人権思想は、どれくらい普遍的か。

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高木健一 @zzTyV6vdCnkuLnm

人権思想は普遍的なものではないという主張があります。では、人権思想はどのような主張を公理とする社会において論理的に正しいという結論になるのでしょうか。その答えは、「既に出生した赤ん坊には生きる権利がある」という主張を公理とする社会です。何故そうなるのでしょうか。 権利と義務がセットであるならば、何の義務も果たせない赤ん坊には生きる権利はないという結論になります。それはおかしいので、生きる権利は生まれながらに誰もが持っているものと考えるしかありません。·····① また人権の範囲は国家が決めるものならば、国家は赤ん坊の生きる権利を認めないで殺してもいいという結論になります。それはおかしいので「人権は国家より上位である」と考えるしかありません。·····② ①②より、「全ての人は生まれながらに自身の生命を尊重される権利を平等に持っており、その権利は国家より上位である」という結論になります。·····③ ③より、全ての人は生まれながらに、自身の生命を尊重される権利を平等に持つならば、誰もがその点では平等だということです。誰もが平等であるならば、生まれてきただけで奴隷として生きなければいけない人達が存在するのはおかしいので、全ての人は生まれながらに自由でもあるという結論になります。·····④ ③④より、「赤ん坊にも生きる権利がある」と考えるならば「全ての人は生まれながらに自由で平等であり、自身の生命を尊重される権利を持っており、その権利は国家より上位である」と考えるのが論理的です。このような考え方を、人権思想と呼びます。 世界のほぼ全ての地域で、赤ん坊を殺すのは悪いことだと考えられています。赤ん坊を守ることこそ、人間社会の基盤だからです。よって世界のほぼ全ての地域で、「全ての人は生まれながらに自由で平等で、個人として尊重される」という考え方が、論理的に成り立つのです。

2023-12-01 17:21:39
高木健一 @zzTyV6vdCnkuLnm

私の主張に対して、中絶の合法化はどうなんだという批判もありますが、私の言ってる赤ん坊とは、既に出生した赤ん坊についてです。 近世までの日本では、嬰児殺しが行われていた。それは赤ん坊が人間だと見なされていなかった証拠だという批判もありますが、水子供養も行われていたので、近世まで日本人は赤ん坊を人間だと見なしていなかったという証明にはなりません。供養の対象に動物が含まれることもあったという再反論もありますが、それは赤ん坊は、殺してもいい動物だと見なされていたという証明にはなりません。 他にも赤ん坊はパーソンではないと考えられるので、その利益自体を考慮に入れるべきとは言えないという批判もあります。この主張によると、赤ん坊を殺してはいけない理由は、親の不利益になる他、社会の他の人々が生存権に不安を抱く可能性があるからであり、赤ん坊に生存権があるからではないそうです。 しかし、世界の大半の地域では出生した赤ん坊は人間だと認められています。日本でも欧米でも中国でもイスラムでもそうです。赤ん坊を人間だと見なす考え方は、地域や文化圏によらず世界の多くの国にあります。 直感的に世界の多くの人が「赤ん坊にも生きる権利がある」と感じるならば、「赤ん坊にも生きる権利がある」という直感は普遍的だということになります。 赤ん坊にも生きる権利があるという考え方が普遍的ならば、オーストラリアで重度障害がある新生児の安楽死が認められたのはおかしいという批判もありますが、オーストラリアでも何の障害もない新生児を殺すことについては肯定されてはいません。もしもオーストラリアでは赤ん坊に生きる権利がないという考えが一般的ならば、障害の有無で殺していいかどうかは変わらないはずです。 また老人でも、救命にならない延命治療のケースで、本人の意思が確認できない場合に、家族が代わりに延命治療を続けるかどうか判断することはありえます。そういうケースがあっても、老人に生存権がない証拠にはなりません。 他にも人権の1つである自由権について、「自由権は普遍的なものではない。何故なら共産主義では自由権のの1つである財産権が認められていないからだ」という批判もあります。 しかし、実際には共産主義社会においても、たとえばキューバでは借金して夜逃げする人とか、屋台で果物を売って生活する人とかが普通にいます。金を持ってる方が美味い料理を食えるし、良い家に住めるし、ガスも水道も電気もテレビもネットも恵まれています。 また、共産主義社会においても所有権の概念は完全否定はされていません。jcp.or.jp/akahata/aik3/2…

