盗人と番人

特にない。あ、無職です。
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帽子男 @alkali_acid

常に天狼星の方角を向いて開く窓から、暗天の微光がわずかに注いでいて、鉱物が育つのを助けているようだった。芯には脈打つような光があり、見つめていると酔ったような気分になった。 テフムは包帯で覆った手で長く伸びた結晶をもぎ取り、持ち帰った。色と形からして水煙管の煙の素らしかった。

2024-01-22 20:59:32
帽子男 @alkali_acid

「ねえ…なあ…テフム…あれなんだ…てか…ここって王の墓だよな?なんであんなもんがあって…あと王のなきがらはどこ?第一玄室にもなかったけど?」 盗人の問いかけに、番人は首を傾げ、それから頬ずりをした。 「なんだよ…」

2024-01-22 21:01:43
帽子男 @alkali_acid

ヒブラは初め、テフムが宝石や黄金を取り戻そうとして掴みかかってきたのかと思ったが、別にそういう訳でもなさそうだった。 今では男児が頼めば床に降ろしてくれるし、どこを覗いて回っても止めはしない。ただ興味深そうに後をついて来るだけだ。

2024-01-22 21:03:39
帽子男 @alkali_acid

「変なやつ。変なやつ」 つぶやきながら少年は、しばらくゆっくり進み、いきなり駆け出すと、角を曲がって落とし穴の一つに飛び込んだ。鋭い杭の間をすり抜けて、からくりの隙間を抜け、別の穴から這い出る。

2024-01-22 21:05:25
帽子男 @alkali_acid

地上の模造の墓で訓練を積んだおかげで、亡者と同じぐらい、いやもっと建物の作りに詳しくなっていた。 ヒブラは床に耳をあて、響いて来る足音を確かめる。いつもは巨躯に似合わぬ静けさで動くテフムだが、今は興奮したようすでどんしんどしんと走っているのが解る。隠れんぼの鬼のつもりかも。

2024-01-22 21:08:15
帽子男 @alkali_acid

「俺は盗人で、お前は番人だからな」 少年はうまく巨女を撒いて、第八玄室へ向かった。そこには過去に天に昇るはめになった歴代の先祖がこしらえた籠がある。うまく使えば大気に再び突き入って大地に戻れる。

2024-01-22 21:10:12
帽子男 @alkali_acid

「…お前は番人だし…ほかに亡者の仲間がいっぱいるし…俺は先祖と約束したんだ…だから…」 ぶつぶつ言いながら、懐から黄金の首飾りを取り出す。 「…こんなもん」 だが盗人の仕事は果たさねば。天の墓から宝を奪ってみせるのだ。

2024-01-22 21:11:51
帽子男 @alkali_acid

やっと第八玄室に辿り着くと、がに股にしゃがんだテフムが水煙管を吹かして待っていた。 「お、おい…」 のしのしとヒブラに近づき、吸い口を差し出す。 「なんでここが…」

2024-01-22 21:12:51
帽子男 @alkali_acid

少年は、あぐらを掻いた巨女の膝の上でむすっとしながら煙管を吸い、煌めく煙を鼻と口から吐いた。 「変な味…いっつも…」 それから事情を把握した。何のことはなく、番人は前から歴代の盗人がこしらえようとしていた脱出の籠について知っていたのだ。

2024-01-22 21:14:59
帽子男 @alkali_acid

いや作るのを手伝ってもいた。籠の骨組みを折り曲げたり、外板をたわめたり、ありとあらゆる力仕事を担ったのだ。巌じみた指と掌を動かし、どんな工人より精妙な働きぶりで。 構造や材質や重心や、大地に降りるまでの軌道について、ヒブラより詳しくさえあった。

2024-01-22 21:16:49
帽子男 @alkali_acid

経帷子をばらして莎草紙がわりにし、怪しげな薬液を墨がわりに引いた先祖の図面を、テフムは包帯で覆った太い指で示したり、腕を振り回したりして、言葉はなくとも雄弁に説明さえした。 「なあ…盗人の助手なんかしていいの…俺、宝を墓から奪うんだぞ…」 助手というかもう先生だ。

2024-01-22 21:20:54
帽子男 @alkali_acid

ただし、テフムは気まぐれなところがあった。ものすごく熱心に指南し手伝うかと思えば、急に飽きて籠の中で丸くなってしまう。 大気に再び突き入るための籠はどうやら以前地上から天に昇ったもののひとつを、捨てず墓所に運び込み組み立て直したらしく、人獅子の巨躯も潜り込めるだけの広さがあった。

