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『看聞日記』永享八年正月十三日 十三日(略)予、去る十日の夜、夢想に六条殿とおぼしき所に参る。両社の御前のやうなるきた階の所より御房四五十許りにやせやせとしたる法師、付衣を着して出で給ふ。予、本願法皇にてまします心ちして恐怖して居たるに彼の御房、長押の下に蹲踞有り。予居直りて御礼
2024-03-08 21:57:22申すに仰せられて曰はく「今、此くのごとき御運開き給は、併しながら吾が擁護に依るなり。其をさ様にも思し食されざる間、本意に背く由、勅諚有り」と。予、仰天し、更々懈怠を存ぜざる儀、冥慮に憑み奉る由、種々陳謝申す。御房、元のごとく御殿の内に入り給ふと見て夢覚め了んぬ。夢想を奇得する
2024-03-08 21:57:22なり。誠に仰せのごとく本願法皇の加護非ざれば、一流の再興、運を開くべき者か。弥いよ憑むべし、恐るべし。元より立願の旨有る間、両者の神供の御影・御供等、明盛法橋に仰せ付け進らす。御陪膳の為、源宰相参る。霊夢の間、之を記す。
2024-03-08 21:57:23『明月記』安貞元年九月二十七日 廿七日。陽景陰晴。昼大風。(中略)去夜、夢に小野右府来り坐し給ふ。〈六十許りの老者。肥に非ず、痩に非ず。〈白髪に非ず。〉すこし長丸みて鬚又、少なからず、多からず。きよけなる形。冠なえたる直衣なり。〉長押の上に坐す。予、其の下に坐す。
2024-03-02 03:19:09予云はく「偏に御家人の儀を存ず。疎かに思し食すべからず」と。気色甚はだ快然たり。予恐れ乍ら重ねて申すに「理を枉げ御束帯にて渡御候ふか。不審の事等、窺ひ申さんと欲ふ」と。許容の気有り。更衣の間、装束未だ出来せず。〈事の体、更衣以後、朝の比か。〉異様の旧き装束、取り寄せ、
2024-03-02 04:02:15之を着すべしとて立ち去られ訖んぬ。此の間、心中に之を思ふに、内弁の体のごとし。殊勝の賢者の説、面して之を見て問ひ申すべし。限り無く興有るべき事なりと之を思ふ間、夢覚め訖んぬ。予が本性、古人を慕ふ心、極めて深し。近日、殊に日夜、彼の記〈長和の比〉を握翫す。此の執心に依て
2024-03-02 04:02:16藤原定家の夢に小野宮右府、藤原実資が現れた話 定家によれば、夢のなかの実資の様子は「60歳ほどの老人で、中肉中背。白髪はなく、すこし長丸みて(?)、髭はすくなくも多くもない。綺麗なようすで冠・萎えた直衣姿」だったらしい twitter.com/usedtobe_sth/s…
2024-03-02 04:09:21夢の中で藤原定家と藤原実資とは会話を交わしたらしい 定家は「ひとえにあなたの御家人であると思っております。私を粗略になさらないでください」というと、実資は快い様子であった。そこで定家はかさねて「理をまげて束帯でいらっしゃったのでしょうか。不審の事などをお伺いしようと思います」
2024-03-02 05:12:38というと、実資は「衣替えなので装束が未だありませんでした。そこで普段のようではない、古い装束を取り寄せて着ようと思ったのです」といって立ち去ったらしい 定家は自分で「古人をしたう」心は深く、最近は朝夕に『小右記』の長和のころを読んでいたので、そのために夢に現れたのだろうと分析する
2024-03-02 05:12:39『花園天皇宸記』元亨四年十一月三日 三日。丙戌。晴る。卯の剋許り夢想す。予、簾中に在り。時に白昼なり。簾外、束帯を着する俗人、両三有り。人々曰はく「今時に昌泰の比なり」と云々。予心中に思すに然れば簾の外の人の内、北野天神、坐しまさしめ給ふべし。御体、拝見せんと欲ふ。
2024-03-02 01:32:57仍て重ねて簾の外を見る処、一人の容貌奇猗の俗有り。眼睛の光、輝きて人を射す。其の鬚、頗る赤し。簾の隙より其の眼精、透徹たり。眼を合はする由、之を見て覚め了んぬ。瑞夢たるかの間、之を記す。
2024-03-02 01:32:57『花園天皇宸記』同年同月二十六日 廿六日。己酉。飛雪散乱す。夜に入り、地に積るに三寸許り。慈什法印、天神の御影を進む。是れ先日の夢想、院の御方に語り申す処、先年、彼の御影、御拝見有る処、今、夢の中に拝する所、符合す。奇異の由、仰せ有り。仍て尋ね召す所なり。
2024-03-02 01:42:38『花園天皇宸記』同年十一月二十八日 廿八日。辛亥。晴る。家高、聖廟の御影を持参す。即ち本主の聖相ひ具し参る所なり。予、持仏堂に於いて拝見す。夢想と符合し、信心を催す。書き写さしむべき由、之を仰す。本主の聖、手を放すべからざる由、之を申す間、後日、画工を召す由、
2024-03-02 02:19:22『花園天皇宸記』同年十二月十二日 十二日。甲戌(正しくは子)。画工幸増を召し、北野天神の御影を写さしむ。此の本、粉河の聖〈名を知らず〉の所持の本なり。古筆たるに依て之を写すなり。持仏堂の内に於いて之を写さしむ。終日、之を見る。
2024-03-02 02:28:41『小右記』正暦四年閏十月六日 六日、庚寅、詣内府、対面之次被命云、一昨夜夢菅丞相有可贈太政大臣之夢、〈昨〉一昨物忌、仍今旦詣関白申此由、早可奉贈太政大臣者、余思慮、時平左大臣贈太政大臣、今欲同彼人歟、以此意談内府、深有被感之気、即参皇后宮御読経、式部大甫参入、
2024-03-01 06:40:24六日。庚寅。内府に詣づ。対面の次で、命ぜられて云はく「一昨夜、菅丞相を夢み、太政大臣を贈るべき夢有り。〈昨・〉一昨物忌。仍て今旦、関白に詣で此の由を申す。早く太政大臣を贈り奉るべし」てへり。余、思慮するに、時平左大臣に太政大臣を贈る。今、彼の人に同じうせんと欲ふか。
2024-03-01 06:52:49此の意を以て内府に談らふ。深く感ぜらるる気有り。即ち皇后宮の御読経に参る。式部大輔参入す。輔正、此の夢告を語りて云はく「太はだ恐怖すべし」といふ。又余の思ひ得る事を語る。感嘆極まり無し。詫宣の趣懇ろに太相国に昇らんと欲ふ。今其の云(ヵ)を憶ふに、余の案ずるがごときなり。
2024-03-01 06:57:25