2023-12-01 17:25:49
高木健一 @zzTyV6vdCnkuLnm

「人権思想の普遍性を肯定する主張は、それを信じた人々を傲慢にさせて正義の暴走を招くだけだ」という批判もあります。確かに正義の暴走は有害です。しかし人権思想の普遍性を否定する主張もまた、国家権力による人権侵害を肯定する結果を招くという意味で有害なのです。国によって人権の定義は違うんだという主張は、人権侵害を繰り返す中国やロシアの主張そのものです。例として2022年の中ロ首脳会談後に発表した「新時代の国際関係とグローバルで持続可能な発展に関する共同声明」での双方の主張を見てみましょう。 〜以下、引用〜 「双方は、民主及び人権を守ることは他国に対して圧力を及ぼす道具となるべきではないと確信する。双方は、いかなる国であれ、民主の価値を濫用し、民主、人権を守るという口実で主権国家の内政に干渉し、世界の分裂・対抗をそそのかすことに反対する。」 〜引用終わり〜 つまり中国・ロシアは「中国・ロシアの振る舞いを人権侵害だと非難するな。黙認することこそが中国・ロシアの歴史文化、社会制度を尊重するということだ。」って言っているのですね。 中国は、新疆ウィグル族問題や香港での民主化運動弾圧を理由に、アメリカやEUから人権侵害を非難されて制裁された国です。独裁政権である中国共産党は、自分達に都合の悪い言論を弾圧し、逆らう者を皆殺しにして、大躍進政策や文化大革命によって数千万の国民を殺しました。 ロシアは、ウクライナに対して国際人道法を無視して侵略戦争を始めた上、ウクライナの民間人を虐殺しておいて開き直る国です。気に入らない人物を暗殺し、LGBTを弾圧しています。また子どもの人権を侵害している国だと名指しで非難されており、国連人権理事会から事実上追放されました。 もしも、中国やロシアの人権の定義と、欧米や日本の定義が違っていて優劣をつけられないならば、中国やロシアの人権侵害を非難した側こそが間違っていることになってしまいます。よって中国やロシアの人権侵害を非難する立場に立つならば、人権は普遍的なルールだと認めるしかありません。 apinitiative.org/2022/03/28/351… 人権思想は、歴史的にはイギリス革命、アメリカ独立革命、フランス革命を通じて、国家権力の暴走から国民を守るための思想であったために支持されて広まっていきました。そのため、国家権力の暴走から国民を守るための権利として「人権は国家より上位である」としておくことこそが、人権思想の核心です。人権思想とは、革命を正当化する思想なのです。国家権力が人権侵害をやりたい放題の状況でも革命を正当化できないルールは、そもそも人権思想ではないのです。 人権の定義とは「全ての人は生まれながらに自由で平等で、個人として尊重される」なので、定義上、必ず人権は世界中で同じ定義の普遍的なルールになると考える方が論理的でもあります。実際、だからこそ国際社会は、世界人権宣言を作ることができたのです。 世界人権宣言、第一条 すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。 unic.or.jp/activities/hum…

2023-12-01 17:43:41
高木健一 @zzTyV6vdCnkuLnm

仏教には、水子を祀るという教義はないし、水子を各家で祀るという祖先祭祀も、近世以前の日本には全くなかった。よって「赤ん坊にも生きる権利がある」という考え方は近世以前の日本には当てはまらないため、普遍的ではないという反論もあります。 確かに現在行われているような水子供養の形というのは、1970年代に全国的に広がっていったものです。しかし幼くして亡くなった子を供養することは、古くからありました。 また近世の日本に全く水子供養がなかったわけではありません。飛騨宮村の往環寺、河合村角川の専勝寺、箕輪の浄閑寺、北千住の地蔵院金蔵寺などがあります。1793年、松平定信は堕胎や間引きの犠牲になった水子の霊を弔うため、本所回向院に水子塚を立てました。 森栗茂一、水子供養の発生と現状 t.co/v5Qk0ihFcA

