立メディアを?」という話題、それと哲学の話題を扱っている。それについてコメントしたい。 なお以下は、もちろん、私の個人的解釈なので、もし疑問や批判があれば、(お二人ではなく)私に対してコメントして頂きたい。
2023-11-19 15:17:14まず、「独立メディア」(ゲンロン、シラス)は、東氏にとって、どういう意味を持つのか? 成田氏が言うように、「Youtube」などの既存プラットフォームに乗っかった方が、たしかにビジネス上、効率的ではあるだろう。
2023-11-19 15:20:20これは後の哲学の話と関係してくるが、「デリダにとっての特異な文体」「ウィトゲンシュタインにとっての『言語ゲーム』」のような存在が、東氏にとっての「独自メディア」だったのではないか、と個人的に解釈している。もちろん、勝手読みかもしれないが、少なくとも、私から見ると辻褄が合う。
2023-11-19 15:26:23動画でも言及されている、哲学者「デリダ」について、なぜデリダは特異な文体で表現したのか、という疑問は、東氏の著書『存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて』(以下、『郵便本』)でも扱われていた。
2023-11-19 15:30:36デリダ氏の著書も、東氏の『郵便本』も、非常に難解だが、ものすごく乱暴に単純化すると、あの特異な文体は、現代で言えば、ネットの「プラットフォーム」の効果のようなものだと、私は解釈している。どういうことか?
2023-11-19 15:33:10プラットフォームの効果というのは、たとえば「X(旧Twitter)」の文章と、「5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)」の文章は違うし、「Youtube」の動画と、「ニコニコ動画」の動画も違う。ほかにも、「Facebook」や「Tiktok」など、サイトごとに文化圏があるだろう。
2023-11-19 15:36:19そこでたとえば、「ニコニコ動画」だと、動画に字幕が載るので、「MAD」のようなネタに走った動画に、字幕のツッコミが入って面白くなる、といったように、プラットフォームごとに、効果的な表現方法が異なってくる。
2023-11-19 15:38:03対比すれば、哲学者ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』(『論考』)では、命題が体系的に構築されている。が、デリダの哲学は体系的でないので、あの特異な文体で書かれている。表現したいものに、媒体を合わせている。私としてはシンプルに、そういう風に考えている。
2023-11-19 15:47:58ところで、『郵便本』を読んだ人からすると、これでは物足りないかもしれない。あの本には、「複数的な超越論性」といった、難解な概念が書いてあったが、それはどこへ行ったのかと、不満があるかもしれない。
2023-11-19 15:49:21しかし、「複数的な超越論性」というのも、表現媒体やプラットフォームによって、私の同一性が揺らいでしまうことで説明できる。ツイッターと2ちゃんで、文体を使い分けるような。もちろん、これは乱暴な単純化であって、その気になれば、100倍くらい難しく語れるだろうけれど。
2023-11-19 15:52:14さらに、デリダの「脱構築」との関係を考える。これも非常に難解な概念だが、私としてはごくシンプルに考えている。脱構築とは、哲学者ヘーゲルの「弁証法」と、逆の操作だと解釈している。この逆の操作というのは、微分に対する積分のようなもの。
2023-11-19 15:56:26ヘーゲルの「弁証法」、つまり矛盾を統合していく発想は、時代的にも、西欧の「啓蒙思想」や還元的合理主義、後の「帝国主義」などと相性が良かった。なぜなら、西欧列強が、異なる国を植民地として統合し、大帝国を築いていった時代なのだから。
2023-11-19 16:00:03デリダの脱構築は逆に、整合的に見える体系から矛盾を引き出して、解体していく。これが、20世紀の「民族自決」的な「独立運動」と相性が良かった。また、人種や性別、LGBTなどに関係ない平等という、多様なアイデンティティを求める時代の流れにも合っていた。
2023-11-19 16:04:49「哲学とは何か」という問題にも答えておこう。「数学」が「数」についての学問なのは、異論がないだろう。それなら、哲学は「哲」の学問だ。しかし、「哲」とは何か? 辞書的には、「物事の道理」だとか、「優れた知恵」といった意味らしい。人間の「知」そのものとも言えるだろうか。
2023-11-19 16:11:06「哲学」の「哲」が「知」の意味だとすれば、哲学とは「学問の学問」だとか、「思考についての思考」なのだ、といった再帰的な解釈もできるだろう。また、「学問の条件を基礎づける」といった、カント的な言い方もできる。
2023-11-19 16:15:19