デリダ、ドゥルーズ、その他の現代思想

フランス現代思想関連ツイートのメモ置き場。7部構成。→ ①デリダ、ベケット、②バタイユ、レヴィナス、③ラカン、④アリストテレス、デリダ、⑤プラトン、ドゥルーズ、⑥フーコー、⑦ニーチェ、ハイデガー、デリダ
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Motoki Saito @eksistenz

「そのようにして受話器から聴こえてくる響きは、またもやリルケの言う始源のざわめきなのだが、それはまたむきだしのセクシュアリティ、《官能的な女神たちの歌》でもある」(同137-8頁)。

2012-07-24 17:56:20
Motoki Saito @eksistenz

「電話はディスクール以前の、ということはつまりひとまとまりの人格以前のざわめきを送ってよこす」(同139頁)。こうしたキットラーの記述、ニーチェが1869年に行った教授就任記念講演「ホメロスと古典文献学」でのホメロス問題をも思い起こさせると言ったら言い過ぎだろうか。

2012-07-24 18:18:03
Shigeo Hayashi @HAYASHI_twit

キットラー『グラモフォン・フィルム・タイプライター』は品切れかー。ちくま学芸文庫は品切れ状態が早いなあ。テクノロジーによるテレフォニー(隔たりの声)に、原初的なざわめき、裸形の官能的な歌(ニーチェのディオニュソス的な?)の響きを聴き取ろうとするのも逆説的な感じもします。

2012-07-24 22:46:22
Shigeo Hayashi @HAYASHI_twit

テレフォニーに原初の声を聴き取ろうとするとき、そこにはテレオロジーやテレオノミー、つまり目的論的な視点が介在する危険があるんじゃないか…。その危険性は語源学的な身ぶりによって言葉の原義性や多義性で思考するハイデッガーやデリダにも見出せそうな危惧を以前から持っていたのだけれど。

2012-07-24 23:02:52
Shigeo Hayashi @HAYASHI_twit

テレフォニーにおけるテレオロジーというのはたとえば、「原初には明らかであった真理が現代においては隠されている。その覆いをとらなければならない」といったような主張で、アレーテイアとしての真理を元の輝きにおいて見出さねばならないという視点。

2012-07-24 23:07:59
Shigeo Hayashi @HAYASHI_twit

デリダが『幾何学の起源』『言語起源論』『人間不平等起源論』『人間知識起源論』『芸術作品の根源』などの起源を扱った作品を読解するとき、いくらそれがフッサールやルソーを脱構築的に読む試みだったとしてもヴェクトルとしては起源に向かっているのではないだろうか(ミイラ化されたミイラ取り)。

2012-07-24 23:11:15
Shigeo Hayashi @HAYASHI_twit

といったようなことを、哲学者に抗いがたく巣くう「起源への意志」としてぼんやりと考えていました。最も敬愛する哲学者のひとりであるデリダに対して、時にはあえて毒づいてみたくなることもあって。

2012-07-24 23:15:15
Motoki Saito @eksistenz

@HAYASHI_twit もともと原初への直接的な通路を見出せると思っていたニーチェが、やがてショーペンハウアーとヴァーグナーからの離反のなかで「音楽」と「電話」を結びつけ、その「聴き取りがたさ」を批判的に強調しているという意味では、まさしく「逆説的」と言えるかもしれませんね。

2012-07-24 23:37:43
Motoki Saito @eksistenz

@HAYASHI_twit おそらくその危惧は当たっていると思います。他面、デリダはもちろん、デリダが批判するハイデガーも、実のところ起源への遡行が不可能であるにもかかわらず希求せざるをえない、というジレンマの恐ろしさをよくわかっていたのではないかとも思うのですが。

2012-07-24 23:41:28
Shigeo Hayashi @HAYASHI_twit

@eksistenz 拙く青くまた印象的でしかないつぶやきにもかかわらず応答をいただきありがとうございます! キットラーの本とニーチェ「ホメロスと古典文献学」を読んでいれば、もう少し具体的なことが言えたのですが…。

2012-07-25 00:03:05
Motoki Saito @eksistenz

@HAYASHI_twit いえ、そんなことはありません。きわめて本質的な問いだと思いますし、ハイデガーを中心に現代フランス哲学もあれこれかじってきた者として、しかも同じような疑問を抱いてきただけに、身につまされる想いで一杯です(苦笑)。