2023-12-01 20:17:40
高木健一 @zzTyV6vdCnkuLnm

また、浄土真宗では水子供養という形は取りませんが、それは赤ん坊には生きる権利はないと考えているからではありません。讃嘆供養が、浄土真宗の考える供養です。阿弥陀と呼ばれる仏様が、「本当に大事な世界に立ち帰ってほしい」という願いをもって呼びかけてくる、その声に触れ、感動し、「私自身、有り難いことでした」と頭が下がることを言います。どんな命も一つの尊重されるべきものとして法要が行われるのです。 水子供養って何ですか?真宗大谷派ではどのように勤めている? ji-n.net/butsuji/%E6%B0… 回向院、歴史の中で庶民と共に歩んできたお寺> 回向(勤行・水子供養・動物供養)のご案内 ekoin.or.jp/offering/

2023-12-01 20:18:31
高木健一 @zzTyV6vdCnkuLnm

また近世の仏教の教えでも、赤ん坊を殺すことは悪い事だとしていました。群馬県の青蓮寺には間引き絵馬というものがあり、子返し図とも呼ばれています。「子返し」とは口減らしをすることで「間引き」と同じ意味です。  間引きは、江戸時代中期以降、広く行われた堕胎・生児圧殺の風習で、財政困難に陥った諸藩が、貢租収取を強め、加えて災害が農村をおそい、農民の生活が苦しくなる過程で行われたと言われます。  1833年~1836年に起こった全国的飢饉で冷害・洪水・大風雨が続き、諸物価は高騰し、下層農民や町人等は離散困窮し各地で一揆が激発しました。また、当地でも大洪水・冷害等に見舞われました。  こうした時代背景において非人道的な間引きを戒めたのが間引き絵馬です。産婦が子供を殺している様子と、鬼の姿が描かれています。 青蓮寺の間引き絵馬 city.ota.gunma.jp/page/4491.html

2023-12-01 20:20:04
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高木健一 @zzTyV6vdCnkuLnm

江戸時代、幕府や藩は「間引き」を厳しく禁止し、特に宇都宮藩は「間引き」禁止の教育に熱心でした。1843年、地元の名主によって奉納された法眼祐真藤原梅景という絵馬は、村の人たちに「間引き」の悪行を戒めるために作られたものと考えられています。 間引き図絵馬(法眼祐真藤原梅景) utsunomiya-8story.jp/search_post/%E…

2023-12-01 20:21:15
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高木健一 @zzTyV6vdCnkuLnm

延命山菊水寺には「子がえしの絵図」が掛かっています。秩父聖人と言われる井上如常が奉納したものであります。如常はこの絵の中で、嬰児殺しの悲惨な風習を戒めて、我が子を圧殺するなど極悪非道の所業だと母親を激しく責めています。 札所33番、延命山菊水寺 fudasho.com/?page_id=401 pic.twitter.com/1f8vydKtYQ

2023-12-01 20:22:30
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高木健一 @zzTyV6vdCnkuLnm

柏原白鬚神社境内にある浅間神社にも「子返しの図」という江戸時代末期と推定される絵馬があります。「子返しの図」は、表面上部に墨書で、 「足らぬとて 間引く心の 愚かさよ 世に子宝と 言うを知らすや」 と書かれています。絵馬には産まれたばかりの我が子を「子返し」する女性と、その心の姿が「鬼女」として一緒に描かれており、墨書からも「子返し」を戒める内容になっています。 絵馬「子返しの図」・「陰陽和合図」 city.sayama.saitama.jp/manabu/dentou/…

