- HAYASHI_twit
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②ベケット『オハイオ即興劇 Ohio Impromptu 』は他のベケット作品同様に非常に緻密に書かれていて、即興劇=Impromptuとは思えないのに、どうしてベケットはこのタイトルを付けたのだろうとしばし考えていた。ひとつはこの言葉の中にあるプロンプないしプロンプターのこと。
2012-05-09 22:46:43③プロンプターというのは舞台袖で台詞をささやく影武者的存在。いわば亡霊のような影=シェイド(シェイドについては岡室氏の論考でも出てきた)。ベケットはプロンプターたるジョイスの声に促されるようにしてオハイオ即興劇を書いたのか(とメモに走り書き)。
2012-05-09 22:51:05①水声社の『サミュエル・ベケット!』所収の西村和泉「結びのパラドックス」について。『ゴドー』をめぐる論考で、論集の冒頭を飾るにふさわしい切れ味のある論文! 草稿研究を通じて「ゴドー」は神ではなく、不条理を描いた作品でもないと見る。そして小道具に注意を向ける。注目すべきは「靴」。
2012-05-10 21:37:45②ゴドー冒頭ではエストラゴンは靴chaussureを脱ごうとする場面から始まる。西村氏によれば「どた靴」というのは仏語でゴディヨgodillotというらしく、ゴドーGodotとの親近性が非常に高い。西村氏による連想は、靴→靴紐→紐を結ぶ→絆、と向かい、ヒューマニズム的要素を提示。
2012-05-10 21:40:23③西村氏はさらに、紐=絆を結ぶことを、「待つattendre」という言葉に絡め、「どうにもならんRien à faire」という冒頭の句をも「結ばれるべき絆Lien à faire」と読み替える。また、草稿研究からエストラゴンとヴラディミールの同質性・交換可能性にも言及していた。
2012-05-10 21:44:47④西村氏の論述展開は面白いけれど、ちょっと考えてしまった。果たしてベケットのゴドーはそんなにヒューマニズム的だろうかと。そしてエストラゴンとヴラディミールは交換可能な同質な存在だろうかと。
2012-05-10 21:49:04⑤エストラゴンとヴラディミールはゴゴとディディの愛称で呼ばれる。二人合わせてゴディヨgodillot。冒頭、ゴゴのほうは靴と格闘するのに対し、ディディのほうは帽子と戯れる。私見ではゴゴとディディに感じられるのは絆ではなく分裂だ。ゴー(行こう)とドント(行かない)の分裂でもある。終
2012-05-10 21:54:13@HAYASHI_twit 『反古草子』とかそこらへんのベケットの短編小説は実はとても重要なんだと思います。後期にまで持ち越されるテーマが割とナマに近いかたちで出てるんじゃないかと。といっても難しくてよくわからなくて、こちらが教えていただきたいです・・・。
2012-05-10 22:13:01@mokamuro 教えるとかとんでもないですけど、ブローティガンbotをやってる@anata_omaedaさんは衰弱短編集というふうに形容していて、その衰弱は充実でもあると言ってました。ベケットの中では両極にあるものが蛇が尻尾をかむように一緒になるような感じがある感じがします。
2012-05-10 22:25:51@mokamuro ベケットの作品の中では、終りは始まりに、墓穴は子宮に、沈黙は言葉になる、というように、両極がパラドックスを孕んだままひとつになるというか、そんな印象がありますね。『反古草子』なんかは特に言葉と沈黙の関係が生々しい気がします。
2012-05-10 22:30:42@HAYASHI_twit @anata_omaeda その両極にあるものが連続してしまう、あるいは結合するというウロボロス的表象がもろに私のベケット研究のテーマなんです笑。私はオカルティズムの文脈で考えているのですが。衰弱短編集っていいですね。
2012-05-10 22:37:50@mokamuro @anata_omaeda あっ、そういえば高橋康也氏に『ウロボロス』って本がありましたっけ! 冒頭から終わってるベケット作品って結構ありますよね。それに「終り」に関連した作品名も多い。『また終るために』まである。フィンがアゲインされるわけでジョイスですよね。
2012-05-10 22:49:48自分はRadioheadが好きで村上春樹が嫌いなのだけど、Radioheadと村上春樹がユングによって近縁性を示しているとするなら、その関係をどう捉えるか。ユングの思想は批判すべきだとして、ベケットの作品へのユングの影響を、ベケットの作品の質とは別の位相にあると見るべきか。
2012-05-12 01:07:14大学時代、岡室美奈子先生の『西洋演劇史』の授業でベケットの『QUAD』を観て、QUADはユングの理論を下敷きにしている・・と解説されたことが記憶に残っていたのだけど、ベケットとユングとの関係について論じた岡室先生の文章を偶然見つけた。… http://t.co/Tx3zahf9
2012-05-12 01:43:22ベケットONツイッター@わたしの作品の終わりには埃(ほこり)があるだけだ。これが唯一の名づけうるものだ。最後の本『名づけえぬもの』には完全な崩壊がある。〈わたし〉もなく、〈持つ〉もなく、〈ある〉もない、名格も対格も動詞もない。これ以上続けようがない。
2012-05-12 02:15:57高橋康也(ベケット短編集)@《叫び》あるいは《産声(うぶごえ)》、その前後の《沈黙》、《光》と《闇》などもまたベケットの偏執的モチーフであった。例えば『ゴドーを待ちながら』のポッツォの言葉、「女たちは墓石にまたがってお産をする、ちょっとばかり日が輝く、そしてまた夜。それだけだ。」
2012-05-12 02:19:17ベケット(反古草紙)ONツイッター@突然、いや、とうとう、ついに、わたしはだめになった、これ以上進むことはできなくなった。…この場所の描写をしよう、そんなことはどうでもよいことなのだが。山の、いや、丘の頂上、平べったい頂上だ、野生のままの、荒涼とした──もうたくさん。
2012-05-12 02:20:17@k_kazama @pantryboy アイルランドの偉大なる自転車小説家、ベケットとフラン・オブライエンのカバーに共に自転車をデザインした版がありました。http://t.co/PUclNk7P http://t.co/hXveAwI9
2012-05-13 00:17:44作家の犬 http://t.co/VI9l0QQS ゴンブロヴィッチ等/作家の猫 http://t.co/bPm9nYT6 ディックとか/作家のペット http://t.co/JynpWHCK F・オコナーは孔雀。猫を見つめるベケット… http://t.co/fxolop9Z
2012-05-15 00:12:59ベケット(反古草紙)ONツイッター@言葉もまたゆっくり、ゆっくり、主語は動詞にたどり着かぬうちに死んでしまう、言葉もまた停止している。
2012-05-16 19:53:56ベケット(事の次第)ONツイッター@簡単に言い換えればこれも引用ひとつはわたしがひとりぼっちであることこの場合は問題解決もうひとつはわたしたちが無限数であることこの場合も問題解決
2012-05-16 19:56:51@elles_je_te こんばんは。ベケットとジャコメッティが夜な夜なパリの街路を歩いておしゃべりしていたと考えるとBLに関心のない人間でもなにやら胸がチクチク刺激されますね!笑。
2012-05-16 23:48:39書くことのはじまりの、痛む足とのアナロジーとはそういうことか! 立つことが痛いのではなく、痛いから、にもかかわらず、立っているということ。ベケットの自転車は、では「言語」ってことなのかな? 夢メモみたいなこと書いているな。
2012-05-17 03:57:40