反‐差別論:“差別”は実在しない!

自分の過去の呟きと関連するツイートのまとめ(2010年2月~6月分)。 「あらゆる差別論は粗大ごみ」と放言する程度の人間が、差別論の言説空間から生じる<実在しない対象>としての「差別」や、かほど空疎な概念を論じる<空論>としての「差別論」を、その日の気分で批判してみたりするだけの大変下らないお話。 【ブログの関連記事】 続きを読む
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@necratallo

生成しつつある規則はその境界が何だったのかではなく、対象へと意識が向けられている。しかし、一旦生成された規則は、何故か他にも適用できて(言語の力!)、その時に本来の意図と違う対象を組み込むことがある。

2010-06-08 21:31:21
@necratallo

美しいコミュニケーション ≠ 良いコミュニケーションだと思う、美しいコミュニケーションって、ある意味お互いに知ってたことを、形式的に美しくやり取りしているだけなとこがある。お互いに言葉の定義から逐一疑いながら、違いを思い知るコミュニケーションは良いコミュニケーション(の一種)。

2010-06-08 21:59:09
@Taroupho

.@necratallo 差別論における私的言語の位置について、少し考えているのですが。私的言語は権利上、誰もが所有することが許されるわけですが、普通は「本人にしか分からない」という形で立てられますよね。「差別心」の場合、「差別された側にしか分からない」という逆の形になっている。

2010-06-08 22:03:42
@Taroupho

.@necratallo実は差別していた」も「実は差別していなかった」も、権利上、被差別者の側からしか明らかにされることがない。うーん、私的言語とはまた毛色が違うのかな……。

2010-06-08 22:07:39
@necratallo

.@Taroupho ああ、ごめんなさい、大分用語が混乱しています、僕はこの問題を”実際に駆動していて抹消されている私的言語”、として考えていたのです。語の基準が成立した後の存在論的な意味での<意味>です、そこが外延と内包の探求内包合戦と絡んでいて、差別が起こる、という感じ。

2010-06-08 23:13:44
@Taroupho

.@necratallo なるほど、少し水準の違う話でしたか。どちらの水準で考えてゆくのが正しいのだろう……というか、どちらもそれなりに関係のある話になっているようですネー。ただ、ぼくもだんだん混乱してきておりますw 考え出すと、哲学的にも複雑な問題がありますね。

2010-06-08 23:24:13
@necratallo

.@Taroupho そうですね、私見としては差別は言葉の意味の基準と存在をめぐる争いだと思っています。東方ファンとして、東方の他のファンと東方を蔑む人という構図の中で最近はそれを感じます。

2010-06-08 23:27:39
@Taroupho

その点には、何かぼくの考え落としている論点があるような気がしますね。また機会がありましたらお話を伺いたいです。 RT @necratallo .@Taroupho そうですね、私見としては差別は言葉の意味の基準と存在をめぐる争いだと思っています。(…)

2010-06-09 00:11:42
@necratallo

実際に駆動している私的言語というのは、実際にその人にとっての<意味>であろう。しかし、これは異なっているということを指摘する(寒いと熱いを逆に言うとか)には、別の言語か状況が必要になる、そして、その時に従っている私的言語の一致は前提される。

2010-06-09 14:27:52
@necratallo

言葉の意味か、相手の自分との存在の同一性(人間で意識や感情を持つこと)のどちらかが前提されなければ、対話は成り立たない。つまり、相手が言葉は間違っているが正しいことを言っていると思うか、正しい言語を使っている、と思うことがコミュニケーションの要件である、と言えるだろう。

2010-06-09 14:31:03
@necratallo

ここから差別論や最近の東方における言語攻撃の話を論じられるだろう、つまり、僕らは相手の言葉の意味と言おうとしていることの正しさを前提として話を聞く、ところが、それは自分の考える正しさと違う。この時、相手の言葉使いか、相手の信念(存在)が間違っている、と感じるだろう。

2010-06-09 14:32:54
@necratallo

逆に、相手の言葉が正しいと思った時に、自分の中の何かが傷つく、攻撃されたと感じるための道筋もここにあるだろう。そこでこう思うはずである、あの人は東方ファン一般がガキだと言っているが、ガキと東方ファン(主に自分)は同一の集合ではない、という風に。しかし、相手が考えた基準は違ったのだ

2010-06-09 14:34:45
@necratallo

そのことが発覚するためには、言語による対話が必要だ、だが、その時にやはり言葉の意味と運用の違いが立ちはばかる、楽な道じゃない。そもそも、そう思わない人は(相手の正しさを信じられる素直な人は)、差別された、と感じるかもしれない、この問題は言語がすでにしてそうあるという構造問題だろう

2010-06-09 14:37:25
@necratallo

一般的に理解されるべきものだという前提を捨てるか、どこまでも自分の側の基準と好悪を世界に訴えるか、というのが実際に嫌だと感じた人の取れる立場だろう。僕は前者を目指すが、後者を取る気持ちもある、多分そういうことだろう。

2010-06-09 14:40:32
@necratallo

この道筋から、”皆が同じように”解釈すること(していること)を強要し、有罪化するのが差別だということも論じられるだろうけれど、避けたいと思う、ツイッターのTLが僕で埋まったからだ。すみません。ブログでその内論じる、、、かもしれない。

2010-06-09 14:42:37
@necratallo

違う人種だと感じた、と違う言葉を使う人だと思ったというのが簡単に発覚しないという話と同型の話として説明できるかもしれないな。これこそが、まさに言語の意味と存在の違いなんだけど、簡単には発覚しない。

2010-06-09 15:00:25
@Taroupho

そだそだ、差別論をまとめるとか言っていたのだった。あちらも、気が向けばまとめます。ただ、対話する気が殆んどない、というか、差別論というのは自分の中では終わった話で、あとは布教だけが問題。この立ち位置は変わらない。

2010-06-11 22:55:32
@Taroupho

dis の本気度が違う(差別論は本気で dis る)程度の話だなー。

2010-06-11 22:57:15
@goodmad

読書会で扱うので差別についての新書を読んでいる。差別は対岸の出来事では無い……といったことが書かれてあるようだ。実際、私などは呆れられて何も言われていないだけで実際には刃物を振り回しているようなヤバイ差別人間なのだと思う。

2010-06-16 01:03:01
@goodmad

もし入った人間の脳波を計測してわずかでも差別意識があったらその人間の首を刎ねる箱があったとしたら、そこに入って出てきた人間は入ったことを何も憶えていないのではないだろうか、などと益体もないことを仕事に行きしなに考えた。

2010-06-16 01:11:19
@goodmad

差別問題こそはカント主義者が出しゃばりまくって然るべき分野じゃないのかね。

2010-06-16 01:47:46
@goodmad

フェミニスト「貴方は性差別主義者のブタね! この男根主義者!」カント主義者「断じて違う! 私はkant主義者だ!」

2010-06-16 01:59:01
@goodmad

そもそも男根主義ってなんだよどこで知ったんだと思ったらデリダの用語だそうな。

2010-06-16 02:08:53
@goodmad

被差別部落にしても在日外国人にしても京都に来るまで意識にすら昇らなかったな……。別に京都に来たときに何がしかの体験をしたわけでもないけれども。

2010-06-16 02:22:41
@goodmad

社会運動団体の「確認会」のエピソードを読んでいる。差別行為について「確かめ、糺す」という内容で、差別したとされる人が「心は痛くないのか」と出口のない問いを投げかけられるそうである。

2010-06-16 02:30:51
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