東北地方の植生とシカ害をめぐって(2012年4月)
もちろん植林が盛んに行われた時代には、地域的な生物種数の低下はものすごい速度で進んだわけだ。それこそシカ害を凌ぐかも。
2012-04-11 13:42:51たぶん適正な密度はなくてアダプティブな対応(増えたら捕り、減ったらほうっておく)があるだけなのかもしれません。@mahoroszk 植生に与える影響がマイルドな状態にとどまるような、「適正なシカの密度」というものはありうるのだろうか?
2012-04-11 14:06:25近代の狩猟でシカの個体群密度を大きく低下させたのは、岩手だけなんでしょうか? 近代の個体群サイズと以後の増殖率が同じだとして、西日本と東北の違いを説明するとすれば、冬の死亡率の違いと、人工林比率の違いによる里山への集中度合いの違いではないかと。@mahoroszk
2012-04-11 13:55:35シカ食害の酷い地域は、人工林や針葉樹など餌場として機能しない単層林の比率が高いんじゃないかと思って、資料をひっくり返してみたわけです。@mahoroszk
2012-04-11 13:57:52希少種や生物多様性の高いパッチが残っていても、その周囲が餌資源の無い単相林だと、より食害の影響を受けやすい=多様性の低下を加速する、てなイメージなのです。キッチリ示すには、シカの行動押さえなあきませんけど。@mahoroszk
2012-04-11 14:05:55@naofuming いや、だから。私の疑問点はそこではないと申し上げているでしょう。そして、そもそも答えの出ない問いであることも分かっていて、誰かが答えてくれるとも思っていません。
2012-04-11 14:13:52@moriokahiguma 確かに。そういう風に考えると、例えば「この地域は環境保全政策上(あるいは農業政策上)、特に重要な地域だから、シカ捕獲圧を特に高めよう」というような、具体的な策に結びつきそうです。
2012-04-11 14:20:32ちなみに(私の疑問とは違うけど)「どうしてシカがこんなに急に増えたのか」は、日本各地のシカ個体群生態の研究者が考えているけど、答えにくい問いなんですよ。捕食者・人工林・死亡率、いろんな仮説があるけど、タイムラグがあったり、上手くデータと合わなかったり。簡単にはいかない。
2012-04-11 14:37:23その中でも狩猟圧は、統計で正確に把握しにくいだけに、ブラックボックス的な仮説として残る。shin先生が書いておられたみたいに。四国のシカ本では、その辺りの推測がわりとはっきりと書いてあった。
2012-04-11 14:40:47@layujie 自分のツイートの中で「四国のシカ本」と書いたのは、依光良三(編)『シカと日本の森林』(築地書館、2011)でした。山村集落の衰退(人口減少)によって狩猟圧が低下したことが、四国山地でのシカ増加の最大の要因であろうと書かれています。
2012-04-15 22:20:56 ※文献註を追補いただいた。依光良三 編『シカと日本の森林』築地書館(2011年)。
→▼シカと日本の森林|築地書館 http://www.tsukiji-shokan.co.jp/mokuroku/ISBN978-4-8067-1416-3.html
▽内容紹介: 「シカの食害はかつてないほど進行している。シカの食害の増加によって、森林生態系の保全、土壌保全など、自然環境全体のバランスを維持することが難しくなっている。本書は四国山地の事例を中心に、シカの食害被害の実態、ヨーロッパと日本のシカ管理の仕組みを解説。これからあるべきシカとの共生、自然環境保護運動を考える。」
宮城は金華山付近だけだったのが内陸まで、いなかった山形県内もいまやいるとか、いったい(?_?)(?_?) @mahoroszk: ちなみに(私の疑問とは違うけど)「どうしてシカがこんなに急に増えたのか」は、
2012-04-11 22:04:22@magpie_sendai 困ったことですよね。昔のように数が増えて、昔の分布に戻りつつあるとも言えますが。。。薄く広がっているうちはまだ良いのですが、局地的に高密度になると、第二の金華山・五葉山も。ヤバイです。
2012-04-11 22:41:20昔って、どれぐらい昔だと東北も全域にシカいたんでしょうかね @mahoroszk: @magpie_sendai 困ったことですよね。昔のように数が増えて、昔の分布に戻りつつあるとも言えますが。。。
2012-04-12 20:54:10全域で遺跡発掘がないので正確なことは言いにくいのですが、岩手の遠野市の中・近世の遺跡でもシカはありますし、宮城の仙台城二の丸第5地点の近世の遺構からも出ています。ただしニワトリ6点に対しシカ1点しか出ていません。つづく @magpie_sendai @mahoroszk
2012-04-12 21:16:49仙台城二の丸第5地点で出土している鳥類や哺乳類は寡少なので、シカ1点の意味を探るのは困難です。一方、近世でのシカによる食害や巻狩での捕獲量は文書でも記録があるので、そちらから責める手があると思います。仙台藩のものは以前調べたので何処かにコピーがあるかもしれませんが・・・。
2012-04-12 21:20:03南部藩も領内でみられたり捕獲された動物の記録が充実していて、遠藤公男『南部藩御狩り日記』は、我々動物考古学をやっている者からして、あの当時「目からウロコ」の図書でした。あれがきっかけで活字化された仙台藩の記録類を我々は見るようになりました。
2012-04-12 21:29:38 ※タイトルに誤植がある。正しくは『盛岡藩御狩り日記』遠藤公男/講談社(1994年)。
→▼盛岡藩御狩り日記 : 江戸時代の野生動物誌|Webcat Plus http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/2407739.html
あ、そんな昔だったですか、昭和初期ぐらいにはいたのかと勘違いしてました @PapaTomy: 全域で遺跡発掘がないので正確なことは言いにくいのですが、岩手の遠野市の中・近世の遺跡でもシカはありますし、 @magpie_sendai @mahoroszk
2012-04-12 21:44:19すいません!こちらのタイムスケールが大きすぎました!! 山内貴義他2007「岩手県におけるニホンジカの保護管理の現状と課題」『哺乳類科学』47(1)p.39では・・・つづく @magpie_sendai @mahoroszk
2012-04-12 21:56:47「明治期末から大正にかけて過度の狩猟圧がかかり、個体数が急激に減少して東北地方のシカ分布は五葉山周辺地域にまで狭められた。・・・1950年頃から狩猟による捕獲数も徐々に増え始めた。」と、あります。
2012-04-12 21:57:11 ※論文「岩手県におけるニホンジカの保護管理の現状と課題」(山内貴義、工藤雅志、高槻成紀。「哺乳類科学」47 (1), 2007)はJ-STAGEで全文PDFを参照できる。
→▼CiNii|岩手県におけるニホンジカの保護管理の現状と課題 http://ci.nii.ac.jp/naid/10019587265
→▼MAMMALIANSCIENCE : Vol.47(2007), No.1 pp.39-44|J-STAGE https://www.jstage.jst.go.jp/article/mammalianscience/47/1/47_1_39/_article/-char/ja/
東北地方の太平洋側では明治~大正までは居たようです。日本海側では江戸までは確実に居たけど、明治にはもう居なかったかも。「昔」と言っても、たったの150年前ですよ~。 @PapaTomy @magpie_sendai
2012-04-12 23:03:36