ETV特集「誰に託す 医のバトン ~岩手・高田病院再建への一年~」書き起こし

4月22日夜に放送されたものを文字起こししています。
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とし @toshihiro36

通山:やっぱり私たちの世代がどんどん動いて、働きかけていかないとこの状況は・・・。私一人が残っても…

2012-04-23 13:22:09
とし @toshihiro36

大澤:まず一人が残ることが大事だから。そういう気持ちがあるんなら、1年と言わず2~3年残って、こういう医者がいるんだということを…

2012-04-23 13:24:36
とし @toshihiro36

<ナレーション> 高田病院で地域を見守る大切さを感じた医師たち。そうはいっても自分自身が僻地医療に人生を捧げることには、二の足を踏んでしまいます。12月28日、入院病棟の完成があとひと月後に迫っていました。入院患者の受け入れが始まれば、医師の負担がさらに増えることになります。

2012-04-23 13:28:22
とし @toshihiro36

<ナレーション> この年最後の診療を終え、1年を振り返りました。

2012-04-23 13:30:18
とし @toshihiro36

石木:希望に満ちていた(平成)22年の暮れだったんじゃないかと思うんですけれども、その気持ちをずうっと続けていってて…3月11日にひっくり返ってしまいましたが。みなさんの協力のおかげでこれだけ立派な仮設も建ちましたし、うしろ(入院病棟)もだいぶ概要ができてきていますので。

2012-04-23 13:34:44
とし @toshihiro36

石木:ちょっと規模が小さくなりますけれども、同じような格好で病院を運営できるんじゃないかなと思います。よろしくお願いします。本当に1年間ご苦労様でした。

2012-04-23 13:38:33
とし @toshihiro36

<ナレーション> 震災後の高田病院を支えてきた大澤さんが、この日病院を去ります。顔見知りになった多くの患者から「帰らないで」と頼まれました。大澤さんも、できればここで力になりたいと思っています。しかし、帰りを待つ大阪の病院はもう限界にきていました。

2012-04-23 13:42:54
とし @toshihiro36

<ナレーション> 心残りは自分が去ったあと、この町に常勤の整形外科医がいなくなってしまうことです。今の医療の仕組みのなか、大澤さんの力ではどうすることもできません。震災で崩壊した医療の再生に尽くした半年間。医師としてかけがいのない宝物になりました。

2012-04-23 13:47:48
とし @toshihiro36

<ナレーション> 陸前高田に新しい年がめぐってきました。病院再生の一里塚、仮設の入院病棟が完成しました。震災前より30床少ない、41床での再出発です。

2012-04-23 13:52:53
とし @toshihiro36

看護師長:私たちも本来の入院機能ができることによって、本来の仕事ができるのかなってことで…ちょっと楽しみもあります。

2012-04-23 13:55:13
とし @toshihiro36

<ナレーション> 本当に入院病棟が取り戻せるとは、震災直後は誰も想像できませんでした。 入院病棟の2階に院長室もできました。引越しの荷ほどき中に見つけたあるノートを、石木院長は見せてくれました。震災直後からつけ始めた業務日誌です。

2012-04-23 13:59:29
とし @toshihiro36

石木:これ見るとすごいなって思うのは、もう14日15日に再建のための動きをしてて…

2012-04-23 14:03:30
とし @toshihiro36

<ナレーション> 日々の患者を診ながら始めた病院再建。震災前、理想の形に近づいていた地域医療を取り戻したいと、わき目もふらず突き進んできたのです。津波で同僚9人を失うという大惨事を乗り越え、走り続けてきた看護師たち。震災直後に誓い合った病院の再建を成し遂げ、喜びがあふれます。

2012-04-23 14:09:58
とし @toshihiro36

<ナレーション> 2月、愛子さんたちは仮設住宅の訪問診療に力を入れていました。当初は慣れない医療に戸惑うこともあった愛子さんですが、今では14人の患者をうけもつ訪問診療の中心となりました。患者の家族も信頼を寄せています。この患者は避難生活で歩けなくなりました。

2012-04-23 14:14:46
とし @toshihiro36

<ナレーション> 仮設住宅での生活は、さまざまな病気を引き起こす原因となっています。この時期増えていたのが、厳しい寒さを防ぐための湯たんぽによる低温やけど。愛子さんは暮らしぶりを見ながら治療に役立てていきます。消化器内科の専門医を目指していた愛子さん。

2012-04-23 14:19:08
とし @toshihiro36

<ナレーション> 低温やけどを治療することなど、高田病院に来るまで思ってもみないことでした。傷口を丁寧に洗い流します。病気を診るのではなく患者を丸ごと診る医療に、愛子さんはやりがいを感じ始めていました。

2012-04-23 14:23:25
とし @toshihiro36

<ナレーション> 津波で亡くなった妻・タツコさんの一周忌の法要を終えたあと、父と娘で酒を酌み交わすことになりました。小さいお猪口の酒はタツコさんの遺影に供えます。この1年、忙しさのあまり愛子さんとゆっくり話し合う機会が持てなかった石木さん。

2012-04-23 14:28:26
とし @toshihiro36

<ナレーション> 妻のタツコさんと交わしていた約束を、この日初めて打ち明けました。

2012-04-23 14:30:09
とし @toshihiro36

石木:定年退職したら、もう後はなんでもいいわけじゃないですか。娘の転勤にずっとついていって…そうそう行くところについていって、そして俺はバイトで食いつないで(妻が)子育てすれば、娘がちゃんと仕事を続けられるんじゃないかという話をしてたの。

2012-04-23 14:35:19
とし @toshihiro36

石木:そういう意味では、亡くなる時は娘に「ごめん」と言っていたかもしれない。そういう思いが結構頭の中でふくらんでたり…

2012-04-23 14:38:11
とし @toshihiro36

<ナレーション> 愛子さんはあと1年父のそばで地域医療に取り組むことに決めました。

2012-04-23 14:41:02
とし @toshihiro36

愛子さん:ここにいることで、元にいた病院では絶対やることができなかった…それは知識・技術だけじゃなくて、それこそ人間性の問題であったり。それを医師として若手のうちに学べているというのは、すごい貴重なことだと思いますね。

2012-04-23 14:44:40
とし @toshihiro36

石木:逆に今の経験はとてもすることができない経験だから、1~2年遅れることにあまり不安をもたなくていいんじゃないかなと思う。だって医者としてもっと深くいろんなことを感じている2年間があるわけでしょ。

2012-04-23 14:48:44
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