2024-01-22 21:23:53
帽子男 @alkali_acid

とはいえ、いったん番人が昼寝を始めると、めちゃくちゃに狭くなり、盗人は作業などできなくなった。 「ねえ!ちょっと!寝るなら外で寝ろよ!それにお前は死んでるんだから寝なくてもうぷ!」 巨きな臀がヒブラの顔面を塞ぎ、ごつい手が矮躯を丸ごと捕えて胸毬の谷間に運ぶ。 「これやめろ!」

2024-01-22 21:25:45
帽子男 @alkali_acid

もちろんやめなかった。 少年はどうしていつも人獅子に逆らえないのかと腹立たしくなったが、きっと大きさも力も違うせいだと無理やり納得するようにした。

2024-01-22 21:28:02
帽子男 @alkali_acid

テフムの手助けと邪魔のせいで、脱出の準備は急に進んだり滞ったりと一定しなかった。とはいえヒブラは辛抱強く先祖の盗人の残した図面や書置きを読み解いた。 ていねいにすべて一族の符丁で記してあったがあいにくと死せる番人はすべて諳んじているようだった。

2024-01-22 21:30:45
帽子男 @alkali_acid

人獅子は言葉を発さないが、しかしふるまいの端々から、男児より深く天文や算術を解しているのが察せられた。決して単なる想像ではない。 不思議なもので、一緒にいるうちに、向こうが声を出さずともある程度の意志の疎通さえできるようになってきたのだ。

2024-01-22 21:33:47
帽子男 @alkali_acid

「今日は邪魔すんなってば…砂浴び?昨日したからいい…一緒に?いい!恥ずかしいってば!やめろ!脱がない!お前も脱ぐなよ!だいたいあのきらきらした砂ってお前の関節につまらないの?そうなんだ…変なの…う…わかったよ…」

2024-01-22 21:35:42
帽子男 @alkali_acid

というようにヒブラだけが喋っていても、会話が成り立つのだ。テフムは身振りと、特に雄弁な尻尾の動きで考えを伝える。 「え…今度は何だよ…王に捧げる楽と踊り…?俺は王はきらいだ!どの王も!やだ!…お前が踊るって…別に…見たくない…う…ちょっとだけだぞ…」

2024-01-22 21:39:22
帽子男 @alkali_acid

墓所の第十七玄室は、ひときわ広く、多くの亡者が集まれた。三々五々、持ち寄った水煙管の周りに集まり、煌めく煙をたなびかせながら、宴の始まりを待つ。 楽人の骸が古弓を弾き、あるいは喇叭を鳴らすと、 中央にしゃがんだ人獅子が尾を振って水煙管を咥え、口蓋の裂け目からきらめく煙を吐く。

2024-01-22 21:48:12
帽子男 @alkali_acid

両腕を捻じ曲げ、巌にも似た掌を開き、翼のように羽搏かせ、巨木の幹のような太腿の命なき筋肉を躍動させながら、豊穣の印たる胸毬と双臀を弾ませて、玄室そのものを揺さぶるような舞踏を始める。 猫のようにしなやかに歩くこともできるテフムだが、踊る時はむしろ重さを強調する。

2024-01-22 21:52:38
帽子男 @alkali_acid

まるでここが天の上ではなく、地の上にあるかのように。 ヒブラは例の如くぼうっと、恐るべき巨躯に魅入っていたが、向こうがまた差し招くのに気付いて耳を赤らめた。 「王のためになんか踊るもんか!」

2024-01-22 21:55:00
帽子男 @alkali_acid

だがもう一度番人が差し招くと、小さな盗人はしぶしぶ立ち上がって、前に出た。 「王のためじゃないからな!」 巨女が尻尾を振ると、少年はとんぼ返りしてさかさまになりながらくるくると回った。

2024-01-22 21:58:59
帽子男 @alkali_acid

盗人の一族が、戦利品を寿いで焚火のそばで踊る古い踊りだ。墓所の旋回が生み出す弱い重みのもっとでは、地上とは勝手が違ったが、それでもヒブラのほっそりした四肢は鋭敏で軽捷だった。

2024-01-22 22:00:50
帽子男 @alkali_acid

命なき楽人の胡弓と喇叭を伴奏に、少年と巨女は玄室にあまたの影を投げかけて、互いを巡り、跳ね、廻り、弾んで、入れ替わり、触れるか触れぬかの距離をすり抜け、省みては生者と死者の眼差しを交わした。

2024-01-22 22:26:55
帽子男 @alkali_acid

テフムがかがんで腕をさしのべると、ヒブラは駆け上り、広い肩に手を置いて宙返りするともう一方の手を差し出して耳を模した髪飾りを掴み、逆さのまま制止した。 「どうだ!」 男児が得意げに叫ぶと巨女は大きな掌で小さな相方を鋏み取り、いつものように胸の谷間に埋めさせた。 「もが!?」

2024-01-22 22:30:03
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