反‐差別論:“差別”は実在しない!
「女性の社会進出」って、概念自体が成立しない。「ポルノは女性差別だ」とか言い出すトンデモな人も居るし。既存の差別論の99%はトンデモ成分からできている。
2010-06-07 20:43:29@Taroupho ポルノを見て喜んでいるのは案外女性の方ですよ。だって無修正ポルノでは男性生殖器の方がずっと目立ってるからね。女性進出なんて、最早日本は女性の生理的強さの方が男性権威より勝ってる。男性なんて皆精神的インポ。寧ろ差別のない世界の典型がポルノで教育委員会が差別です。
2010-06-07 20:49:49「女性の社会進出」に賛成とか反対とか言ってる時点で、すでに「女性の社会進出」などという意味不明な概念が成立することは認めているわけだ。その時点で、賛成だろうが反対だろうが、トンデモAとトンデモBとの会話だな。
2010-06-07 20:52:21@Taroupho そのトンデモな発想の人にもわかるように、もう少し詳しくお願いします♪ (「色々社会問題があるんでしょ」「あー女性差別とかねー(by 男)」という、ある意味すごい会話を以前したので。)
2010-06-07 20:53:17.@olivlove 「ポルノは女性差別だ」という発言には呆気に取られました。「ポルノは差別だ」と言うならまだしも、「女性」差別だ、って何なのか。「男性」差別じゃなくて「女性」差別だと取り立てて言う理由がどこにあるのか。差別=女性差別という等式は絶対崩れないのです。
2010-06-07 20:57:36何という会話。これはひどいw RT @k_fukuzawa @Taroupho そのトンデモな発想の人にもわかるように、もう少し詳しくお願いします♪ (「色々社会問題があるんでしょ」「あー女性差別とかねー(by 男)」という、ある意味すごい会話を以前したので。)
2010-06-07 21:01:13@Taroupho 女性差別と言う人達は実は女性を用意周到に自己内権威に従属させ管理したいんです。女性の人権とか能力やヒューマンな可能性を無視した似非正義論者ですよ。そういう連中はゲイやヘテロセクシュアルにも同様の態度を取る。それは形を変えた差別です。差別撤廃という名のね。同感!
2010-06-07 21:05:19.@k_fukuzawa いろいろ言いたいことはあるのですけどねぇー。まず端的に言って、「性差別」と「女性の社会進出」は違う概念ですよね。「性差別」なら、少なくとも制度的差別を撤廃せよという主張は有意味であり有用ですが……。
2010-06-07 21:08:57大人とは巧妙な子供性の隠蔽賛同者の群れであり、その本質は子供以上に性質の悪い大人性という幼児性である。大人社会とは只単に皆本来子供である事を隠蔽する演技的同意に基づいた共同体である。その内部での差別意識といじめ体質は熾烈を極める。一度として人間は理性的存在者であった試しはない。
2010-06-07 21:10:10.@k_fukuzawa 「女性の社会進出」の場合、まず「家庭」は「社会」じゃない、と考えてる時点で意味不明です。女性就業率の話をしているのだとしても、そもそも性で分けて就業率を議論している時点で性差別的ですね。恣意的に切り取った事実から「差別心」なるものを仮定したいだけです。
2010-06-07 21:17:35.@k_fukuzawa どんな軸で分けて比較しても有意差が出ない社会なんて、完全な等質社会であり、もはや人間の社会ではないと思います。ばらつきは多様性です。それを、わざわざ性という軸だけで切り出してきて、ありもしない「差別心」を立てるやりかたこそ、性差別的だと思いますね。
2010-06-07 21:23:31一般的に言って、「性差別」を「女性差別/男性差別」だとか、「国籍差別」を「在日差別/在日特権」だとかに分割できると考えるのがおかしいわけで。「差別」は「差別者/被差別者」の組ではなくて、「集団A/集団B」の組に過ぎないのに。
2010-06-07 21:29:10大人社会でのいじめとは大人の本質が幼児性にある事を察知して暴露しようとする本質直観的裁定者に対し躍起になってそれまでの隠蔽を保持しようとする者による策動に過ぎない。「お前が本当の事を言ってしまったら、これまでの俺達の詐欺的努力が水の泡じゃないか」という主張がある。大人とは弱虫だ。
2010-06-07 21:37:01巷間の静的な逆差別論は、差別から逆差別が発生するという時間的契機で逆差別を考えている。事実は、差別が同時に逆差別でもあるという、弁証法的(?)で動的な関係である筈。過剰な差別撤廃が逆差別を生むのでなくて、差別すること=逆差別されること。
2010-06-07 21:37:32人間のコミュニケーションは本質に於いて偽装によって成立している。一つは責務偽装(職務上知っているものとして振舞う)、一つは羞恥偽装(言いたくない事、知られたくはない事を相互に認め合う)、一つは詐欺偽装(どうしても逆らえない力に対し従順である風を装う)である。全ての剥奪は不可能だ。
2010-06-07 21:49:16ちなみに、ぼくの差別論上の立場については、以前、ブログで中島義道『差別感情の哲学』をかなり過激に批判したおり、コメントを下さった方との応答の中で、いろいろ喋ったことがあります。 http://tinyurl.com/255vndl
2010-06-07 21:56:19意味=基準=定義の成立を言語の成立と捉える僕としては、差別は言語の成立とともに約束されていた事象(基準という言葉に注意)だとしか思えないのだけど、こんなことを言うと関係者から怒られるから程々にしておこう。
2010-06-07 22:07:00.@necratallo 「言語で語ること自体が差別であらざるをえない」というご意見ですか? だとしたら、ぼくは完全に同意します。また変な誤読でしたらすみませんw
2010-06-07 22:14:23.@Taroupho まさにその通りです、少しだけ訂正するなら(私的言語であってさえ)、言語で思考することすらすでにして差別とさえ思っています。だから、僕は逆説的に差別問題を(価値判断の話以外として)理解できないのです。
2010-06-07 22:16:38ぼくは以前から「差別は実在しない」と主張しているのですが、まさにその意味です。永井氏の「意識は実在しない」論と完全に並行する論として、差別論を立てることができます。 RT @necratallo (…)だから、僕は逆説的に差別問題を(価値判断の話以外として)理解できないのです。
2010-06-07 22:27:07.@Taroupho なるほど、ただ、意識の場合とは他人と他人の間に成り立つことくらいが違いでしょうか? とするなら、Tarouphoさんの意見に僕も逆に賛成ですね。
2010-06-07 22:30:07