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デカルトいじめてみた。そしたらテツガクになった。
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L_O_Nihilum
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そうしたら、やっぱり「我」に還らざるを得なくない? じゃためしに一人も学会員のいない哲学学会を考えてみてよ?人類の滅亡した地球でもいいや。そこで、世界について考えているのはだあれ?神様?ごめん神って世界の外部、思考の外だから不正解だよ。え?正解?正解は「いません」。
2011-12-30 01:18:07![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
あたりまえ臭くて笑っちゃいますw。考える存在がなにもいない世の中で誰が考えてるのって(例えば神が問うたとしても)だあれも答えてくれません。誰もいませんから(笑)で、じゃあ脱構築はそこでも起ってるの、っていう話です。
2011-12-30 01:19:14![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
脱構築は形而上学をエポケーする方法の一つ。つまりそういう体系なしに脱構築できない…まてよ、そも「脱構築できるOrできない」ってここ二項対立ふくんでら…みゃ? ⇒デカルト「俺が帰ってきてやったで!ほれみろー!」
2011-12-30 01:20:26![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
自然環境、宇宙しかなかったら宇宙はその決められた原理の中で勝手に動いているだけなんです。そこに脱構築もくそこーちくもぴーちくぱーちくも起りません。自然現象だけです。じゃ脱構築起こしてるのは誰?…デカルトの「我」に、やっぱ返ってこない?
2011-12-30 01:21:34![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
つまり、こうなる。「我脱構築する、故に我在り」「我エポケる、故に我在り」「我アホになる、故に我在り」「我、我無しと思う 思う故に我在り」(この故っていうのは⇔なんで逆然り)…デカルト「ほら言ったじゃんワロタ。」
2011-12-30 01:23:26![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
デカルトの場合、自分が感覚している世界についてそういう語りをしてたからよかった。つまり、あのデカルトの「省察」ってのはある意味哲学論文ではまったくなくて、どっちかというと生活の日記に近いとみてあげるべき。すると、どうしても切り離せない思考の主体、という現実に帰る。
2011-12-30 01:24:39![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
ウィトさんがそれを知れば「デカルトはんやっぱ偉いわ。テツガクなんかしておらヘン。ちゃんと哲学しとる。自分の生きてる世界についての言葉をつかっとる。ハシゴ忘れちょる。こーいうのを哲学っちゅーんやないかい」て思うだろう。
2011-12-30 01:26:06![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
つまり、あの「我思う循環論砲」( #法を砲に変えて一番強そうな法を考えたやつが優勝 になぞらえてみた)によるデカルトいじめは、現代哲学に至るまでもいろいろと大失敗している、ともいえるのだ。
2011-12-30 01:27:28![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
さて、僕流の風呂に入りながらやってたデカルトいじめ・・・というかツッコミをここでやってみる。デカルトの省察って、思えばあれ演繹法か?デカルトって大陸合理論の人とか言われてるが、あれ実は帰納法じゃないの?
2011-12-30 01:28:24![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
もう簡単なことなんですが、一応確認しとくと、「鴉A見たら黒かったよー」「Bも黒いよー」「Cもやっぱ黒かったー」「じゃあ鴉ってやっぱし黒いもんやわ、カーカー」っていう論法のことね。よーするに「今までそうだったんだからそれはそういうモンなんだ」っていう考え方ね。
2011-12-30 01:29:49![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
デカルトの方法的懐疑:「椅子に座ってるか?疑わしい⇒偽。歩いてるか俺?疑わしい。⇒偽。じゃあ暖炉の火って燃えてる?疑わしい。温かい感覚も疑わしい⇒偽。1+1は2?疑わしい。⇒偽。三角形は3つの直線辺?疑わしい。⇒偽。etcetc.」
2011-12-30 01:31:49![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
で、そのゆいいつのれいがいとして「疑ってる俺は疑ってる?⇒疑わしい?でも疑ってるって俺の疑いじゃね?⇒疑わしくない!!」⇒『そうだ!疑ってる”こいつ”が何でおれか?あたりめーだ、オレなきゃ疑えネェ!!こいつ(疑うのは俺であるという命題)だけは例外じゃないか!』
2011-12-30 01:33:24![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
…帰納法ですよねこれ(笑) 「事柄Aは疑わしい故偽。Bも同じく偽。しかるに、C,D,E,F,Gも偽。しかしHは疑わしくない。Hこそは偽ではない。⇒Hは真。」から、「Hが真なんだからHから成り立つすべてのことは真」ってのは正しくないか?
2011-12-30 01:34:46![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
そうすれば、より近道でデカルトの正しさがわかってくる。彼は、より直感、ヒューリスティックな勘も含めて、自分なしには疑えないという事を帰納・そして背理法的に肯定していた。結構イギリス寄りにものを考えてた?って感じがする。引っ越し族だから案外そうだよ、きっと。
2011-12-30 01:35:58![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
ねえ悉若無、いいかげんデカルトいじめろよ、っていう人。いや、いじめてますよ?演繹法のやり方~、なんてプロモ打ってるデカルトを「あんたは帰納主義」って突っ込んでるんですから。でも、まぁおかげでデカルトがより「きれいなデカルト」になりましたわな。って、汚いデカルトってどんなだ。
2011-12-30 01:37:26![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
(…いるな。超人形フェチなデカルト。動物=機械とか言っちゃうデカルト。うん、さすがデカルトきたない。しかもいまどき人間が理性失っちゃって動物化したポストモダンだから笑い事じゃない。言う通り。デカルト、あんた怖い。何者。ごめんアンタいじめるんじゃなかった。wwww)
2011-12-30 01:38:35![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
「俺だ!」の想いのパワーは「穴」やな。今僕の頭に梅原的「穴」が空いとる。たぶん。デカルトさんもかっこよく見えてきた。強度のある身体で(メルロー的な意味で)。で、逃走線。ドゥルたん読もうw
2011-12-30 01:45:04![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
テクストの上でもコンテクストの上でもアーキテクチャでもない感動⇒「穴」「行間」「幻想」 東方のスキマ 天然の幻想
2011-12-30 01:47:02![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@L_O_Nihilum そこで回帰してくるのが固定的なひとりの「我」かどうかは、それでもやっぱり微妙なんとちがうかなぁとおもったりするのです。デカルトさんはほんとにさわりしかしらないので、思うだけですが、ちょっと頭の隅に置いておきます。おもしろく読ませて頂きました。
2011-12-30 01:59:14![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@_Haruka_K_ こちらこそ、たくさんふぁぼってくださり有難うございます! まぁかなりあの「我」もあいまいなものですから、だから疑わしいのですよね。でも、「我いるのか?」と疑うのもまた我各人ですから…っていうループが、また面白いのですよね。
2011-12-30 02:36:22