2023-12-01 20:24:59
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高木健一 @zzTyV6vdCnkuLnm

太平寺にも1825年に奉納された絵馬があります。絵馬には、鬼の形相をした母親が、両手で赤子の手を押さえつけ、右足で赤子の腹部を踏みつけている凄惨な様子が描かれています。年月を経て彩色はあせ、添え書きの墨書は判読し難いですが、間引きを戒める文章の一節に、「禽獣すら子を愛することを知る、いわんや人間をや」とあります。 間引き絵馬、那須烏山デジタル博物館 city.nasukarasuyama.lg.jp/page/page00173…

2023-12-01 20:26:30
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高木健一 @zzTyV6vdCnkuLnm

千葉県香取郡下総町中里の臨済宗瑞栄山楽満寺にある1840年の絵馬があり、その内容は、「産婦が自分の産んだ子どもを殺していて、その産婦の影は鬼の姿をしており、観音様が雲の上からこれを見て泣いているというもの」です。 堤台子育延命地蔵尊にも間引き絵馬があります。幅136センチ、高さ77センチの額に、間引きを戒める文章と、産まれたばかりのわが子を手にかける産婦と地蔵菩薩が子どもを天界へと導く様子が描かれており、銘には「文久3年(1863)愛山」とあります。 堤台子育延命地蔵尊の間引き絵馬 city.noda.chiba.jp/kurashi/kyoiku…

2023-12-01 20:27:53
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高木健一 @zzTyV6vdCnkuLnm

城興寺にある安政4年(1857)と記された間引き絵馬は、女人講中が、赤子の往生を願って、この絵馬を子安地蔵に奉納したものです。延生地蔵尊を信仰する婦人達が、延生地蔵尊にお参りにやってくる人達に対し、目につくところに掲げることによって、間引きを戒めようとしたものです。 芳賀町/間引きの絵馬 town.tochigi-haga.lg.jp/kurashi/bunka/…

2023-12-01 20:28:56
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高木健一 @zzTyV6vdCnkuLnm

さっき述べた延命山菊水寺の「子返しの絵図」についてですが、もう少し詳しく書いておきます。 その内容は「この女は顔は優しげなれど、我が子さえ殺すからにはまして他人の子を殺すことは何とも思うまい。さすれば、鬼のような心にて、顔つきに似合わぬ強欲な女なり。」というものです。

2023-12-01 20:34:45
高木健一 @zzTyV6vdCnkuLnm

徳満寺の本堂廊下にも、「間引絵馬」が掲げられています。絵馬には、母親が必死の形相で生まれたばかりの子供の口をふさいでいる様が描かれており、水害と天明の飢饉に襲われた農民の悲惨さを象徴しています。民俗学者柳田國男は13歳のとき(明治20年)長兄のいる布川に身を寄せ2年余を過ごしましたが、布川での様々な体験と、この「間引絵馬」、そして「利根川図志」にふれたことが、後に民俗学を志す原点になったと言われています。 以下の文は、柳田國男「故郷七十年」より   ……約二年間を過した利根川べりの生活を想起する時、私の印象に強く残っているいるのは、あの河畔に地蔵堂があり、誰が奉納したものか堂の正面右手に一枚の彩色された絵馬が掛けてあったことである。その図柄が、産褥の女が鉢巻を締めて生まれたばかりの嬰児を抑えつけているという悲惨なものであった。障子にその女の影絵が映り、それに角が生えている。その傍らに地蔵様が立って泣いているというその意味を、私は子ども心に理解し、寒いような心になったことを今も憶えている…… 間引き絵馬、利根町公式ホームページ town.tone.ibaraki.jp/page/page00015… 子返し絵馬、茨城県立歴史館 rekishikan.museum.ibk.ed.jp/06_jiten/rekis… 徳満寺、子返しの図(間引き絵馬)︰茨城県北相馬郡利根町 ameblo.jp/tora-hammill/e…

2023-12-01 20:36:37
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