2012-07-25 00:07:53
Shigeo Hayashi @HAYASHI_twit

@eksistenz きっとハイデッガーもデリダもそうした危険性とジレンマには自覚的だったのでしょうね。そして私たち読者にもおそらく「起源への意志」というものが根深くあるように思います。

2012-07-25 00:05:50
Motoki Saito @eksistenz

@HAYASHI_twit ニーチェ=ハイデガー=デリダというラインで繰り返されているテレオノミー=テレオロジーとの戦いの構図そのものをもう一度見直す必要があるのかもしれませんね。本当に私たちは起源への遡行を望んでいないのか、そして起源への遡行が不可能であるとすればどうすべきか。

2012-07-24 23:50:02
Shigeo Hayashi @HAYASHI_twit

@eksistenz 起源には常に既に痕跡しかないというデリダの主張とは裏腹に、言葉の元の意味(特にギリシア語)を参照する身ぶりのうちに感じられるものが、我々もまた暗黙のうちに求めているところの遡行不可能な起源と接点があるとしたら、それは強力な「起源への意志」かもしれないですね。

2012-07-25 00:13:24
Motoki Saito @eksistenz

@HAYASHI_twit いささかひいき目に思われるでしょうが、ハイデガーを読むたびに一元化への意志に対する抵抗を感じます。自らが背負った出自はそうやすやすと捨てることができず、にもかかわらず帰るべき場所へはもはや二度と帰れない。デリダにも根底では相通じるものと思います。

2012-07-25 00:12:56
Shigeo Hayashi @HAYASHI_twit

@eksistenz 自らがよってたつことのできる基底(故郷)を持たないことは、もちろんニーチェの思考にも見出せますが、そういう無底の空間においては自らの頭を踏みつけてゆく足取りが要求されるのでしょうね。

2012-07-25 00:21:57
Motoki Saito @eksistenz

@HAYASHI_twit おっしゃるとおりですね。そしてニーチェ、ハイデガー、デリダそれぞれに基底への振る舞い方(踏みつけ方)が異なるのですが、この思考の時空間全体をどう捉えなおしたらいいのかは大きな課題ですね。その突破口はやはりドゥルーズではないかと私も感じています(笑)。

2012-07-25 00:28:03
Motoki Saito @eksistenz

@HAYASHI_twit 痕跡である「にもかかわらず」、起源ではもはない「にもかかわらず」、みずからの言語を最も決定的に脱中心化するために参照「せざるをえない」起源。きわめて本質的な問題だと思います。あ、なんだかデリダ風になっちゃいました(笑)

2012-07-25 00:20:05
Shigeo Hayashi @HAYASHI_twit

@eksistenz 「にもかかわらず」と「せざるをえない」の関係!これはなかなか解きほぐしがたいですね。改めて考えなければならないアポリアです。そうしたアポリアをドゥルーズならあっけらかんとスルーしてしまうのでしょうが(笑)。

2012-07-25 00:26:19
Motoki Saito @eksistenz

@HAYASHI_twit おっしゃるとおりですね。そしてニーチェ、ハイデガー、デリダそれぞれに基底への振る舞い方(踏みつけ方)が異なるのですが、この思考の時空間全体をどう捉えなおしたらいいのかは大きな課題ですね。その突破口はやはりドゥルーズではないかと私も感じています(笑)。

2012-07-25 00:28:03
Shigeo Hayashi @HAYASHI_twit

@eksistenz そうでしたか!ドゥルーズの語り口はそれほど信用できるものじゃないとは思っているのですが、ハイデッガー、デリダのラインに拘泥しないためには重要なものを与えてくれそうに考えていました。ともかく本日はおつきあいいただきましてありがとうございました。

2012-07-25 00:33:01
Motoki Saito @eksistenz

@HAYASHI_twit この問題の突破口を見出すために、今のところまずはニーチェへと先祖がえりして勉強しているようなところです。おっしゃる通り、ドゥルーズは未展開ながら、そこかしこにヒントが隠れているように感じます。こちらこそ、遅くまでおつきあいありがとうございました。

2012-07-25 00:38:06
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